悪役令嬢の兄の憂鬱 2

プロローグ①

 イザークは温暖な気候と広い台地を持つフィンラード王国に生を受けた。

 母はイザークが十歳の時に亡くなり、父が男手一つでイザークを育ててくれた。父は平民だが魔力が少しあって、魔法具店で魔法具の開発や修理に携わっていた。幼い頃から魔石を使った便利な道具に触れていたイザークは、母が死んだ後、その悲しみをまぎらわすべく、父の作業場で余った鉄くずやネジやボルトを使って遊んでいた。

 何のきっかけがあったか、今でも思い出せない。

 ただもくもくと心のままにある形を造り上げた時、あれ、これどっかで見たことあるな? と思い始めた。とたんに膨大な記憶がイザークの頭の中によみがえってきた。高いビル、空を飛ぶ物体、四角い箱から流れてくる冷たい空気、平らな薄い板に流れる映像、音、音、音──。

 イザークはありえない記憶と、信じがたい現在の状況に混乱してひっくり返った。

 父の話では、丸一日目覚めなかったそうだ。

 起きた時、景色は一変していた。イザークは自分が日本という国に生まれ、女性として一生を過ごしたことを思い出した。前世と言えばいいのだろうか。今の自分は正真正銘男なのだが、記憶の中では女性で、おひとり様をおうし、四十四歳の時に事故で亡くなった。

 イザークにはこのフィンラード王国で十年を過ごした記憶もちゃんとあるのだが、同時に女性として過ごした人生もあったことを思い出したのだ。

(っていうか、この世界どこだよ?)

 前世が日本で、高度な文明を経験したというのに、現在の自分は水洗トイレさえない世界に生きている。今まで何の問題もなく過ごしてきたが、日本で過ごした人生を思い出すと不便極まりない。まず電気がない。ニコラやエジソンもいないし、ハンスさえ現れていない。その代わりに、魔石という聞いたことのないエネルギー源がある。

 魔石は魔物の核から取り出せる石で、それ以外にも鉱山で採れたり、海中深くに沈んでいたりする。それが電池の代わりみたいに、明かりをともしたり、物を動かしたりするのだ。魔法具には欠かせない代物で、作業場の金庫に大切に保管されている。

(世界のどこにもこんな国ないよな? そもそも日本っていう国もないみたいだし)

 イザークが前世を思い出して最初に考えたのは、この世界の成り立ちだった。アダムとイブという話は存在せず、神話はあるものの聞いたことのない神様と聞きみのない国王の話ばかりだ。

 頭のいい老人に聞いたり、周囲の人に話を振ったりして知識を得ようとしたが、平民の身分では図書館には入れないし、書物は高すぎて買えない。それでもイザークは懸命に知恵を振り絞り、この世界について学んだ。

 結論として、イザークはまったく異なる世界に生まれついた、ということがわかった。フィンラード王国には周囲にいくつか国があるが、文明の進展は似たり寄ったりで、中世ヨーロッパ程度のものだ。けれど前世の世界と決定的に違うことがある。

 それは魔法だ。この国には魔法士がいて、魔法を使える。イザークの父にも魔力があって、何もない場所で火を灯したり、ちょっとした風を起こしたりすることができる。とはいえ、そのどれにもたいした力はなく、生活魔法と呼ばれるものだった。この生活魔法を使える平民は百人に一人くらいの割合でいる。あったら重宝されるが、なくても取り立てて問題はないレベルの存在だ。

 魔法士になれる人間は、大きな魔力を持っている。魔力が強い者には、他者に魔力があるかどうかの見分けがつくらしく、平民でも時おり、魔法士にスカウトされる子がいる。イザークは最初それに気づいた時、自分にも魔力があるのではないかと期待した。父の子なのだし、少なからず魔力があるはず、と。

(はぁチートは無理だったか)

 現実はそう上手うまくいくはずもなく、魔力の判定ができる神殿で調べた結果、イザークは魔力をまったく持っていなかった。日本で日々を謳歌していた頃、チートスキルで無双する話をたくさん読んでいた。見知らぬ世界に生まれてきたし、物語のように自分も活躍できるのかと夢を見たのだ。

 がっかりしたものの、前世の記憶はイザークにとって大きな宝となった。何しろ十歳の年齢に四十四年分の人生の記憶が追加されたのだ。理解力が抜群に上がり、前世で培った記憶でこの世界にはない商品を発明することに成功した。

 イザークは前世、家電量販店に勤めていた。理学部を卒業していたので、便利な家電の仕組みもだいたい分かる。

(これはもう、発明でのし上がるしかないだろ!)

 何しろ父は魔法具店を営んでいるのだ。この家に生まれたのは神様の計らいかもしれないと感謝し、イザークは発明に乗り出した。




 前世の記憶を取り戻したイザークは、まず魔石を使った冷凍庫を開発した。この世界では船や陸路を使った輸送が行われているが、魚や肉といった鮮度を一定に保っておかなければ遠くへ運べないものは、基本的に無理とされていた。

 イザークはそこに目をつけ、大きな鋼鉄の箱に魔石を組み込み、箱の中の温度をマイナス十八度の状態で数カ月保つような造りにした。前世の知識をもってしても完成には二年かかり、出来上がった時は父と泣いて喜んだ。

 イザークと父はこれを商会に売りつけた。商会は食品を冷凍して運べることに驚き、商品の購入だけでなく、量産体制の協力を申し出てくれた。品物は造る傍から売れ、イザークの家は一躍有名になった。この時の元手を使って、イザークはいくつかの商品開発に取り組んだ。ドライヤーや冷蔵庫、扇風機といった生活に必要なものを商品化できるよう設計や実験を繰り返した。

