1 妹は悪役令嬢……ではない①

 山積みになった書類仕事をもくもくと片付けながら、ユリシス・ド・モルガンは机の前で待ち構えている執務補佐官たちの言葉に耳を傾けた。

「……本当に、こういっては何ですが、モルガン様に国王代理をしてもらえて我々官僚は大変助かっております。こんなに早く仕事が進むなんて! 定時で帰れるなんて! 徹夜しないで仕事が終わるなんて!」

 感激した様子で礼を言っているのは、国王の執務補佐官の一人で、ベリル伯爵だ。眼鏡をかけた生真面目そうな地味な中年男性で、印を押された書類をうやうやしく受け取る。

「我々もモルガン様の仕事の速さに驚くばかりです。これまで二カ月かかった仕事が十日で終わるのですから、一体前国王は何をしていたのかと……いえ、今のは失言でした」

「その気持ちわかります。前の陛下……失礼、今は亡きお方は仕事を溜めてもおかまいなしで女遊びばかりして……、この執務室に女性を何人連れ込んでいたことか、王宮の風紀が乱れると、何度ロクサーヌ前王妃に進言したか分かりません」

「最中は絶対扉を開けるなと言われて、扉の外で書類を抱えながら屈辱に震える日々……今となっては懐かしいですな。二度とごめんですが」

 補佐官たちがこれまでのうっ憤を晴らすように、前国王ランドルフの悪口を言い立てる。本人の前では決して言えなかったくせに、まかったとたん、この始末だ。それも仕方ないかもしれない。確かにランドルフ前国王には悪い面がありすぎた。暴君というほどではないが、政務よりも女をはべらすほうに時間を割いていた。ロクサーヌ前王妃が賢妃と呼ばれる女性だから、政務の多くを担ってくれたので、かろうじて滞らなかっただけだ。

「これで書類は全部だな?」

 ユリシスは束になった書類を確認して、目の前で顔をほころばせている執務補佐官たちに渡した。彼らはすぐさま書類を確認して満面の笑みを見せる。

「ありがとうございます。こんなにスムーズに仕事が進んでうれしいです」

 執務補佐官たちは口々に礼を言い、書類を抱えて執務室を出て行った。

 ユリシスはふーっとため息をこぼし、侍女のれたお茶に口をつけた。国王の執務室は三つの部屋に分かれている。メインの部屋には重厚な机があり、棚には仕事に関わる書類や書物がずらりと並び、壁には歴代の国王の絵が飾られている。その右隣にはこの国の法や歴史に関係する図書室が、左隣には仮眠できる寝室がある。先ほど補佐官たちが文句を言っていたのは、この寝室を仕事中にランドルフ国王が使っていた件だ。

(脳が疲れる……やはり公爵家の仕事より、国王の仕事は責任が重い)

 執務の速度は上がったと官僚は喜んでいるが、これまでの一部の領地を任された仕事とは、比べ物にはならない。国王の仕事は国内全域におよぶ。その内容も多岐にわたり即断できないことが多い。それでも公爵家で仕事をこなしていたことが役立ち、今のところ大きな問題は起きていない。

 国王代理になってから早三カ月が過ぎ、季節は夏になった。

 三年間の国王代理を無事にすませることが重要だ。

 ユリシスが国王代理の座に就くことになり決まったことは、まず国王の権限の多くを所有することだ。とはいえ、できないこともある。次期国王を決める権限はユリシスにはない。次期国王は、今のところ正妃の息子であるアレクシス王子と、第一側室の息子であるクラヴィス王子のどちらかになることが決定済みだ。

 この国では男子は十八歳、女子は十五歳を成人と認めている。女子のほうが早いのは、婚期に関係している。若いうちに娘を有力貴族にめとらせようとする貴族も多く、低年齢出産で死ぬ確率が高くなっているのが問題になっていた。

 アレクシス王子が正妃の息子であるにもかかわらず、王位を継げなかったのは、成人前というのも大きかった。対してクラヴィス王子はアレクシス王子より二年早く生まれたので、とっくに成人している。

 クラヴィス王子は落ち着いたたたずまいの理知的な青年で、剣の腕も立つし、魔法も使える。加えて、アカデミーにいた頃から積極的に政務に関わり、存在感を示してきた。二大公爵家のうち、トラフォト家はクラヴィス王子と小さい頃から関わっていたのもあって、クラヴィス王子こそが次期国王になるべきだと推している。

 ユリシスの目からも、アレクシス王子は若いだけでなく頼りない面がある。

(特にイザベラとのことはいまだに許せない部分がある)

 ユリシスにとって、この世で一番大事なのは妹のイザベラだ。

 早くに両親を亡くしたユリシスは、血を分けた妹を愛している。イザベラのために何でもするつもりだし、その身を守ることを第一としている。そのイザベラは、第一王子アレクシスの婚約者でもある。イザベラが幼い頃に、金髪に青い目といかにも物語に出てくるような王子像だったアレクシスを見てひとれした。可愛い妹に泣きつかれて、ユリシスは戦争の褒賞としてイザベラとアレクシス王子の婚約を望んだ。

