内部温度 ―PNK-02型の場合―

祐里

PNK-02


「毎日リボンをつけてあげていたんだ。髪にね。もう時代遅れだって何度も言ったんだけど、つけてほしいって言うから」


 そう言うと、ご主人様はわたくしの黒い髪――に見せかけた化学繊維を撚った糸の束――に淡いブルーのリボンを結んだ。


「きみにも毎日つけてあげるよ」


「はい、ご主人様」


「……やっぱり棒読みなんだね。もう少し、人間らしくしゃべれないかい?」


「申し訳ございません。わたくしは最低限の機能しか持たない機械のため、その機能は搭載されておりません」


「ああ、ごめん、そんなこと言わせてしまって。気にしないでくれ」


「はい、ご主人様」


 わたくしが諾の意を示すと、ご主人様は笑顔になった。



 ◇◇



 PNK-02型であるわたくしは、現在一人暮らしのご主人様、桐谷司きりたにつかさ様のお世話をする人造人間だ。一部しか機械化されていない生身の体を持つ人間とは違い、中身はすべて機械でできている。高価なアンドロイドと呼ばれる型は人口培養の神経や内臓を持ち、体温を人間と同じくらいに保つこともできる。食事や性行為もできる。感情が搭載されている個体もある。しかし、わたくしはそのように作られていない。外見だけは人間の女性に似せて作られているが、神経も感情も搭載されていない。映像を映し出すモニターや人間を運ぶ乗り物と同じ、一定の体温を持たないただの機械だ。


 わたくしは時々、内部機器が熱くなりすぎて動きが緩慢になることがある。熱暴走という現象で、三時間程度スイッチを切って内部機器を休ませると改善する。気温が高い日には一日一回、ご主人様に背中のスイッチを切らせている。


「も……しわ……ご……」


「しゃべらなくていいよ。今、切るね」


 プツン、と音がして、わたくしは冷眠に入る。



 ◇◇



 ご主人様が、記憶を共有してほしいと言った。わたくしと記憶を共有するにはケーブルが必要だと伝えると、ご主人様はすぐにケーブルを買ってきた。ご主人様の頭頂部のソケットから肩にケーブルを繋がれ、映像を見せられ、音声を聞かされる。


「そうだ、銀行にも行かないといけないんだった」


「それなら早く出ないと……あ、庭のバジルがいっぱい採れたから、今日はジェノベーゼにするよ」


「なら、松の実買ってくるわね。つかさくんのパスタおいしいから、楽しみだな」


「そうやって褒められると、やる気になるんだ。菜々子ななこにうまく使われてるな、俺」


「あら、そんなつもりはないわよ。じゃ、行ってきます」


 でも、妻は……菜々子は帰ってこなかったんだ、とご主人様は言った。笑顔ではなかった。


「……奥様は、脳の損傷がかなり激しく……内臓や骨などは人口培養のものと交換可能ですが、脳には適用できないので……」


「で、では、妻は、菜々子はもう……」


「残念ですが、命は……助からないでしょう……」


「そ……んな……、そんな、のっ、嘘だ、嘘でしょう!? 本当は助かるんでしょう!? 先生、先生っ……!」


 記憶から見せられた菜々子様の後頭部は、本来丸みを持つ部分が削げていた。そして髪に淡いグリーンのリボンの一部が付いていた。ブレーキをかけずに正面から猛スピードで突っ込んできた自転車にはねられ、道の縁石に後頭部を強打したからだとご主人様は言った。


