割れまして、爆誕
ゴオルド
私は馬鹿で、人間です
「慈子道くんから告白されたけど、キモすぎて無理。だって……」と、学部の資料室で言われたのだ。居合わせた学生たちは、みんな笑った。
私もつられて一瞬笑ってしまった。
思い返せば、私の心はずっと私のものではなかった。
うちの両親は、子どもに心があることを認識できない人だった。子どもは自分の膝や肝臓のようなものだと思っているのだ。
誰だって自分の膝に向かって「脳は歩きたいと思うけれど、膝ちゃんも一緒に行ってくれる?」なんて聞かないだろう。脳は膝の意思を無視しているのではない。膝には意思も心もないと思っているだけだ。
両親の膝のような存在だった私は、喜怒哀楽を親に合わせることが求められていた。
たとえばうちの父は食い尽くし系で、子どものごはんを奪って食べる人だ。私が4歳の頃、母に用意してもらった私のお弁当を父が食べてしまったことがあった。泣く私に、父は「お父さんはお弁当を食べて嬉しいのに、子どもが泣くのは変だ。心が間違っているから直しなさい」と叱り、母も「お父さんが喜んだときは、あなたも喜ぶのが正しい心なんだよ」と教育した。
素直な幼女だった私は正しい心を持てるよう努力した。自分を殺し、空っぽになった心に親の感情をそっくりコピーして取り込んだ。
そういう生い立ちであったから、大学1年の春、先生の言葉に度肝を抜かれた。先生はレポート作成の指導教員だった。
教壇に立った先生は、軽く自己紹介した後、「まず最初に一番大事なことを言います。これが一番ですからね」と、前置きした。
「文章というのは、自分の思ったことを好きに書いていいものなんです。そこを大事にしてください」
耳を疑った。好きに書いていいだなんて、そんなことが許されるのか。そんなドラマや漫画みたいなこと、現実であり得るのか。まさか。文章とは、正しいことを書かないといけないはずだ。
先生はさらに信じられない発言を続けた。
「好きに書くためには、自由に感じること、自由にものを考えることが大事です」
ぴえー、と思った。もはや言葉もない。ぴえーである。ちょっと理解が追いつかなかった。
こんなの普通の人にとっては当たり前の話なのだろうが、私にとってはそうではない。自由に感じてもいいだなんて想像したことすらなかったのだ。
私はこれまでの人生を、二つの考えを使い分けることでやり過ごしてきた。「親の考え」と「世間一般の考え」の二つである。自分の心なんてなかった。
父はゲーム好きで、だから私もゲーム好きじゃないといけなくて、私は当時家庭用ゲームソフトのモニターをやっていた。会社からゲームの感想を求められても、自分の感想を出力するという発想はなかった。私が私を殺してつくった心の空白地帯には仮想両親もしくは仮想コメンテーターが設置され、それらが話者となって外部に発信するのである。ゲームモニターだけじゃない、学校の作文も人づき合いもみんなそうだった。
だって自分の心とか感情とか感想を持つことなんて許されないでしょう。そんなの二次元だけの話でしょう? え、みんな心を持っているの? 嘘だよね!? だって、そんなのって……そんなのってなんだか人間みたいじゃん!
知らなかったが、どうやら世間の人たちは人間のようである。
学生たちは先生の話を当たり前みたいな顔をして聞いていた。ショックを受けているのは私だけ。人間じゃなかったのは私だけのようだ。「人は誰だってみんな持っているんだよ、自由な感情を!」「まじですか、先生!」
私を覆っていた硬質な封印の膜が、どういうわけか内側からめりっとひび割れた気がした。
先生は、「まずは書いてみましょう」と言って、私たちに簡単な小論文をその場で書かせた。
私は罪深さにおののきながら、本当に自分の思うかもしれないことを少しだけ書いてみた。なぜか変な字になった。筆圧弱いし。ちょっと涙が出た。誰にも気づかれないよう何度もまばたきした。書き上がったものを読み上げたら、嘘っぽかった。これは本当に私の気持ちなのだろうか。疑う気持ちが湧いてきた。自由に書くためには、まず自由に感じることを自分に許す必要があるのだろう。
私は次第に先生の講義をサボるようになった。なぜかわからないが苦痛でたまらない。大学敷地内でばったり先生と会ってしまうと、地面に生えている先の尖った草を熱心に観察したりして、先生から声を掛けづらいように振る舞ったりした。逃げ出すのは失礼だと思い、でもどうしても話をしたくないので、挙動不審になってしまったのだ。
私は質問されることが怖かった。もし何か質問されたら自分の心を隅々まで点検するみたいに開け放ち、答えを引っ張りださなければいけない。そんなことをしたら自分の何かが崩れる予感があった。不安だ。まだ無理だと思った。まだ。
先生は何か言いたげに私のそばで足をとめるのだけれど、一心不乱に先の尖った草を撫でている私に声を掛けてくることはなかった。
そういうわけで先生からは逃げ、講義もサボりがちになってしまったわけだが、私は先生がおっしゃったことを忘れたことはなかった。先生の言葉を宝物みたいに心の中にしまって、夜にそっと取り出していろんな角度から眺めて考えていた。
その頃、同じゼミの
ある日、慈子道くんは「母子家庭で育った人間は性格が悪い」と言った。私はそうなんだねと無感情かつ無批判に言葉を受け入れ、同じゼミで母子家庭の朝田さんに、「母子家庭で育った人間は性格が悪いって慈子道くんが言っていたよ」と愚かにも伝えた。
朝田さんは激怒した。慈子道くんに対しても、私に対しても。
私は心底びっくりした。どうして怒るのかわからなかったのだ。だって母はいつもそうだった。誰かが私の悪口を言っていることを私に言って聞かせて、それは楽しいことなのだと私に受け入れさせた。
「山田さんが言ってたんだけど、あなたは可愛げがないんだって」と言って母が笑うとき、私も笑わないといけないのだ。だってそれは楽しい話なんだから。だって母が楽しんでいるんだから。母と感情を合わせないと。感情が親と違っていたら、私は産まれたことさえ否定されてしまう。
そうだ、私は楽しい話をしたのだ。
誰かが悪口を言っていたと聞かされるのは、楽しいことだから、笑顔で聞くべきなのだ。
だから朝田さんも笑顔になるべきなのだ。それなのにどうして朝田さんは怒った?