 そのアレクシス王子だが、わがままに育ったイザベラを毛嫌いしていた。執務補佐官だったイザークの助言で少しその仲が改善されたと思ったのもつかの間、王立アカデミーで出会った聖女候補の平民の女性と懇意になり、イザベラにそっけない態度をとるようになった。

(いくら魅了の力を使われたとはいえ、一時はイザベラをすげなく扱ったのだ。兄としてはあんな男に妹を託したくない)

 ユリシスのげきりんに触れ、アレクシス王子はイザベラの元へ戻ってきたが、心の中にはわだかまりが残った。我が妹は男の趣味が悪い。いくらでも選べる立場にいるのだから、もっと頼りになる男を選ぶべきだ。

 少し休憩を取ろうと思ってお茶の時間にしたが、頭の中をぎるのは妹への思いばかりだ。もんもんと考えてしまうのは、この後、イザベラとお茶をする約束をしているからかもしれない。

「失礼します、陛下」

 お茶を飲み終えた頃を見計らい、衛兵が執務室をノックしてくる。

「イザーク様がお越しになりました」

 衛兵に声をかけられ、入るよう許可した。すぐに扉から赤茶色の髪にとびいろひとみ、背の高いひょろりとした男が背中を丸めて入ってくる。イザークは二十七歳のユリシスの執務補佐官だ。平民だが、いくつもの画期的な魔法具を発明し、王立アカデミーも首席で卒業した天才だ。ユリシスが爵位を継承した頃に、魔法具を売り込みたいが、貴族のつてがないと言ってユリシスの元を訪れた。

「陛下、お時間をとっていただきありがとうございます」

 イザークは大きな荷物を抱えながら部屋に入ってきた。ユリシスの気持ちを察するのが得意な彼は、国王代理になったからといってうつとうしい美辞麗句は使わない。事務的で、仕事の速い彼には、妹の件でずいぶん世話になった。

 イザークは予言者だ。

 神から授かった力で先の未来を見通している。そのイザークから、妹が破滅し、自分がこの国を乗っ取る未来を聞かされた。最初は何をまいごとを抜かしているのかと信じなかったが、イザークの言った通りの未来が起き、予言者だと信じるようになった。

 イザークのおかげで破滅への道を進んでいたイザベラは、今ではどこに出しても恥ずかしくない立派な淑女になった。最近ではアカデミーでも人気者で、多くの令嬢に慕われていると聞く。

「待っていたぞ、報告を頼む」

 イザークへの信頼が厚い今、ユリシスは大事な領地をイザークに任せることにした。三年後には公爵に戻る身だ。それまでは領地を維持しておきたい。その点、イザークは優秀で、平民であることを除けば誰よりも能力は高かった。ただやはり、平民であるイザークに従いたくないという貴族はおり、仕方ないのであくまでイザークは『伝令役』であることを周知させた。これはイザーク本人から申し出たことでもある。

『私が閣下の代理で取り仕切ると、不満を漏らす者も多いでしょう。ですから、私は閣下の指示を聞いているだけという体でお願いしたいです。週に一度か、十日に一度は必ず謁見してもらえると嬉しいです』

 イザークはそう言って、拠点を王都のタウンハウスに決め、定期的に王宮を訪れてきた。ユリシスとしても細かく領地の状況を知らせてくれるのはありがたい。

「イザーク、ずいぶん領地改革が進んでいるようだな」

 報告書にざっと目を通し、ユリシスは感心して言った。イザークに任せた農地改革は、この半年で如実に成果が表れていた。イザークの提唱した農法が画期的だった。

「はい。公女様のおかげで領地は魔物が入ってこないので、領民は安心して暮らしています。農家の方にとっては戦争や魔物といった外的要因がないのは重要ですから。結界のおかげか分かりませんが、天候にも恵まれて……」

 イザークは自分の手柄を自慢するわけでもなく、淡々と答える。

「お前には特別褒賞を与えなければならないな」

 ユリシスは口角を上げて、指定された箇所にサインを記していった。すると、イザークが頰を赤くして、ぷるぷる震えている。

「ユリシス様の微笑み……っ、特別褒賞いただきました……っ」

 感激したように身をくねらせ、イザークが言う。有能で天才なこの男は、時々変な発言をしてユリシスを困惑させる。

「笑いなど一マルクにもならないものが褒賞代わりになるわけがないだろうが。お前は時々頭の悪い発言をするが、わざとか?」

 イザークの真意を測れず、ユリシスはムッとした顔つきになった。名前を呼ぶのを控えるよう以前は言っていたが、最近では他に人がいなければ許すことにしている。

「と、とんでもございません! 私は──」

 身を乗り出してきたイザークを遮るように、ノックの音が響いた。衛兵が「クラヴィス王子殿下のお越しです」と声をかけてくる。

「入ってくれ」

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