プロローグ②
イザークが次に過去の記憶を呼び覚ましたのは、王立アカデミーを卒業して二年後の二十一歳の時だ。
それまで興味がなかった社交界に、知り合いの商会長に連れられ参加する機会があった。パーティーでは久しぶりにユリシスを見かけた。
「あの方が現在の公爵だ。父親が亡くなって、若くして公爵家を継ぐことになった。まだ若い彼を侮って、いくつかの商会が取引を止めたという。君のような平民が声をかけられるのは、今だけだぞ。半年後には隣国と戦争が起きるなんて噂もあるしな」
会長はイザークの発明品を高く買っていて、耳寄りな情報を教えてくれた。だが、その時、イザークはそれどころではなかった。
名前は知っていたけれど、この国の王様や王子を初めて見て、大きな衝撃を受けていた。
ランドルフ・ド・モレスティーニ国王陛下、王妃の息子のアレクシス王子、トーマス王子──王様は太った身体に黒い髪、青い目の脂ぎった中年男で、アレクシス王子は金髪に青い目の
「あ、あの……公爵には妹がおられます……? まさかイザベラとかいう名前じゃ……」
イザークが青くなりながら聞くと、会長がきょとんとする。
「ああ、イザベラ様だよ。歳が十歳くらい離れていたっけ」
何をいまさらと聞かれ、イザークは卒倒しそうになった。王立アカデミーにいた頃も似ていると思ったが、これほど周囲に昔好きだったゲームのキャラと似ている人物がいるなんて信じられない。
(えーっ!! もしかして本当にゲームの世界なのか!)
遅まきながらその事実に気づいたイザークは、国王の第一側室の子どもについて調べた。するとやはり攻略キャラの一人と同じ名前で、見た目もそっくり。ここまで類似すると、イザークもただの偶然ではないと思うようになった。
理由は分からないが、自分は乙女ゲームの世界に存在している。これが長い夢なのか、それとも原作者がこの世界の話を夢か何かで
(これは……チャンスでは?)
イザークはがぜん張り切った。ただの偶然かもしれないが、もしそうでなかったら、推しに現実世界で近づける機会を得たのだ。たくさんの薄い本と攻略本を熟読した自分には、ユリシスというキャラの人となりが分かっている。ユリシスは現実主義者で、貴族の凝り固まった権威主義とは一線を画している。能力のある者を雇用すると有名だし、自分の発明品を売り込むには格好の相手だ。
イザークは会長にユリシスとの渡りをつけてもらうよう頼み、いくつかの商品を売り込みに行った。
間近で見るユリシスは、この上なく美しく、そして冷酷だった。
にこりとも笑わず、冷ややかな空気をまとい、少しでも粗相をしようものなら剣で斬り刻まれるという、噂通りの迫力の持ち主だった。イザークの知っているゲームキャラのユリシスは、こめかみに傷があるが、目の前の男にはそれはない。やはりただの偶然かもしれない。イザークは緊張で
「私は平民の身なので、貴族に売り込むつてがありません。どうか、私と取引をしてくれませんか?」
イザークは低姿勢で頼み込んだ。
ユリシスはイザークの持ち込んだ商品を自分の目で動かして確かめ、そして即決した。
「いいだろう。素晴らしい商品だ」
無表情のまま、ユリシスはイザークと取引を交わす書類にサインをした。
「そなたは確か同じアカデミーだったな。座学では常に首席だったのを覚えている。このような素晴らしい品を発明するだけのことはあるな」
ユリシスは取引が成立した後、思い出したように言った。
てっきり自分のことなど目にも入っていないと思っていたが、ユリシスはイザークのことを覚えていた。目の前の男が本当にゲームキャラのユリシスであろうとなかろうと、どうでもいい気がした。今、この瞬間、ユリシスはイザークの推しになった。
(うおおお、推しに認知されてるーっ。やばっ。結局、銀髪、赤眼、クールキャラが好きなんだよなっ)
ユリシスと話すだけで天にも昇る心地だったが、現実主義のユリシスはつまらない
イザークの発明した商品の数々は、公爵家を発信元として飛ぶように売れた。ユリシスにとっても、失った取引分を上回る大きな利益となったようだ。
翌年、ユリシスは隣国との戦争に参戦し『シャルカッセンの鬼神』と呼ばれるほどの手柄を立てた。敵国の将の首をいくつも取り、子どもが泣いて逃げる悪魔のごとき軍神ぶりを見せたそうだ。
戦争が終結し、戻ってきた時、ユリシスはイザークに「執務補佐官にならないか」と誘ってきた。推しに誘われて断るわけにはいかない。イザークは二つ返事で引き受けた。
それから四年が経ち、イザークが二十六歳になった頃、恐れていた乙女ゲームの世界が始まった。
