1 妹は悪役令嬢……ではない③

 二時間後のお茶会の時間になると、ユリシスは衣服を改めて中庭へ向かった。中庭の四阿あずまやがある一角で王宮の陛下付きの侍女たちがお茶会のセッティングをしている。すでにテーブルには白いクロスがかけられ、ティーセットとケーキスタンドの用意がされていた。人数が二人増えたにもかかわらず、侍女たちはきちんと場を用意してくれている。

「お兄様!」

 四阿に向かう途中でこの騎士に案内されたイザベラとアンジェリカが現れた。イザベラは水色のドレス、アンジェリカは群青のシルエットラインが美しいドレスを着ている。

「よく来てくれた、イザベラ」

 ユリシスは嬉しそうに近づいてきたイザベラを軽く抱きしめ、あいさつを交わした。イザベラはユリシスと似た面立ちのもうすぐ十七歳になる美少女だ。青みがかった銀髪にぱっちりとした青い目、ほっそりしたきやしやな身体つき。今日は長い銀髪をさらさらとなびかせている。

 ユリシスはイザベラの後ろにいたアンジェリカに目を向ける。

「アンジェリカ嬢。来てくれて感謝する」

 ユリシスはアンジェリカの前に跪き、その手に軽く口づける。アンジェリカ・リンドール侯爵令嬢は美しいカーテシーを見せて微笑んだ。アンジェリカは切れ長の青いひとみに気の強そうな高い鼻、女性にしては背が高くすらりとしている二十歳の女性だ。今日は長い黒髪をアップにしている。

「国王陛下にお招きいただき、感謝の念に堪えません。お元気そうでよかったですわ」

 いつも通りのそっけないともとれるアンジェリカの口調に、ユリシスは口元をゆるめて一礼した。アンジェリカとは婚約関係にある。まだ両親が存命だった頃、親同士の約束で婚約を交わした。

「イザークは知っているな? 彼も参加したいと言っている。あともう一人、ゲストが来るが構わないだろうか」

 ユリシスが背後にいたイザークを手招くと、アンジェリカの顔がほころんだ。

「イザーク、久しぶりね。最近どうしているかと思っていたわ」

 アンジェリカはユリシスよりよほど気安い口調でイザークに話しかける。

「はい。アンジェリカ様、今日も大変お美しいです。ユリシス様が王宮に滞在しているので、公爵家においでにならなくて、一同寂しがっておりますよ」

「まぁ、うれしいことを。そうね、ユリシスがいなくても様子を見に伺おうかしら」

 仲良さげに話しているアンジェリカとイザークに、ユリシスはこほんとせきばらいした。慌ててイザークがアンジェリカから離れる。

「そうよ、アンジェリカお姉様、私が戻っている時にでもぜひ公爵家のタウンハウスへいらして下さいな」

 イザベラはアンジェリカに抱き着いて、ねだるように言う。三人で笑い合っている姿を見て、疎外感を覚えたユリシスは、じろりとイザークをにらんだ。

「あっ、これはユリシス様を大好きな集まり故のフランクさですからっ。私にしつしないで下さいよっ」

 冷たい目でユリシスに見られているのに気づいたのか、イザークが必死に弁解する。

「それよりもう一人のゲストって?」

 イザベラがきょろきょろと周囲を見回す。すると、王宮のほうから近衛騎士を伴ってクラヴィス王子が現れた。

「あら……」

 意外な人物が現れたせいか、アンジェリカが扇子で口元を覆う。イザベラも驚いたように背筋を伸ばした。クラヴィス王子は花束を抱えていて、まっすぐにイザベラの元へ向かった。

「モルガン公爵令嬢、お会いできて光栄です。私はクラヴィス・ド・モレスティーニ。お近づきの印にどうぞ、受け取って下さい」

 クラヴィス王子が差し出した花束は、王宮にだけ咲くとされている深紅の『ルミエール』だった。『ルミエール』は先々代の国王が王妃に求愛する時に差し出した薔薇として知られている。跪いて花束を差し出すクラヴィス王子に、イザベラはびっくりして固まっていた。

 ふつうならば、婚約者のいる相手に贈る花束ではない。婚約者を相手にけんを売っているようなものだからだ。これがその辺の貴族の子息だったらやめておけというところだが、アレクシスと同じ王子という立場だったので、ユリシスは黙っていた。

「え、でも……あの……」

 イザベラは戸惑ったように視線を泳がせた。その頰が少し紅潮していて、まんざらでもないのが伝わってくる。それに気づいたのか、アンジェリカが「王子からの贈り物ですから」と小声で背中を押す。