 冷凍庫の成功のおかげでイザークは王立アカデミーに入学できた。王立アカデミーは主に貴族の子女が通う学校で、平民の場合高い入学金を支払わねば入れない。イザークは意気揚々とそこに入り、貴族の子女と懇意になろうとした。

 だが、想像以上に、この世界は平民への扱いが厳しかった。

 授業自体はたいして難しくもなかったので、イザークは発明に関わる傍ら、首席を維持した。けれど肝心の貴族と懇意になるのはかなわなかった。

(マジで貴族の子たち、怖すぎ。平民のこと虫けらだと思ってるし)

 生い立ちだけで馬鹿にされたり、ひどい意地悪をされたりする生活に馴染めず、イザークは王立アカデミーでは独りぼっちを余儀なくされた。数少ない平民の生徒とは交流できたが、大きな商会の息子や娘が多く、いわばライバルなので心の底から打ち解けられない。

(はぁ……。誰か平民相手でも優しい貴族っていないのかな。今、造ってる商品、平民じゃなくて貴族に売り込みたいんだよなぁ)

 魔石を組み込んだ便利な商品は、平民にはとても手が出せない高級品だ。これらを買えるのは金を持っている貴族だけだ。それもあって貴族の知り合いを作ろうと思ったのだが、現実は甘くない。そもそもイザーク自身も積極的に他人と関われる性格をしていない。前世では漫画やゲームばかりしていたいわゆる陰キャだ。

(できればまともな貴族に……搾取しない貴族に売り込みたい……)

 もんもんと取引相手について考え込んでいた時だ。

「ほら、あれが小公爵様よ」

 中庭の生け垣の陰に隠れて昼寝をしていたイザークは、近くの木陰に集まってひそひそ話をしている声に気づいた。貴族の令嬢たちが、四阿あずまやのほうを見て、きゃっきゃっと騒いでいる。何かと思って見てみたら、四阿に一学年下の青年がいた。

 銀色のつやめく髪に、紅玉のごときひとみ、鍛えられた肉体と彫像のように整った顔──ユリシス・ド・モルガンだった。公爵家の一人息子で、剣術においては誰もかなわない腕前を持っている。しかも剣術だけでなく、魔法にも優れていて、国内でも扱える人が少ない氷魔法のれだった。

 令嬢たちはユリシスを遠目に見て、頰を赤く染めてささやき合っているのだ。

(ユリシスかぁ……。この世界、たまに変な髪色の人がいるんだよなぁ)

 記憶が戻る前は何も思わなかったのだが、前世を思い出すと、この世界でたまに見かける赤い髪や青い髪、緑色の髪やピンク色の髪にぎょっとしてしまう。ぶっちゃけ、コスプレイヤーが堂々と歩いているようにしか見えない。

 その中でもひときわ目立っているのが、四阿で本を読んでいるユリシスだ。銀髪に赤い目なんて、どっかのゲームキャラにしか思えない。

(そういえば、あの乙女ゲーム好きだったなぁ。推しキャラのユリシス公爵に貢ぎまくったっけ……)

 懐かしい記憶を思い出し、イザークは「ふふ」と口元をゆるめた。

 乙女ゲーム『魔法と恋と騎士と聖女』──前世で流行はやった乙女ゲームで、シリーズが何本も出てアニメやコミカライズ、舞台に映画といつせいふうした作品だ。イザークは第一弾が発売された時からのファンで、特に氷公爵と呼ばれるユリシスというキャラが大好きだった。その頃、いわゆる腐女子と呼ばれる同性同士のラブストーリーをこよなく愛するこうだった自分は、攻略キャラ同士を絡ませるという乙女ゲームの主人公を排除した世界を好んでいた。

 イザークが好きだったのは、ユリシスと、魔王の息子で竜にも変化するジハールという褐色肌のキャラだ。その二人のキャラを使って、二次創作に励んでいたほどだ。

(あー、ジハユリ最高だったなぁ。もう読めないのが残念でならない。私の青春はほとんどジハユリだったし……。ふだんは冷たいユリシスがデレたり、あんあんするのがすごいえたんだよなぁ……)

 ふっと過去の自分を思い返し、イザークは体温が冷えるのを感じた。

 前世では女性だったせいか、男同士の恋愛に萌えていた。けれど今は男の生を受け、男同士の恋愛は自分にはありえないと分かった。前世が女だったし、そういう目線で男を見られるかといったら、それはやはり違う。今のイザークは腐女子の部分は残っているが、自分が結婚するなら相手は女性だと思う。

(うう、今の自分は、ジハユリはほっこり系以外受け付けられない。二人が寄り添ってしゃべっているだけで十分だなぁ)

 他愛もないことを悶々と考えていたイザークは、ふと起き上がってユリシスのほうを見た。

(そういえば名前も同じで、見た目も同じだなぁ……)

 ただの偶然だろうが、ユリシスがあまりにも昔遊んだゲームキャラに似ていて引っかかった。

(まさかね。この世界があのゲームのわけ……)

 気にはなったが、そんな現象あるわけないとイザークは考えるのを放棄した。自分があの乙女ゲームの世界にいるなんて、理論的に考えられない。

 その時はそう思い、イザークはその考えを忘れることにした。ユリシスは次期公爵という立場で、平民の自分には話しかけることすら不敬となる存在だ。このまま縁もなく離れていくのだろうと、思っていたのだが……。

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