Re:プロローグ
午前八時二十五分。
真穂百合中学二年A組の朝はいつも騒がしい。
思春期女子の人口密度を考えたら妥当のデジベルだが、以前はもっと落ち着いた雰囲気だった気もする。まとめ役がいなくなったことでタガが外れた感があるというか。まあいざとなれば笑顔のサディストこと担任教師・桜歯幸子がビシッと締めてくれるので風紀的にも教育的にもさして問題はないのだが。
そう思いつつ教室後方の自席で元文芸部部長の遺稿をゆっくりと読む。が。
「おやおやおや~?菫さんめずらしく仮眠も取らずになに読んでおられやす~?」
そうわたしの前の席から似非京都弁で軽薄に語りかけてくるのは、将来世界的なMCエンターテイナーになると豪語してはばからない二年A組出席番号三十番・
おかしいな。前の席はもっとイケメンで世話焼きな幼なじみがいたはずなのに。
そう訝るもプリントから顔をあげないクールスタイル。
だが、彼女に対し黙殺でなく返答という選択肢を採ったのは失敗だった。
「『犬養棗シリーズ』の最終巻。いまいいところだから邪魔しないで」
「……マジかッッッッ!!!!!?あの幻のユリエル先生の遺稿!!!!?」
「「「「「えっっっっ!!!!?」」」」」
クソッ。
杏の人目も憚らない絶叫のおかげで朝の貴重な読書タイムがパーだ。
あっというまにひとが集まりだす。
それだけ元文芸部部長ユリエルの犬養棗シリーズは希少性・話題性・カリスマ性の三拍子揃った伝説の百合小説であり、真穂百合のみならず全国の中学生に圧倒的人気を博していた。
「やっぱ棗様よね~。『真穂百合の女なら全員抱いてやった』とか最の高が過ぎる~💛」
「実話なのがもうヤバすぎ。七年前に卒業していまも《百合の季節》には卒業生も在校生も教師も外部生までもが在籍しているうえに新規加入者が絶えないっていうんだからヤバすぎる」
「棗様の帰還を百合救世主リリィの復活のように待っているんだもの。ステージが違いすぎ」
「その棗様の寵愛を受けたのが当時文芸部部長だったユリエルさん?本名だっけ?」
「さすがにペンネームでしょ。『百合聖典』の天使から付けたんでしょ?」
さすがに読書をする空気ではない。姦しいという空気に嘔吐するかのように真っ黄色なため息を吐きつつ、プレミア必至らしい生印刷サイン入りのプリントの束を鞄にしまう。それを目ざとくみつけたクラスメイトAが簡単に体を寄せて鞄にさわろうとする。
「あ、ねえねえ菫。その最新刊の原稿みせてよ~」
「駄目」
「え~ケチ~。いいじゃん、おんなじ真穂百合の釜の飯を食った仲間じゃ~ん」
わたしはパン派だなんてどっかで聞いた返しをしようと一瞬思ったけどやめてどう返すか考えていると、前の席のエンターテイナーがダイナミックエントリー。
「あ~こらこらそこの君たち。友だちを困らせてはイカンぞ~」
「困らせてないです~。部外者のおまわりさんは黙っててください~」
杏がキャラ作るや秒で始まる即興コント。なんだこれ。
「ん~。と言われても本官はこれが仕事だし。それに故人の遺言を無視した中学生が祟りに遭うなんてのも目覚めが悪いからの~」
「は?祟り?」
一瞬怯んだ途端に警官から田舎婆へとキャラ変。判断が早い。
「んだんだ。おめ知らねえのか?この作品を書かれたユリエル先生は長患いでの。ず~~~っと入院しておったんだが創作活動は続けられて、玉稿をはじめに読むのを許されたのは文芸部の連中と可愛がってた菫だけやっとよ。そんでも病には勝てず、亡くなられる直前遺言で、文芸部と菫以外の人間読むこと能わず。ただし文芸部で部誌として刊行された以降はこの限りではない、と。もしこの遺言を破ったら」
「や、破ったら?」
「ホラー小説もお得意の先生のこって、さぞや悪戯中学生を恐怖のどん底に叩き落す祟りを」
「ご、ごめんなさ~~い!!」
ピューッ。脱兎の勢いで自分のグループに駆け込むとおいおい泣いてよしよしと慰められる。
コントかよ。
それを見た杏はわたしに恩着せがましく肩を押し寄せて、
「一件落着やな!菫、もっとワイのこと褒めてもええんやで?」
「もとは君が余計な声あげたからだけどね」
プラマイゼロだ。
「しっかし、そっかあ。ユリエル先生亡くなられたんかあ……」
心の中で黙祷を捧げているであろう杏をよそに、ひとり静かに思考する。
あの一連の騒動以後、この百合世界では犬養棗と『犬養棗シリーズ』の執筆者にして文芸部部長・●●●こと《少女殺人鬼》こと《百合の天使》は以下のように記憶改竄された。
犬養棗は真穂百合中学の七年前の卒業生。いまも女子に与える影響力は絶大。
文芸部部長はいまや名前すら思い浮かばない。禁則事項にでも指定されたかのようだ。
この百合世界を害した天界や天使に関わる人間のことは抹消されるということか。
ペンネームで許されているのは曲がりなりにも『百合聖典』が世界の書物として遇されているからか。《少女殺人鬼》は実在の人間でなく言い伝え、都市伝承、都市伝説といった蜃気楼のごとき存在だから名前の記載も許されているのか。
そんなことをつらつら考えているうちに始業ベルの鳴る時刻になろうとしている。
「桜歯先生遅いな」
「うれしいんちゃう?」
「なにが?」