 最低限の機能しか搭載されていないわたくしは、ただ見て聞くだけだ。共有を終えたご主人様は笑顔ではなかった。



 ◇◇



「一人暮らしには広すぎるから、掃除してくれると助かるよ」


「はい、ご主人様」


「今日ちょっと暑いけど、どう?」


「申し訳ございません、理解できませんでした。もう一度ご質問ください」


「ああ……、内部温度はいくつになってる?」


「内部温度は、現在六十五度です」


「あー、ちょっと高いな……。もう掃除はやめにしよう」


「はい、ご主人様」


 わたくしが諾の意を示すと、ご主人様は笑顔になった。


「きみがアイスを食べられれば、買ってきてあげるんだけど」


「申し訳ございません、食事の機能は搭載されておりません」


「あはは、冗談だからね? 謝らなくていいんだよ?」


 ご主人様は笑顔になった。


「申し訳ございません、理解できませんでした。もう一度……」


「ごめんごめん、そうだよね。じゃあ、きみ……ええと、やっぱり名前がいるよなぁ。んー……」


「名前がいる、とは、どういうことでしょうか。わたくしは買い物に行けばよろしいでしょうか」


「違うよ」


 ご主人様は笑顔になった。


「よし、桃子ももこにしよう。桃子。PNK型、ピンクだもんな」


「わたくしはPNK-02型です」


「ははっ、わかってるよ。桃子、きみの名前は今日から桃子だ」


「申し訳ございません、わたくしには名前は必要ございません」


「そんなことないよ。名前があった方が絶対にいい」


「はい、ご主人様」


「桃子って呼ばれたら、返事するんだよ」


「はい、ご主人様」


 わたくしは、名前をもらった。ご主人様は笑っていた。眼鏡の向こうの目を細めて、口角を上げて、笑っていた。



 ◇◇



 今日は寝る前に少しだけ記憶を共有してほしいとご主人様は言い、わたくしにケーブルを繋いだ。


「菜々子、愛してる。……俺と、結婚、してくれないか。幸せにするから」


「やだ、幸せにするなんて。一緒に幸せにならなきゃ」


「あ、そ、そうか、そうだな、一緒に幸せになろう」


「ふふふ。私、幸せになるなら、司くんと一緒がいい」


 菜々子はこういう女性だったんだよ、とご主人様は寂しそうな笑顔で言った。わたくしの内部温度が六度下がった。


「誕生日おめでとう、菜々子」


「覚えててくれたの?」


「そりゃそうだよ、愛してるんだから」


「……うれしい……! 司くん最近忙しそうだったから、今年はお祝いしてもらうのあきらめてたの……。ありがとう。プレゼント、開けてもいい?」


「もちろん」


「何かしら? ……あ、これ……」


「この間買い物に行った時、じーっと見てただろ」


「うん……。わかってたのね、私がこのネックレス欲しいって思ってたの」


「そりゃそうだよ、菜々子のこと愛してるんだから」


「ありがとう……本当に、うれしい……」


 菜々子を愛していたんだ、今も愛しているんだ、とご主人様はとろけるような笑顔で言った。わたくしの内部温度が十一度下がった。


「あれ? 今日は寒いのに、熱暴走かな? じゃあもう寝るし、スイッチ切ろうか」


「……い、ご、しゅ、……様」


 わたくしを椅子に座らせて髪のピンクのリボンをするりとほどくと、ご主人様が背中のスイッチを切る。プツン、と音がして、わたくしは通常より冷たい眠りに入った。



 ◇◇



「買い物に行かないと。冷蔵庫が空っぽだ」


「はい、ご主人様」


「今日は……一番近いスーパーでいいか。桃子、一緒に歩いて行こう」


「はい、ご主人様」


 ご主人様とわたくしは玄関を出て近くのスーパーへ歩き始めた。ゆるい坂道を上らないといけないため、ご主人様は薄く発汗している。


「桃子は熱くなってない? 内部温度は何度になってる?」


「内部温度は、現在四十七度です」


「あれ、思ったより低いな」


 ご主人様が明るい笑顔になった。わたくしの内部温度が四度上がった。


 ご主人様と歩き、スーパーの入口まであと十七メートル三十三センチという地点で、坂を下る車が前方から非常に速いスピードでこちらに向かってくるのが見えた。運転手は気絶しているようだ。つまり、ブレーキをかけられる人物はいないということになる。


 熱暴走を考えなければ、わたくしは人間より少々速く動くことができる。ご主人様に車がぶつからないように素早く前に立ちはだかり、普通乗用車にしては大きめの車のボンネットを真正面から受け止めた。大きな衝撃音とともに、わたくしの体は二つに折れ、ちぎれた内部のケーブルの破片が飛び散る様子が目のカメラに映った。この衝撃は、ご主人様にも伝わってしまっただろうか。


「桃子!」


 ご主人様が二メートル八十センチ離れた地点からわたくしに向かって走る。ご主人様には、車もわたくしの体もぶつからなかったようだ。きっと自分で避けたのだろう。わたくしの内部温度が、内部温度が、内部温度、内部……温度……。


「……い、ご……じ、さ……」


「桃子、大丈夫か、桃子! 正面からなんて……! 何でっ……!」


「も、し……け、ござ……せ……」


「しゃべらなくていい、しゃべるな、修理しよう、な? 修理すれば直るだろ? 直るよな!?」


「もう、し……ご……ま、せ……、りか……できま、せん、で……」


「しゃべらなくていいんだ、しゃべらないで、桃子」


「はい、……しゅじ、さ……」


「大丈夫だよ、直るからね、直すから……! 桃子……!」


 ご主人様が、司様が、悲しそうに叫びながら、私の名前を、呼んでいる。私の名前、桃子という名前を、名前を……名前……。


「司様」


 私はもう直らない。旧型であるPNK-02型の部品の保有期間は、もう過ぎている。直すことはできない。


「……何? 何だい、桃子」


「リボンと名前ありがとう。うれしい。愛してる」


 司様が、目に涙を溜めて泣きそうな笑顔を見せた。


 プツン、と音がした。

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内部温度 ―PNK-02型の場合― 祐里 @yukie_miumiu

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