フレンドモード

糸森 なお

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「結局、運動会にはみんな出られたの?」


「みんな来たよ。璃子りこはのぞいてね。璃子はずっといないから」


 みおの返事に、パパは一瞬だまり、


「そっか。璃子ちゃん、学校来られるようになるといいけどね」


と言った。

 ママも同じようなことを言っていた。この話になると、大人は決まったことしか言わない。


 正直、澪にとっては、璃子が学校に来ても来なくても、どっちでも良かった。璃子には会ったことがない。四年生になって一度も教室に来たことがないからだ。


 去年まではずっと別のクラスだったから、そもそもいることを知らなかった。

 ひなによれば、三年生の時も、全く登校しなかったそうだ。二年生で一緒だった悠馬ゆうまは、最初の方だけいたような気がすると言う。


「髪がめっちゃ長い女子が、前の席にいたけど、すぐにいなくなった。あれが璃子か、でなかったら幽霊じゃね」


 悠馬はまじめな顔でそう言っていた。


 インフルエンザ、コロナ、そうではないただの熱などが理由で、澪のクラスは、運動会前に休みの子が増えていた。

 みんなそろって運動会ができるように体に気をつけて、という内容のプリントも配られていたが、運動会当日はみんな来た。


 でも、本当は『みんな』じゃないのだと澪は思う。璃子がいないから。でも、みんな、『みんな』来たという。一度も会ったことのない子は、多分、みんなの『みんな』の中には入らない。


 休んだ子は、タブレットからオンラインで授業に参加することもあるけど、璃子はそれもやらない。「速水はやみ 璃子りこ」の名前に、オンラインの印がついたところは見たことない。

 だけど璃子だけじゃない。二組にも、ずっと学校に来ていない男子がいるらしい。澪は学校は嫌じゃないけれど、ずっと家にいるのをいいなと思う時もある。苦手なマット運動で、いくつかの動きを組み合わせて作品を作れと言われた時は、家に帰りたいと思った。


 澪は今、ユーチューブでカードの大会の録画を見ていた。


「澪、そろそろ、目の休憩」


「はーい」


 パパに言われ、腕を上に伸ばして、ソファに倒れこんだ。目を閉じたら、まぶたの裏のぼんやりした灰色の幕みたいなのがだんだん赤く変わった。


「学校の宿題は終わったんだよね?」


 スマホから顔を上げて、パパが言った。目を開けたら、天井のライトと目が合った。


「宿題、出てないよ。運動会だもん」


「そっか。じゃあ、お昼食べに行こう」


 今日は運動会の代休で、学校は休みだった。学童はやっていたけれど、パパが『ざいたく』で家にいるので休んだ。

 お昼は、澪の希望で回転寿司に決まった。


「ママが知ったら、ずるいって言わないかな」


「まあ、しかたない」 


 パパは笑いながら肩をすくめる。


 澪はお気に入りの紫のパーカーをはおって外に出た。晴れていたが、風が少し冷たい。

 道沿いのブロック塀の上から、紅色の山茶花さざんかがのぞいている。

 空にはひつじ雲が縦に並んで浮かんでいた。あれが全部ひつじだったら、大群だ。ぎゅうぎゅうの群れになって走るひつじを想像したら、少しおかしくなった。

 

 商店街にあるお弁当屋さんの前を通る。店先では、手書きのメニューが道路に面したカウンターの下に、ばらばらに、パズルのピースみたいに貼られている。ここのお弁当も、澪は好きだ。特に唐揚げ弁当が最高。衣がさくさくでおいしい。


 お弁当屋さんの隣には、何年か前に薬局ができた。かもめ薬局という名前で、かもめの絵が描かれた看板がかわいい。

 いつか、ママが、璃子の家はかもめ薬局をやっていて、薬局の二階に住んでいるらしいと言っていた。

 どうして、かもめなんだろう。つばめとか、うぐいす薬局でもいいのに。でも、からす薬局や、とんび薬局だといまいちか。そんなことを考えながら首をそらせて、かもめ薬局の二階を見上げた。窓は閉まっていて、カーテンが引かれていた。


 回転寿司屋はとても混んでいた。入口にある席が空くのを待つ人が座る椅子も、うまっていた。


「どうする、別のところにする?」


「いいよ、待つ。マグロ、絶対食べたいもん」


 澪が言い張り、外に出て待つことにした。澪は、駐車場に向かうスロープのふちに腰かける。


「澪、ポケやる?」


「やる」


 パパが、スマホを渡してくれた。暇つぶしに、パパはスマホに入っているゲームで遊ばせてくれることがある。今いる場所と連動していて、近くにいるポケモンを捕まえられるゲームだ。画面には、なめくじポケモンが大量に発生していた。そういうイベント中のようだ。


