琥珀*シェ レ シュエット

――コンコンココ。


 お決まりのノック音に、クリスの持つ紙にしわが入った。

 従者であるリュカは買い出しに出たばかりで助けは期待できない。

 居留守を決め込むかと頭をよぎるが、彼のことだから喜んで一、二時間は店先で待ちそうだ。はた迷惑な来訪者を追い払うため、ため息混じりに入室を許可した。


「こんにちは、かわいいクリス」

「こんにちは、カリヴァン卿」


 また、そんなつれない呼び方をしてと抜かしているエセ紳士リシャールをクリスは黙殺した。

 黙々と作業を進めるクリスに向けられる満面の笑みは一晩でも崩れそうにない。小さく息を吐いた口でご用件は、と問われた黄金の瞳オーロはとろけるように細められる。


「ハッピーバレンタイン! 今年こそ、僕からの愛の気持ちを受け取ってくれないかな」


 熱い言葉を左の耳から右へと聞いたクリスは暦を見て、そんな時期かと確認した。しがない骨董店は季節ごとにうとい。差し出された小箱を一瞥だけしてすぐに目を通していた紙に視線を落とした。奥へ続く扉を指差すことを忘れない。


「ここに暖炉はないから、奥の台所にくべて」

「きみの役に立てるのは本望だけど、中身も確認してくれないのかい? せっかく、君が喜びそうなものを準備したというのに!」


 演技がかった口説き文句にも一切の興味を向けずに、クリスは次の書類に移る。

 またしばし、無言の時間が過ぎた。

 リシャールは、さも気になるだろうと目を輝かす始末で、最後の書類までサインし終えたクリスがペン立てに羽ペンを納めるところまで待つ。一度、瞼を閉じて、鼻から息を吐いた。心を落ち着かせて、仕方がないので言葉を絞り出してやる。


「そんなに自信があるなら、僕を喜ばせてみなよ」

「クリスが心を踊らせながら箱を開ける姿が見たいのだけど」

「そんな暇はない。すぐに火種にしてくれ」


 クリスは忙しいんだね、とリシャールは見当違いなことを言いながら箱から大振りなブローチを取り出した。

 遠目でも、琥珀アンバーだと判断したクリスは黒曜石の瞳を軽く見開く。

 その姿を見逃さなかったリシャールはふくみ笑いをこぼしながら、クリスの前へ一歩進んだ。


「ほら、よく見るといいよ」


 ブローチに埋め込まれた石は、表面はなめらかに調えられているが、机に置かれたランプに照らせれて、いくつもの光の反射を見せた。自然が気が遠くなるような年月を作った結晶はいくつもの層ができているからだ。琥珀の中には蝶の羽が閉じ込められていた。

 クリスは遠い昔、野原で追いかけたように手をのばし、リシャールに触れるのを厭わずにブローチをすくい取る。

 濃い蜂蜜と似た琥珀の中に蝶の羽が一枚。片方は見受けられないが、それだけで物語を感じることができた。指で感じた僅かなざらつきは太古の息吹だ。手のひらに乗る一粒に語りきれない物語がつまっている。

 感嘆の息をもらしたクリスは、なめるような視線を感じて現実に引き戻された。時代の渓流に身を委ねていたのに、気分は台無しだ。

 クリスはかしこまった表情でブローチを両手で包む。


「これに罪はない。ありがたく頂戴しよう」

「いつも身に付けていて」

「コレクションに修めておくよ」


 そう、と嬉しそうな笑みのまま、リシャールは黒い手袋をはめた片手をひらめかせた。コツリと足音が鳴り響き、ゆれた手のひらが、琥珀に閉じ込められた羽とかぶる。


「またね、かわいいクリス」

「一生会えなくても悔いはないよ」


 そうして、クレーニュ通りの五番地に位置する骨董店にまた静寂が訪れた。



『シェ レ シュエット ―訳あり専門骨董店― 』より

https://kakuyomu.jp/works/16816700426346027557

クリスとリシャールでした。



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かこ家のバレンタイン大作戦 かこ @kac0

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