「……ありがとうございます。私がこの色の薔薇をお好きとご存じなのかしら」

 イザベラはにこりと笑ってクラヴィス王子からの花束を受け取る。クラヴィス王子が嬉しそうに微笑み、すっと立ち上がった。立ち上がると小柄なイザベラとは身長差があるのが分かる。

「陛下の婚約者であられるリンドール侯爵令嬢にも、花を贈るのをお許し下さい」

 クラヴィス王子はそう言って後ろについていた侍従から、季節の花をまとめた花束を受け取り、アンジェリカに渡す。アンジェリカも礼を言って受け取った。

「今日はクラヴィス王子も一緒にお茶をしたいと言ってきてな。人数が増えたが、構わないだろうか?」

 ユリシスは席のほうへ誘い、確認した。否やということもなく、それぞれ席に座る。イザベラとアンジェリカはお付きの侍女に花を渡して、腰を下ろした。

 お茶会は和やかなムードで進んだ。クラヴィス王子はイザベラだけではなくアンジェリカやイザークにも話を振る社交性を見せ、場を盛り上げた。社交性のかけらもないユリシスとしては、大いに助かった。

「クラヴィス王子殿下とは小さい頃に、中庭でよく遊んでもらってましたね。あの頃は私、おてんばだったので恥ずかしいです」

 イザベラはクラヴィス王子と話しているうちに小さい頃の記憶がよみがえったらしく、恥ずかしそうに言う。両親が生きていた頃、イザベラは男の子みたいに駆け回る活発な少女だった。七歳の時に母が亡くなり、が面倒を見るようになって、がらりと性格が変わった。

「俺はとても好ましく思ってましたよ。あなたは花のように明るくて」

 クラヴィスは話しながら打ち解けてきたのか、砕けた口調になってきた。

「婚約者を持つなら、あの子がいいと母に訴えていたほどね」

 意味深な目つきでクラヴィス王子がイザベラに告げる。びっくりしたようにイザベラが目を見開き、アンジェリカが「まぁまぁ」と目を輝かせる。

「その後にアレクシスがあなたと婚約をして、その話は消えてしまいましたが……。本当にアレクシスがうらやましいです」

 微笑みながらクラヴィス王子はイザベラを見つめる。自分の前でいい度胸だとユリシスは逆に感心した。アンジェリカは他人の恋愛話が好きなのか、隣にいるイザークと興奮して喜んでいる。イザークはお茶会が始まってから、声こそ出さないが百面相で興奮を伝えてくる。クラヴィス王子の発言に顔を赤くしたり、持っている茶器を震わせたり、時にはきようがくしたようにクラヴィス王子を凝視したりする。この様子がおかしい執務補佐官を、クラヴィス王子は大人の態度で受け入れている。

「そろそろ時間だ」

 侍従がユリシスの元へ来たのを合図に、お茶会の終了を宣言した。ユリシスはアンジェリカに手を差し出し、「アンジェリカ、少し庭を歩かないか」とエスコートを申し出た。

「では、私がイザベラ嬢を馬車まで送ります」

 すかさずクラヴィス王子が立ち上がり、イザベラを誘導した。イザベラはイザークに任せようと思ったが、クラヴィス王子の申し出を断るのも無粋なので軽くうなずいた。イザークは婚約者のいるイザベラがクラヴィス王子と二人きりでいるのは良くないと思ってか、二人の少し後ろを離れてついていくことにした。

 イザベラたちと別れ、ユリシスはアンジェリカの手を取って薔薇園のほうへ歩いた。二人きりになるのはかなり久しぶりだ。春の園遊会以来かもしれない。

「何かお話があるのかしら?」

 夏の薔薇を眺めながら、アンジェリカが硬い口調で切り出した。こちらをまったく見ないので、もしかして怒っているのかもしれない。国王代理になってから日々が忙しく、アンジェリカとはまったく時間を持てずにいた。季節の贈り物は一応したが、そっけない返事しか戻ってこなかった。もともとアンジェリカは自分を好いていないので仕方ないが。とはいえ、こんなふうに単刀直入に聞いてくるさばさばしたところを、ユリシスは気に入っている。他の令嬢は遠回しにぐだぐだと話してくるので、時間の無駄と感じてしまうのだ。

「国王代理になって、俺はその間、結婚はできないことになった」

 ユリシスも話さなければならないことをストレートにぶつけた。

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