つまり朝田さんは、心が間違っているということ?
――ねえみんな! 自分の思ったことを好きに書いていいんですよ!
――自由に感じていいんですよ! えー! 本当にいいのぉ! いいんですよお!
頭が砕けるような衝撃があった。視界が揺れた。それはバスの中だったからだろうか。そうだった、私と朝田さんはバスに乗っていたのだった。バスの後部座席に座っていたら先生の言葉が重い槍となって空から降ってきて、私の脳天を突き刺し、心臓を貫いて、私の支配権を持つ仮想両親と仮想コメンテーターを殺したのだった。
私は自分の心で考えてみる。好きに感じてみる。意思を持って。
首の後ろが痺れるような感覚とともに視界がクリアになっていく。朝田さんの唇が震えているのを初めて認識した。今まで見えなかったものが急に見えた。そこに浮かんでいる感情は怒り、悲しみ、軽蔑……。それは表情! 私が今まで見て見ぬ振りをしていたものだ。親を殺してしまったら、もう気づかないふりはできない。
私は何を言った? 何のために? 罪悪感と申しわけなさが、理解より先に来た。楽しくなかった。どうして? お母さん。全然楽しくない。楽しい話をしたのに心が楽しくないって言ってるよ。この心の声を信じていいのだろうか。私は自分の感じたことを認めても、存在することを許してもらえるのだろうか。人間になってもいいのだろうか。
いや、むしろ人間にならなければいけないのではないか?
心を取り戻したら、やっとわかった。私は暴言を吐いたのだった。朝田さんに失礼で的外れな偏見をぶつけたのだ。他人の言葉を借りて、朝田さんを殴ったのだ。こんなことをしたって楽しくないのは当然である。しかし、ここまではっきり理解できたのは実はかなり後になってからのことだ。バスの中では、ただただ目覚めの衝撃に圧倒されていた。
それ以来、私はわけのわからない声を発しながらお風呂の湯船に潜水する。自分が人間ではなかったので恥ずかしくてたまらなくて、ぬるま湯の中で叫ぶのだ。もう何年もそう。多分死ぬまでずっとそう。なんなの? 母子家庭の悪口を母子家庭の人に言うって、どう考えても頭がおかしいでしょう。それで楽しんでくれるって本気で思っていたのだ。どうなってんの、昔の私。もし先生と出会えなかったら、私はずっと人にこういうことを言う人生だったのだろう。私怖い。怖いよお!
