1 妹は悪役令嬢……ではない④

「三年の間、俺は誰とも婚姻できない。君にとっては、適齢期を無駄にするものだろう? 君が婚約破棄したいなら、俺はそれでも構わない。君の意見を聞きたい」

 歩きながらユリシスが言うと、ぴたりとアンジェリカの足が止まる。振り向くと、ふんの形相でアンジェリカに睨みつけられた。

「婚約破棄したいってこと?」

 とげとげしい声で聞かれ、ユリシスは戸惑った。三年、婚姻できないということは、アンジェリカは二十三歳まで結婚できないことになる。この国の結婚適齢期は十八歳から二十歳と言われている。アンジェリカには行き遅れといわれる年齢まで待たせることになるので、心苦しいから嫌なら婚約破棄してもいいと思ったのだ。

「俺の意見は重要ではない。アンジェリカがどう思っているか、知りたいだけだ。それに……俺は跡継ぎを望んでいる。公爵家の血を絶やすわけにはいかないからな。三年後に婚姻したとして君には大きな重圧を与えてしまうかもしれない。君には……」

 つらつらとユリシスが話している途中で、いきなりアンジェリカが足のすねってきた。痛くはなかったが、淑女にあるまじき行為にユリシスも驚いて固まった。

「そんなことくらい、分かってるわよ!」

 目をり上げてアンジェリカに怒鳴られ、ユリシスはぽかんとした。

「私の父が言い出したことなのよ!? 私を王妃にするわけにはいかないからこその、決まり事でしょ! 私は納得してるから、いいのよっ。はっきり言いなさいよ! 私と婚約破棄したいの!? あなたがしたいなら、してやるわよ!」

 アンジェリカにすごい勢いで責められ、ユリシスはたじろいだ。まさかそんなに怒る内容とは思わなかった。確かにユリシスが国王代理を務めることになったのは、アンジェリカの父であるリンドール侯爵の誘導があったからだ。

「いや、俺ではなく君の……」

 何故アンジェリカがそれほど怒るか理解できなくて、ユリシスは困惑した。

「若い女と婚約したいなら、いつでも婚約破棄してやるわよ! そうじゃないなら、その口、閉じなさい!」

 激しい口調でまくしたてられ、ユリシスはぜんとした。アンジェリカは激高した己を恥じるように、息を整え、ユリシスから離れた。

「ここまででけっこうですわ。国王陛下のご安寧をお祈り申し上げます」

 いんぎん無礼な口調でアンジェリカが告げ、優雅にカーテシーを披露して、ユリシスに背中を向けた。追いかけるかどうしようか迷ったが、侍従が呼びに来たのもあって、ユリシスは深いため息をこぼして近くのこの兵にアンジェリカの見送りを頼んだ。

(何であんなに怒ったんだ? アンジェリカの気持ちを聞きたかっただけなのだが。やはり俺は嫌われているのだろうか。国王代理とはいえ、婚約を破棄するのは外聞が悪いと思った? それはありえるな。リンドール侯爵から、何か聞かされているのかもしれない)

 三年の間、アンジェリカが嫁げないとなると、社交界では彼女をそしる者やちようしようする者が出るかもしれない。そんな不遇の身にアンジェリカを置くわけにはいかないと思って言い出したのに、逆に怒鳴られる始末だ。

(よく分からんが……現状維持でいいのだろうか……)

 女心にうといユリシスは、結局アンジェリカが何故あれほど怒ったのか分からないままだった。




 王立アカデミーが夏期休暇に入る頃、王宮にはグラナダ王国の第三王子フェムトが謁見を求めてきた。

「陛下、お忙しい中、時間を割いていただきありがとうございます」

 フェムト・トラビアーナは親しげな口調であいさつをしてきた。フェムト王子は浅黒い肌にすい色のひとみ、長い黒髪を後ろで三つ編みにしている十八歳の青年だ。ほっそりしているがグラナダ王国の青い正装を身に着けた姿は気品があり、かしこそうな印象を与える。グラナダ王国は海を挟んだ隣国で、熱砂の国と呼ばれている。

「フェムト王子、ここのところ忙しくしていてすまない」

 ユリシスはフェムト王子を客間に招いて握手を交わした。フェムト王子からは、国王代理就任の際にグラナダ王国を代表して贈り物をもらった。まだ公爵だった頃、国王の命令でフェムト王子に氷魔法を教えていたのだが、優秀な生徒だったのであっという間に習得した。あの頃はユリシスが敬語を使っていたが、現在、ユリシスの立場が上になったので、フェムト王子が敬語を使っている。

「ジハールも……一応フェムト王子の護衛を続けているのだな」

 ユリシスは客間の扉の前に立っている男に目を向け、皮肉っぽく言った。

「俺はフェムト王子の護衛騎士だからな」

 扉に寄りかかっていたジハールがニヤリとして答える。ジハールはブルネットの長い髪にサファイヤのごとき青い瞳、均整の取れたがっしりした肉体の青年だ。焼けた肌に鋭い瞳がユリシスを見つめる。グラナダ王国の騎士の制服を着ているが、実は彼の正体は南の魔王の息子で、竜に変化する。ジハールはフェムト王子との密約で彼の護衛騎士を装っているのだ。

