パラダイス

無名の人

パラダイス

振り返ってみると、文字どおり「パラダイス」のような小学生時代だった。


山に行けばクワガタが捕れるし、海に行けばメバルやカレイが釣れる。通学路の至るところに、子どもが数人身を隠せる程度の「秘密基地」があったし、そこで密かに野良猫をを飼い慣らすこともできた。宿直の先生(ピアノとバイオリンの名手)は、夜になると「職場放棄」して、ビールを飲みながら地域の大人たちと夜釣りを共にし、宿直室では「酒盛り」をして夜な夜な親睦を深めていた。(宿直室の土間には当たり前のようにビールや日本酒の空瓶が転がっていた。)


四季折々のスポーツ活動も、小規模校のため4年生以上の児童は全員何かしらの形で「学校代表」にならざるを得なかった。私自身も「4番・ピッチャー」ではあったのだが、「巨人の星」さながらに本気で勝ちに来ていた他校の子どもたちと違って、試合前から勝てるような気がしないのに、形だけは一人前のユニホームやスパイクシューズを身につけることと、試合の合間に冷たい飲み物にありつけることだけを楽しみに「遠足気分」で試合に臨んでいた。「勝つことを目的としない」スポーツ、「みんなで非日常的な時間を共有すること自体を楽しむ」スポーツだったように思う。


夏休みには、一応学校指定の海水浴場があり、みんなで海浜清掃をして、見張台の保護者の方々に「命札(いのちふだ)」なるプレートを預けて2時間程無心に泳いでいたものだが、海水浴場以外のもっと魅力的なプライベート・ビーチでの自己責任による海水浴もごく普通のことだったし、誰も目くじら立てたりはしなかった。ラジオ体操も、6年生がスタンプを自主管理していて、寝坊したりズル休みしたりする下級生に対して「気前良く」スタンプを押してくれたおかげで怠け者の私も「書類上皆勤賞」だった。(実際に早起きしたのは夏休みの半分程度だったような気がする。)


4年生の頃、映画のロケで郷ひろみと秋吉久美子のお二人が教室の至近距離を通過した時は、担任の教頭先生自ら「授業を放棄」してクラス全員での「社会見学」の時間になった。撮影が終了して、皆それぞれにサインをもらった頃には放課後になっており、その日の授業はいつの間にか終了していた。(サインをもらうことの意味をあまり理解していなかった私は、順番待ちの行列に並ぶのが面倒だったので、暇そうにしていたスタッフのおじさんらしき人物にサインをお願いして予想外に喜んでもらった記憶がある。)また、同じ年の遠足で大島最高峰の念仏山(標高381メートル)に登った時は、なぜか山頂で現地解散になり、我々のクラス(6名)だけ、道なき道を探検してみることになったのだが、先生と一緒に道に迷ってしまい、下山するのに大いに苦労したのが最高に楽しい思い出である。(大人でも道に迷うものだということを身をもって体験できたことは最高の教育であった。)


とりとめのない思い出の断片を連ねてみて改めて実感するのは、自分は紛れもなく「パラダイス」で暮らしていたということである。今とは時代が違うと言われればそれまでだが、今も昔も子どもは子どもである。令和の若い皆さんにも、のびのびと大らかに人生を楽しんで欲しいと思う。


When a boy, I was so wild and mild!


2022.1.20

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