私はこれまでたくさんの人を悲しませてきたはずだ。私に心がなかったばかりに言葉の刃を振り回していた。過去を振り返れば苦い思い出ばかりあふれてくる。人生の前半まるごと黒歴史なんだけどどうしよう。私はどうしたら償えるのだろう。どこで誰に罪を犯したのかさえ覚えていないのに。朝田さんのことだけは覚えている。謝罪できないまま絶縁された。今から謝ってもいいんだろうか。きっと迷惑なだけだろう。もう思い出したくないのではないか。わからない。ただ、罪悪感を消して自分が楽になりたいから謝るのは身勝手であることだけはわかる。
ある日、学部の資料室で、人間になりかけの私が論文を探していたら、美人の浜野さんが話しかけてきた。
「ねえ、あなたって
「最近はそうでもないよ。慈子道くんがどうかした?」
「彼につきまとわれてるの。あなたからも彼に注意してくれないかな」
彼女は困り果てているようだった。
「慈子道くんから告白されたけど、キモすぎて無理。だってあの人、いつも人の悪口言ってるでしょう」
近くにいた人々が一斉に笑った。
私もつられて一瞬笑ってしまった。条件反射みたいなものだ。でもすぐに笑いを引っ込めた。自分の意思で。そして考えてみた。ああ、そうだったのかと思った。慈子道くんはいつも人の悪口を言っていたのか。相手の言うことは何でも受け入れて合わせなければいけないと育てられた私は、そんなことにも気づかなかった。
私は慈子道くんが語る悪口を熱心に聞いてやって、頷いてやった。彼は間違っていない、彼の言うことは楽しい、そう話を合わせた。私自身も罵倒された。頭が悪いとか変人とか。私はにこにこと聞いた。だって慈子道くんはにこにこと私を馬鹿にしたから。これは楽しい話なのだから、私は楽しいと感じるのが正しい心であると思っていたのだ。女は男に逆らうなと叱られたときは、私は全女を代表して謝った。親から躾けられたとおり頑張って相手に合わせ続けた。
慈子道くんはどんどん調子に乗り、美人じゃないと俺と釣り合わないとかブスが近くにいたら俺のレベルが下がるとか言うようになり、私たち一般女子学生とは話さなくなった。かわりに美人にだけ話しかけるようになった。男の悪口を言いながら女の輪に入ってきたと思ったら、今度はブスの悪口を言いながら美人に突進していったわけだが、残念ながら狙った美人はブスの悪口を歓迎しなかったようだ。
「私、悪口ばっかりの人って嫌いだから」と、浜野さんは言った。
「お付き合いを断ったのに、慈子道くんってバイト先にも家にも来るの。本当に迷惑」
私はまわりが気になって仕方がない。狭い室内では周囲に話が筒抜けだし、隣の書架の前には慈子道くん本人が立っている。浜野さんはみんなに聞こえるように話している。迷惑行為がエスカレートしないよう、けん制しているのだ。慈子道くんはきっとショックだろう。こんなふうにフラれるだなんて。
彼女ももっと別のやり方をすればいいのにと思う人もいるかもしれない。嫌な女だと思う人もいるかもしれない。モテない男をいじめて遊んでいる? 私はそうじゃないと思うけれど、私はまだ人間になりかけだから自分の判断が信用できない。私と彼女の関係は、二人で中華料理屋に行ったことがあって、別日にやっぱり二人でパフェを食べにいったぐらいで、まったく知らない人なわけでもないのにもかかわらず、彼女が優しいか意地悪か判断できずにいた。ただ、男を弄ぶようなタイプではないと思う。まじめで親孝行でバイトと勉強を頑張る、顔立ちの整ったスタイルの良い社交的な女子学生である。
「いいかげんにしてほしい」と、浜野さんは言う。
「ストーカーをやめないなら警察にも言う」
私に影響力なんてものがあると自惚れているわけではないが、悪い影響を慈子道くんに与えてしまったかもしれないという気がして、罪悪感でお腹が重くなった。悪口や暴言を肯定していたせいで、彼はろくでなしな性格を悪化させてしまい、こんなフラれ方をするはめになったのかもしれなかった。
これまで私はどれだけの罪を重ねてきたのだろうか。どれだけ暴言を吐き、どれだけ暴言を肯定して悪化させてきたのだろうか。親の教育のせいだなんて言いわけをしても、罪は消えない。自覚がないものも含めて罪状が山のように積み上がる。そこには朝田さんと慈子道くんの名もあった。
黙って俯いていた慈子道くんが、ゆっくりと上唇を上げて犬歯を見せる奇妙な笑みのようなものを浮かべたあと、彼女をにらみつけた。
資料室がしんと静まりかえった。
男に逆らう女は生意気で、そんな女は間違っていると慈子道くんは考えている。かつて私にそう言い、私はそれを肯定してしまった。彼は浜野さんの拒絶を理解できないでいる。
可哀想。そう思った。苦みと酸味を伴う哀れみ。それは慈子道くんにとって侮辱に等しいかもしれない。
私は人間として彼に何か声を掛けたほうが良いのではないかと思ったのだが、特に掛けたい言葉もなく、浜野さんに誘われるがまま、たこ焼きを食べにいってしまった。心は痛まなかった。同情と罪悪感を上回るほかの感情があった。そこで「あ、私、慈子道くんのことが嫌いなんだ」と、やっと自覚できたのだった。
――自由に感じて良いんですよ!
私にひどいことを言う人を、私は嫌ってもいい。私は親を嫌ってもいい。やっとそれに気づいたのだった。
浜野さんが顔をしかめる。
「あの人、ほんと無理」
たこ焼きは最高に美味しかった。
夜になると、私は湯船の中で叫ぶ。慈子道くんが嫌い。朝田さんごめんなさい。親が憎い。たこ焼き美味しい。私は馬鹿で、人間です。ああ。
<end>
割れまして、爆誕 ゴオルド @hasupalen
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