 ジハールは前国王陛下に深い恨みを抱いていた。

 ユリシスの助言でひそかに暗殺を成功させ、国へ戻ったと思ったのだが……。

「お前の手際が見事だったのは認めよう。だが、俺にとばっちりがきたのは不快極まりない。お前のせいで俺が国王代理などする羽目になったのだぞ」

 客間の長椅子に二人を招き、ユリシスはじろりとジハールをにらみつけた。ジハールには恨み言のひとつでも言わなければ気がすまない。

「それは俺の知ったことではない。お前が優秀すぎたのが悪いんだろうが。王の器ではない者を担ぎ上げたりしない」

 おかしそうにジハールが笑い、何故かユリシスの隣に腰を下ろす。てっきりフェムトと並んで座ると思っていたので、ユリシスは目を丸くした。

「ジハールは陛下とずいぶん親しくなったようだね」

 フェムト王子もジハールの気安い様子に戸惑っている。

「ああ。こいつとはちょっとした縁があってね」

 ジハールが思わせぶりにユリシスの銀髪を指でいじる。それをばしんと振り払い、ユリシスは睨みつけた。ジハールは正体を明かしてからというもの、やけにれ馴れしい態度をとってくるようになった。冗談だと思うが、魔族は男でもはんりよに出来るとのたまった。

「口の利き方がなってないな。少しは礼儀をわきまえろ」

 ユリシスはやけに近づいてくるジハールをぐいっと押しのけ、ため息をこぼした。国王代理になってこれまで以上にへりくだってくる人が増えるのが面倒でならなかったが、ジハールのように距離を詰めすぎるのもめない。ジハールの正体を知っているから見逃すが、他の人がいる前でこいつ呼ばわりされたら、剣を抜くしかない。

「国王陛下の仰せのままに」

 わざとらしい口ぶりでジハールが言い、メイドが運んできたお茶に口をつけた。ユリシスが促すようにフェムト王子に目を向けると、居住まいを正してフェムト王子が頭を下げる。

「陛下、おかげさまで氷魔法を習得できました。一週間後にはグラナダ王国に戻ることになったので、ご挨拶に参りました」

 フェムト王子は誇らしげに言う。

「そうか……。想定よりも速い習得だ。フェムト王子なら、国に多大な力を与えることだろう。期待している」

 ユリシスはフェムト王子の熱意を好ましく思い、大きくうなずいた。授業をしていた時も熱心に魔法の訓練に励む勤勉さがあった。氷魔法は、熱砂の国グラナダで大きな力を及ぼすだろう。第三王子が王位を得るのも不可能ではないとユリシスも思った。

「短い留学期間だったな。イザベラが寂しがる」

 フェムト王子が国に戻ると知り、ユリシスはフェムト王子と親しくなったと話していたイザベラを思い出して言った。アレクシス王子の婚約者であるイザベラは、気軽に他の男性と話せない。その点フェムト王子は外交という理由で話しても問題なかったのだ。

「イザベラ嬢は周りの人と仲良くやっているので問題ありませんよ。以前はマリアという変な女に絡まれていましたが、今はいなくなりましたからね」

 フェムト王子に明るく笑われ、ユリシスも苦笑した。

「そういえば私と入れ違いに夏期休暇明けにアリウナ国から王女が留学に来るそうです」

 思い出したようにフェムト王子が語る。アリウナ国は隣国のひとつで、小国だが、多くの魔法士を輩出している。

「珍しいな……。私は書類を見ていないので、おそらく前国王が許可したのだろう」

 ユリシスはあごでてつぶやいた。他国からの王族の留学に関しては、最終的に国王陛下が認可する。アリウナ国ということは、魔法を使えるのだろうか?

「そういえば、アレクシス王子が短期留学しているのもアリウナ国じゃなかったか?」

 思い出してユリシスはまゆを寄せた。息子にもっと力をつけさせなければならないという皇太后の計らいで、アレクシス王子はアリウナ国に三カ月の短期留学をしている。他国の王族と関わり、政務にかそうという狙いだろう。その点でいえば、クラヴィス王子はすでに留学経験もあるし、話せる言語も五カ国語くらいはある。才能という観点だけなら、アレクシス王子よりクラヴィス王子のほうが秀でている。

「では、アレクシス王子と一緒にフィンラード王国へ来るのかもしれませんね」

 フェムト王子が何げなく言った言葉が頭に引っかかった。最近どこかで聞いたような気がしたのだ。だが思い出そうとしても何も浮かばず、きっと気のせいだろうとユリシスは疑問を放置した。

 フェムト王子とジハールとは、一時間ほど各国の情勢や情報を語り合い、次の予定があったので謁見は終了となった。

「お前も帰るのか」

 フェムト王子が国に戻るのは当然として、護衛騎士をかたっているジハールはどうするのだろうと思い尋ねると、にやりと笑われた。

「一応フェムト王子を国まで送り届ける。最後まで護衛の仕事をこなさないといけないからな」

 楽しそうに語るジハールは、フェムト王子を王位につける契約をしているらしい。

「頃合いを見てまた来る」

 去り際にユリシスに耳打ちしていったジハールの脇腹をつつき、「来なくていい」と冷たくあしらった。ジハールは大げさに痛そうなそぶりをしていたが、竜の身体を持っているのだから、あの程度で痛いわけがない。

(変な奴に好かれたな)

 ジハールの熱を含んだ瞳を煩わしく思いつつ、ユリシスは執務室へ戻った。

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悪役令嬢の兄の憂鬱 夜光花/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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