三話目 「恋愛カレンダー」2000文字


 カレンダーに、星型のシールが貼ってある。

 二月になると催事場を埋め尽くすピンクと茶色の洪水には正直うんざりだ。チョコが喰いたきゃそのへんのコンビニで自分で買えばいい。過剰包装したチョコレイトを女から贈られた上に、お返しの義務まで発生するとか、なんの罠。

「そうは云っても嬉しいよ」

 俺の友人はみんな肯定的だ。

「一生懸命で可愛いじゃん」

「はいこれって笑顔でくれるよ」

 それはお前たちが彼女もちだからだろう。どんなことにでも舞い上がる浮かれた時期だからだろう。

 俺は無理。

 なんというか、あの圧が。チョコを手渡しするまでに女たちがかけてきた時間とか篭めた念とか、ましてや手作りとか。鳥肌が立つ。

「罰当たり」友人らは一斉に批難の声を上げた。

「義理チョコでもけっこう高いんだぜ。無下にするのはよくない」

「お前の為に用意してくれたんだから、ありがとうって受け取れ」

「そこだ。まさにそれを云いたい」

 俺は叫んだ。

「俺は頼んでない」

「もてる男の云うことは違いますねぇ。ああ、そうか」

 友人たちは笑い出した。

「お前みたいに複数からもらうと、人数分のお返しを用意しないといけないのか」

「色男ざまぁ」

「選り好みして彼女を作らないお前が悪い。そうだお前が悪い。すべてお前が悪い」

 最後は俺を悪人にする大合唱で終わった。


 小学校からこんなことを繰り返している。いや幼稚園の頃からか。園児時代は母親が対処していたので憶えてない。

 俺の用意するお返しはひどく不評だ。

 ホワイトデー用にラッピングされて売場に並んでいる菓子や小物は、女子によっては地雷らしいので、散々悩んだ挙句、ギフトカードにしたのだ。値段も一律にしている。たとえ一万のチョコだろうが五百円のチョコだろうが全員に同じ金額だ。

「え……」

 薄い封筒を差し出された女は、失望を隠さない。何を期待していたのかな君は。

 不要なチョコを贈られた挙句、けっこうな金額をお返しとしてバイト代から捻出せねばならず、さらに哀しい顔でがっかりされるという、何一ついいことのない呪わしいイベント、それが二月と三月の試練。


 もうこんな日々には辟易だ。俺も彼女が欲しい切実に。告白の言葉と共にチョコを渡される。それは嬉しいだろう。それは女の方も同じだろう。君たちが期待していることくらい分かるよ。胸糞悪いほどに想像がつく。

 カレンダーのシール。

 新しいカレンダーを買うと、二月と三月のところをめくって、俺はその日にきらきらした星のシールを貼る。シールはシートになっているからまだたくさん残っている。星を貼るのは小学生の頃からの習慣。その日は特別な日。

「おはよう」

「……おはよう。ちょっと待った」

 俺は彼女を追いかけた。同じ大学に互いに合格したと知った時は運命だと想った。キャンパスで顔を合わせる度に胸が轟いた。

 門から校舎までは坂道になっている。俺は走って彼女に追いついた。

「なに。どうしたの」

「その指輪」

「これ」

 彼女は俺の前に左手を向けた。指輪は中指だ。

「ママからもらったの」

 なんだ。誰かと付き合っているのかと想った。

 俺は勇気を奮い起こした。なるべく軽い口調で。

「小中高一緒のよしみで、今年こそ君からチョコをもらえるんじゃないかって、待ってたんだけど」

「意外。あんなイベント、大嫌いな人だと想ってた」

 彼女はわざとらしく笑った。

「毎年バレンタインデーになるとむすっとした顔をして、ホワイトデーになるとさらに怖い顔をして、この世の終わりか学校を爆破でもしそうな剣呑な態度だったじゃない。あなたのあの不機嫌さにわたしも被弾したわよ。理不尽だった」

 それはだな。

 云ってやろうか、その理由を。

 俺の前で彼女は小さなため息をついた。コミカルな仕草で中指にはめた指輪を口許にもっていく。

「いつかわたしにもこんな指輪をくれる彼氏が出来るといいな」

「なんでだよ」

 彼女の前に回って行く手を塞いだ。義理チョコすらくれたことがない唯一の女。

「俺は君に嫌われているのか」

「女から告白させるのを待ってるって、ずるくない?」

「今してるだろ」

 俺と彼女は睨むように対峙した。やがて彼女の方から視線をそらした。

「本気なら、本気だと分かるようにして」

 俺とすれ違うと、彼女はゼミの始まる校舎に入って行った。


 渡せるわけないじゃない。

 その日、彼女は打ち明けた。わたしの友だちも、友だちの友だちも、みんなあなたのことが好きなんだから。みんな気合を入れた本命チョコを用意しているんだから。もし小中高時代にわたしがそこに参戦していたら、女子の中で完全にはぶられてたわ。

「つまり、俺の気持ちを知りながら長年知らん顔をしていたと」

「気づかないわけないでしょ」

 大学からほど近い公園で俺たちは並んでベンチに腰をおろしている。池には、ばか面をしたアヒル。

 下さい。

 臆病な俺のガキの頃からの切なる願い。

 どうか下さい、君のチョコを。

 そしたら俺も告白するんだ。その日に星の印をつけたカレンダー。



[了]

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

七夜三話 朝吹 @asabuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