1 妹は悪役令嬢……ではない②

 イザークがいても構わないだろうと思い、ユリシスはあごをしゃくった。衛兵が扉を開けて、クラヴィス王子を招く。入ってきたのは第一側室の第一王子、クラヴィス・ド・モレスティーニだ。青い理知的な瞳にせいかんな顔つき、さらりとした黒髪、鍛えられた肉体を持つ十九歳の青年で、今日は紺色の礼服をまとい、クラバットをつけている。

「続編のメイン攻略キャラ!」

 イザークに紹介しようとした矢先、甲高い声で叫ばれた。イザークはクラヴィス王子を見て動揺している。クラヴィス王子のほうも目を丸くしてイザークを見返す。

「……イザーク?」

 ユリシスは目を細めて机に肘をついた。それでイザークはハッと我に返り、慌てたように腰を九十度に曲げる。

「フィンラード王国のクラヴィス王子殿下にごあいさつ申し上げます。陛下の執務補佐官をしておりますイザークと申します」

 イザークはクラヴィス王子に対して礼儀正しくお辞儀する。訳の分からない発言をしてクラヴィス王子を困らせることは控えたようだ。

「クラヴィス王子、私の信頼する補佐官だ」

 ユリシスは椅子から立ち上がり、机を回り込んでイザークを紹介した。国王代理になって一番変わったのは、ユリシスの言葉遣いだ。以前はクラヴィス王子に敬語を使っていたユリシスだが、今は立場が逆転したのもあって、敬語を封じている。

「陛下の……」

 クラヴィス王子は鋭く感じる瞳でイザークを見つめ、にこりと微笑んだ。

「お初にお目にかかります。陛下の腹心とあらば、優秀な方でしょう。私はクラヴィス・ド・モレスティーニ。お目にかかれて光栄です」

 クラヴィス王子はイザークがファーストネームしか名乗らなかったことで、平民だと分かったはずだが、礼儀を持って対応してくれた。好感がもてる。しかもイザークに進んで手を差し出した。紅潮した頰でイザークはその手を握り返し、ぎくしゃくと一歩退く。

「陛下。突然の訪問をお許し下さい。実はこの後、陛下がイザベラ嬢、アンジェリカ嬢とお茶をするという話を聞きました」

 クラヴィス王子は口元に笑みをたたえて、ユリシスに切り出す。

「ああ。それがどうかしたか」

 ユリシスが無表情で聞き返すと、クラヴィス王子がぺこりと一礼する。

「どうか、私もそのお茶会にお招きいただけないでしょうか?」

 クラヴィス王子の申し出に、ユリシスは一瞬戸惑った。夏期休暇でタウンハウスに戻ってきたイザベラと、婚約者であるアンジェリカを招き、二時間後に中庭でお茶をする約束をしている。どこで聞きつけたか知らないが、クラヴィス王子はそのお茶会に参加したいらしい。

(目的は何だ? アンジェリカとは挨拶程度の会話しかしていないはずだ。イザベラと仲良くなりたいということか? 俺に近づくため?)

 ユリシスがとっさに思いを巡らせたのは、次期国王候補の一人であるクラヴィス王子が、何の理由もなしに茶会に参加するはずがないからだ。そのもくを探らなければならない。何しろ、現在イザベラの婚約者であるアレクシス王子が、隣国に短期留学をして国内にいない。

「お悩みになるのも、ごもっともです。でも、陛下。私は幼い頃、イザベラ嬢と遊んだ記憶があります。アレクシスの婚約者になってからは気軽に会えない関係になってしまいましたが、私にもチャンスをいただきたい」

 堂々とした態度で言われ、ユリシスはクラヴィス王子の気持ちを測りかねた。クラヴィス王子の目は真剣で、何か熱い想いを秘めているようだ。

(まぁ……別に俺はアレクシスじゃなくてもいいしな。イザベラを大切にしてくれる男は他にもいるかもしれない)

 悩んだ末に、ユリシスは「分かった。許可しよう」と答えた。

(そもそもアレクシス王子はイザベラに対してすげない態度をとることがあるのが腹立たしかった。イザベラが美しくひくてあまたということをアレクシス王子にも知らしめる必要がある)

