二話目 「心霊スーツ」1500文字
姉が死んだ後、クリーニングから戻ってきた姉のスーツには姉の顔がつくようになった。
等身大の写真を切り抜いて貼り付けたように、スーツの上に顔があるのだ。
モノクロの証明写真のような姉の頭部は、フィルムみたいに半透明で薄っぺらい。
「不気味」
そう云いながらも私たち家族は姉のスーツをそのままにしておいた。クローゼットの戸を閉めておけば視界にも入らない。
死期を悟った姉は、妹のわたしに頼んだ。
スーツをクリーニングに出したままだわ。
しかし店の控えが何所に行ったか分からない。昔ながらのクリーニング店で複写した控えと引き換えなのだ。
電話でわたしが事情を話し、姉からきき取ったスーツの特徴を並べたて、最後には姉にも電話に出てもらい、ようやく引き取れた。
ふと想った。
不慮の事故などで突然亡くなった人がもし身寄りのない独り暮らしであれば、預けた服はクリーニング店でどうなってしまうのだろう。
ともあれ、姉のスーツは手許に戻った。いいスーツでびっくりした。
「そうでしょう」
病室で姉は寂しげに微笑んだ。
「就労十年目の自分へのお祝いに、少しいいものを買ったのよ」
せっかくのそのスーツに姉が袖を通したのは入院前のワンシーズンだけだった。それまでは親が就職祝いに百貨店で誂えた二着と、就活用に買ったリクルート・スーツを交互に着用していた。あれも生真面目な姉に似合っていたが、クリーニング店から戻ってきたスーツには高級ブランドのタグがついていた。生地もイタリア製だ。
ボタンに特徴があった。黒蝶貝のボタンで、ブランドのロゴが入っている。
悔しい。
そう呟いて、姉は逝った。
やがて私たち家族は慣れた。
何か用があってクローゼットを開けても、そこに姉がいることが当たり前になった。並んだ衣服の列の端っこから、白黒の姉の顔がのぞいている。埃よけのカバーの上に、ステンレスのバーを突き抜けるかたちで姉の顔が風船のように浮いているのだ。
「お邪魔します、お姉ちゃん」という感じで姉をちらっと見るだけで、わたしは必要なものを取り出してまた戸を閉めた。
あの子はよほどあのスーツに未練があったんだな。
棺の中に入れてあげたらよかったわね。
スーツの場所を移動させても、顔だけが、フィルムみたいにぺらぺらと付いてくるのよ。
父母とわたしはリビングでお茶を呑みながらそんな話をしたが、元々オフシーズンのものを納めておくクローゼットだ。平生は姉のスーツのことを忘れた。
休日。しゃれた内装の商業施設の中でお店巡りをしていた。
わたしは急いで家に帰った。
ブーツを脱ぐのももどかしく階段を駈け上がり、姉と共有していた二階のクローゼットの戸を開ける。
「お姉ちゃん」
わたしは姉のスーツを引っ張り出した。
うらめしや。
どうして気づかなかったのだろう。よく見れば、そんな声が聴こえてきそうな形相を姉はしているではないか。
「あの人、亡くなってしまって残念ね。いや、ラッキーか」
「僕たちにとってはね」
階層ぶち抜きの長い下りエスカレーターに向かう男女は高級なスーツを着ていた。混雑の中で手を絡めている。袖口には黒蝶貝のボタン。
「妻とは離婚するよ」
「彼女にもそう云ったんでしょ」
女性が笑う。
自殺未遂をした姉は、合併症を引き起こして結局、助からなかった。
不意に女性がつんのめった。何かに突き飛ばされるようにして女性は頭からエスカレーターを転がり落ちていった。
緊急停止したエスカレーターの下に雪崩のように折り重なった人々の映像がどこのテレビ局でも速報で流れている。救急車と重傷者を運ぶ担架。
「お姉ちゃん」
わたしはスーツを揺さぶった。白黒の姉の顔は風船のようにゆらゆらと浮かんだまま、にた、と笑った。
[了]
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