「桜歯先生のお姉さん、十年ぶりに海外から帰国したんやて」
「マ?」
「マ♪」
予想外の吉報。
世界の改変で捨てられる者もいれば救われる者もいる。
そうか。よかった。本当によかった。
わたしの安堵感を真の意味ではわかってはいないと思うけど、共感の意味でうなづいてくれる杏はいい子なんだろう。
が。
続く台詞にそんな思いは後に吹っ飛ばされることになる。
「あ、あと」
「ん?」
「教育実習生来るいうてたからその準備でバタついているんちゃうかな」
「教育実習生?この時期に?」
「なんでも特例で臨時の」
ガラッ。
「遅くなってすみません皆さん」
そういって額の汗をぬぐいながら入室する桜井先生。
同時に始業ベルが鳴る。
出席簿を八つ当たり気味に教卓に叩くこともなく。
「突然のことで申し訳ありませんが、本日よりこのクラスに教育実習生がつくことになりました。その先生からご挨拶を頂きたいと思います」
そういって手で促すと、ふたたび扉が開いてめまいがするほど見慣れた顔が、成長した出で立ちで入って来た。イケメンで世話焼きで変顔が大好きな女子大生。七、いや八年分成長して精神的に大人びた佇まい、外見も身長が薫ちゃんよりも上回った幼なじみ。
王子様系イケメンだったはずがいつのまにか王様系スパダリへ。
犬養棗。
わたしの唖然とした顔などとっくに見つけているくせに、素知らぬ顔で生徒たちに挨拶。
「おはようございます。真穂百合大学から来ました犬養棗と申します。担当する教科は現代文です。私も真穂百合中学の卒業生ですので再びここで教壇に立つことができてうれしいです」
にっこり。
全教室を歓喜の坩堝に沸き立たせる。
が、なぜか続きをいわずに溜めを作る。
まさか。
「実はここへは教育実習の他にもうひとつ理由があって戻ってきました。公私の私、プライベートな理由で大変恐縮ですが、桜歯先生におかれましてはなにとぞお許し頂ければと思います」
笑顔を崩さぬも察するものがあったのか、桜歯先生のこめかみに青筋が疾る。
それを見るや同じく笑顔で手を上げると、
ガラッ×2
前と後ろの教室扉がほぼ同時に開き、前からは結婚式場スタッフと思しきお姉さんたちが笑顔で豪華な花束をわたしの周囲に続々と捧げる。その空気を察してか周りの生徒たちはとっくに教室から避難済み。まるでわたしの生顔を遺影にした豪勢な生前葬のよう。縁起でもない。
後ろからはオーケストラの楽団員が続々と各々の楽器を持って参上。というか教室みたいな箱庭空間にコントラバスとかデカ物持って入んな。人口密度がとんでもないことに。
おおよその準備が整ったと見た年上イケメンの幼なじみは。
「菫」
そう呟くと迷いなくわたしの席へ歩みを進める。
音も無くそのまま唇を奪うかのような優雅な動きに一瞬身構えるも、彼女はわたしの足元に低く恭しく跪いて。リングケースを差し出し、紫水晶の指輪を取りだす。
まさか。
わたしの悪い予感を見透かしたかのように、彼女は迷いのない微笑みで。
「私と結婚してほしい」
真摯で誠実で揺らぎのない瞳。
ああ。はじめて会った時もこんな眼をしていたっけ。
きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
わたしが返答に詰まった空隙を埋め尽くすかのような全校生徒の圧倒的な黄色い嬌声。
どうやら騒ぎを聞きつけたらしい他のクラスから生徒が教師が続々と詰めかけている。
「王の帰還!王がご帰還あそばされましたぞおおおおおおおお!!!」
「棗様復活ッッッッ!棗様復活ッッッッ!!棗様復活ッッッッ!!!」
「抱いてえええ!!百号さんでいいから抱いてえええええええ!!!」
「っざけんな菫様との婚儀相成った以上身ぃ引けやあああああ!!!」
「っせえええそのための百合重婚やろがボケエエエエエエエエ!!!」
喧騒とも怒号ともつかぬ真っ黄色な嬌声で二年A組は過飽和状態。
オーケストラが祝福の音色を奏ででいるものの霞んでしまっている。
かと思うと。
「ハイハイこっちの席が見やすいですよ~お支払いは薬店ポイントでおなしゃーす。もっとくわしく知りたい方はクラスメイトにして世界的MCの綿星杏が花嫁・扶草菫の独占インタビュー記事を後日アップしますのでご予約はお早めにどうぞ~♪」
どっかで見た顔がどっかの漫画で見た不良警官みたいな阿漕な商売やってやがる。
いい子撤回。どうでもいい子だ。クソ。
「菫?」
こっちはこっちでわたし並にKYなイケメンがかわいらしく小首を傾げているし。
サプライズっていうのはやってもらう側が喜ぶからいいのであって、困らせるのはただの嫌がらせというか逆効果なんだよっ。
でもきっと。
こっちの棗もあっちの紫もわかってくれないんだろうなあ。
ある意味であなたたちはわたしそのものなんだから。
業を煮やした桜歯先生のマッハショットがそろそろ棗の頭蓋に直撃しそう。
わたしも当事者として放課後の指導室での事情聴取は避けられないだろう。
あらためて確信する。
ああ、これは史上最悪の
魔法少女は《紫水晶の魔女》の輝き 黒砂糖 @kurozatou-oosajisanbai
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