 ユリシスにとっては、イザベラの相手が誰であろうと問題はない。重要なのはイザベラをきちんと守り抜けるか、生涯愛してくれるか、ということだ。

「ありがとうございます! このお礼は自身をもつて陛下の役に立つと証明します」

 クラヴィス王子はうれしそうに顔を輝かせ、深く一礼した。

「ではまた後で」

 機嫌のよい顔つきでクラヴィス王子が執務室から去り、ユリシスはふうと息をこぼした。アレクシス王子と違い、クラヴィス王子には底の知れないものを感じる。甘やかされて育った王子には思えない。魔力が強いこともあるが、傍にいると強者のオーラを感じるのだ。トラフォト家がクラヴィス王子こそ次期国王にふさわしいというのが分かる気がする。クラヴィス王子は二番手に甘んじる性格ではない。

「ふぉおお、ユリシス様っ、あ、あの方は続編のメイン攻略者……、い、いえ、私の予言によると黒魔術を暴いたり、竜の谷へ行ったり……っ」

 いきなりイザークが妙なことを言いだして、ユリシスはこめかみを引きらせた。

「お前、もう予言はできないと言ってなかったか?」

 ついこわもてでイザークに迫ったのも仕方ない。イザークは以前、もう自分の知る未来は変わってしまったから予言はできないと言っていたのだ。

「そそ、そうなんですけど、まだ悪役令嬢は終わってなかったかもというか……」

 動揺したままイザークが口をぱくぱくさせる。

「また悪役令嬢か。イザベラは悪役などではないと言っただろうが」

 イザークは優秀だが、妹を悪役呼ばわりするのだけはいただけない。確かに更生する前は多少性格が悪かったかもしれないが。

「あっ、いえ、続編は公女様が悪役令嬢じゃないんです。隣国の王女が悪役令嬢で……いや正しくは王女の侍女が黒幕……」

 イザークがぶつぶつと理解不能な話をする。よく分からないが、イザベラは関係ないと知ってホッとした。

「まぁ確かに、ヒロインのマリアが舞台から去ったし、何も起こらないかなぁ……。私の知っている未来視ですと、マリアが毒を盛られて真実の愛のキスで目覚めるっていう童話さながらのシーンがあるんですけどね。マリアは……今頃聖女のお役目で大変ですもんね。王都にいないし」

 苦笑しながらイザークが言い、ユリシスは唇をゆがめた。

 マリアと他の聖女三名は、巡礼の旅と称して王都から追い出した。今期の聖女候補は全部で四名いたのだが、ユリシスが国王権限を発令して全員聖女に格上げさせたのだ。三カ月ほど現聖女の下で修行をさせて、各地に結界を張りに遠征に行かせている。帰ってくるのは五年後の予定だ。

「ああ。あのうつとうしい女がいなくなって、すっきりした」

 ユリシスは清々してうなずいた。マリアという少女はアレクシス王子や騎士団団長の息子、伯爵家の息子を手玉に取り、女王のごとく振舞っていた。ないがしろにされていた妹のことを思い出すと今でも怒りが沸く。しかもマリアはユリシスに対しても身分をわきまえることなく猛烈にアタックしてきた。頭のネジが一本外れているのだろう。

「もう何も起こらないと思いますが……あのぅ、ユリシス様」

 もじもじとイザークが上目遣いになってくる。

「何だ、気持ち悪い」

 自分より年上の男が期待に満ちたまなしを向けてくるのは、あまり楽しいものではない。

「先ほどの褒賞の件ですが……私もお茶会に参加しては駄目でしょうか……?」

 神に祈るようなポーズでイザークがひざまずいてくる。理由は分からないが、イザークはクラヴィス王子とお茶がしたいらしい。以前もユリシスに対して異常な興奮ぶりを見せたことがあるし、ひょっとしてイザークは男性が好きなのだろうか? 他人の性癖についてとやかく言いたくはないが、いくら男性が好きだろうと望みの薄い相手に近づいても無駄ではないか。

「あっ! 決して、決して、クラヴィス王子殿下とお近づきになりたいとか、そのような大それた考えは持っておりませんので! ちょっとアイドルをかい見たい、そんなミーハーな心だけですからっ」

 ユリシスの心情を察したのか、イザークが口早にまくし立てる。アイドルとかミーハーとか、聞いたことのない言葉を使うが、もしかして俗語だろうか?

「……粗相はするなよ」

 拒否しようかと思ったが、イザークに世話になっているのは事実だ。ユリシスは苦渋の思いでくぎを差した。イザークの顔がぱっと輝き、全身で喜びを表現する。ほとんど感情が揺れることのないユリシスからすると、イザークの表現は大げさすぎる。

「ありがとうございます! ありがとうございます! また何かあった場合には必ずユリシス様をお守りしますので!」

 狂喜乱舞しているイザークに何度も頭を下げられ、ユリシスはあきれ顔で政務に戻った。

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