公爵家の令嬢イザベラはゲームそのままの悪役令嬢で、平民であるイザークのことは毛虫のような扱いをする。最初は放っておこうかと思ったのだが、実際に目の前でゲームと同じことが起こると、推しを助けずにはいられなかった。
「公女様は悪役令嬢なんです」
イザークは必死に自分の持っている記憶を伝えようとしたが、肝心のユリシスは最初、まったく信じてくれなかった。現実主義のユリシスにゲームの世界がどうのと言ったところで、理解されないし鼻で笑われるだけだった。むしろ、働きすぎではないかと過労を疑われた。
その後、どうにか信じてくれたものの、未来を知るイザークは予言者と勘違いされてしまった。この際、どんな勘違いでもいい、ユリシスに起こる未来を変えてほしかった。
(まさか、乙女ゲームの主人公があんなひどい子だったなんてなぁ)
ユリシスと共にイザベラの未来を良いほうに変え、ひいてはユリシスが反逆者にならないような道筋を整えた。物語の修正力が働くのか、いくつかの事象はそのまま起こってしまったが、肝心のイザベラが改心したことにより、ユリシスの周りは平和になった。
(ジハユリの尊い姿も見られたし、思い残すことはない)
イザークは補佐官という立場と、予言者であることを
乙女ゲームの主人公の性格が悪くて
ゲームの中ではクーデターを起こし、王位を乗っ取ったのだが、現実は本人のやる気がないのに駆り出される始末だった。ユリシスは三年後に、成人した王子二人のうちどちらかに王位を譲り渡す──。
「イザーク、ずいぶん領地改革が進んでいるようだな」
その日、イザークはユリシスに呼ばれて王宮の国王陛下の執務室にいた。ユリシスが国王代理をしている間、領地の差配はイザークに任されていた。決裁のサインはユリシスにしてもらうが、それ以外のことはイザークがやっている。
ユリシスはイザークがとりかかった領地改革の状況に満足そうだった。農地の中でも生産性の低い場所に適した野菜を作らせ、耕運機の開発もしていた。生産力が上がったことにユリシスは喜んでいる。
「はい。公女様のおかげで領地は魔物が入ってこないので、領民は安心して暮らしています」
イザークは領地で起きていることをユリシスに聞かせた。悪役令嬢だったイザベラだが、今ではすっかり聖女みたいになった。現在はまだ王立アカデミーにいるが、学年でもトップクラスの成績だ。昔は勉強が嫌いで逃げてばかりだったのに、人は変わろうと思えば変われるという見本になった。
イザークの報告をユリシスは熱心に聞いていた。その時だ。ノックの音がして、衛兵が「クラヴィス王子殿下のお越しです」と声をかけてくる。
クラヴィス王子殿下──と言われ、イザークはハッとした。
この国の王位継承順位は
とはいえ国王陛下が存命なら、順当に正妃の息子であるアレクシス王子が王位についていただろう。だが、まだ立太子される前の状態で国王陛下が死に、アレクシスが成人していないこともあって、その王位継承に名のある貴族から待ったがかかった。
国内で力のある貴族の半数が、側室の王子であるクラヴィスを推したのだ。国王暗殺の後の会議で、アレクシス派であるモルガン公爵──つまりユリシスがアレクシスを強く推せば、成人前だがアレクシスが王位についた可能性は高かった。けれどユリシスは積極的にアレクシスを推さなかった。皇太后の力だけでは重鎮たちを納得させることはできず、結局、思いもしなかったユリシスの国王代理という事態が発生したのだ。
(クラヴィス王子!)
イザークは心臓が高ぶって、ゆっくりと開いたドアに
ドアの向こうから姿を見せたのは、背の高いがっしりとした体格に黒髪、青い目の端整な顔立ちの青年だった。
「続編のメイン攻略キャラ!」
見知った顔を見たとたん、イザークはつい叫んでしまった。
それも仕方ない。あれほどやりこんだ乙女ゲームのキャラが実物となって現れたのだ。クラヴィス王子はびっくりした顔でイザークを見返し、ドアのところで固まっている。
「……イザーク?」
机に
(これまでぜんぜん現れなかったから変だと思ってたんだよ! やっぱり存在するんじゃないか! えーっ、クラヴィスが出てきて、何も起こらないわけ、あるか……?)
ユリシスが国王代理になった時点で、乙女ゲームの世界はもう終了したと思っていた。けれど、もしかしたら──。
イザークはさらなる試練が起こりそうで、不安と困惑、そしてひそかな期待が高まるのを感じずにはいられなかった。
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