 目の前を、お父さんと女の子、さらに小さい男の子、という組み合わせの親子が通り過ぎて、店の中に入っていった。

 澪は、なめくじポケモンを連続で捕まえることに集中する。普通のものと色が違うものを見つけた。これはすごくめずらしい。つかまえて、ガッツポーズする。


 しばらくして小さい男の子の、


「パパ、ひまーっ」


という、かんだかい叫び声が聞こえた。


 となりに、さっきの親子三人が立っていた。この人達もここで待つことにしたらしい。四、五歳くらいの男の子が、地団駄を踏んで、不満げに父親を見上げている。


「お姉ちゃんと一緒に、これやってなさい」 


 がっしりした体つきの父親が、スマホを女の子に渡す。画面をとなりからのぞきこんだ男の子が、


「うわー、トリトドンばっか!」


と大声を上げた。

 澪はこっそりと体をずらし、二人が持ったスマホの画面を盗み見る。思ったとおり、同じゲームをやっていた。

 女の子は、同じ年くらいに見えた。腰まである長い髪には、ピンクのメッシュが入っていた。


「大発生中なんだ。色違い、いるかも」


「いたよ!」


 女の子のつぶやきに、反射的に返事していた。

 女の子は、びっくりしたように目を見開いて澪を見た。かけているめがねの縁も、明るいピンク色だった。


「私、さっき捕まえた。ほら」


 スマホの画面を二人に見せる。


「近くにいたよ」


「すげー! どこどこ? 教えて!」


 男の子が興奮して、澪の画面をのぞきこむ。

 女の子の画面では、澪が教えた場所に同じポケモンはいたが、それは色違いではなかった。


「なんで!」


 がっかりして泣きそうになる男の子を、女の子がなぐさめる。


「人によって出るかどうか変わるんだよ。しかたないよ」


「弟?」


 たずねた澪に、女の子はうなずく。


「うん、五歳」


「へえ。あたしは兄弟いないよ。でも、同い年のいとこがいる」


「おれたちもいとこいるよ! てっちゃん! 高校生。ポケカいっぱい持ってる。でもおれ、ポケカで勝ったことある」


「ポケカ持ってんの? あたしも!」


 澪の言葉に、女の子の目が輝いた。それは、澪の目の輝きが映ったのかもしれなかった。

 澪はポケモンカードが好きだったが、クラスではポケカを真面目にやっている子はいなかった。これまでバトルする相手は、パパしかいなかった。


「何のカード持っている?」


 女の子は、めずらしいカードを何枚か持っていた。女の子の方も、澪の持っているカードで見たことがないものがあると言った。


「澪、席あいたぞ」


 パパが声をかけた。かなり待ったのだと思うが、話していたから時間はあっという間だった。


「バイバイ」


 女の子は、か細い声でつぶやくと、小さく手をふった。


 しかし、寿司を食べ終わった後、澪たちはセルフレジでまたその親子と出くわした。ちょうど、食べ終わる時間が一緒だったらしい。


「おう!」


 澪が手を振ると、女の子はうれしそうに笑った。

 その親子も、回転寿司屋には徒歩で来ていた。帰る方向を聞いたら同じだったので、自然に一緒に帰ることになった。

 歩きながら、澪は女の子と、ポケカの話をした。パパとしか戦ったことのない澪と違い、女の子は小さな大会に出たことがあるという。


「でも一回戦で負けた」


 女の子は恥ずかしそうだったが、澪は大会に出たというだけですごいと思った。


「おれもポケカできるよ! てっちゃんにも勝ったんだよ。一緒にやろうよ!」


 弟は、必死に話に入ってこようとする。


「明日、一緒に遊ぼう」


 いてもたってもいられない様子で、弟は澪のそでを引っ張った。


「明日は駄目だよ。学校あるから」


「あおいの保育園だってあるじゃん」


「そっか、そうだね」


 澪と女の子に言われて、男の子はあっさりとあきらめた。男の子の名前は、あおいというらしい。

 今度の土曜日に、一緒に遊ぼうということになった。後ろを振り向くと、パパ同士が笑いながら話していた。


「パパ、土曜日遊んでいい?」


 パパが家はだめだというので、場所は近くのしろくま公園になった。

 商店街の途中で、その子達とは別れた。家がそのあたりだということだった。


「フレンドになろうよ」


 ポケゴーのフレンドを増やしたかった澪は、女の子に声をかけた。お互いの父親がいいと言ったので、パパのスマホで女の子のコードを読んで、フレンドになった。女の子のアバターは、カモメのポケモンを連れていた。


「あたし、ここの唐揚げ好き」


 そばにあったお弁当屋を指さして澪が言うと、女の子はにっと笑った。八重歯がちらりと見える。


「あたしも。めっちゃおいしいよね」


**


「その子の名前は?」


 夜、帰ってきたママに、今日あったことを話すと、まずそうたずねられた。


「知らない」


 ママは、夕飯を作っていたパパの方を見る。


「どこの子か聞いたの?」


「聞いてない」


「聞くでしょ、普通」


 キャベツをスライサーで千切りにしていたパパは、手を止めて顔を上げた。


「忘れてた」


「ええっ……」


「でも、商店街の途中で、このへん住んでるって言って別れたから、家は近いと思うよ。ちょっと話したけど、向こうのお父さんも、ポケカ好きそうだった。子どもと一緒に、大会出たりしているって」


「すごいね、それは」


「土曜日は、おれも一緒に公園に行くよ。その子の持っているポケカも見てみたいし」

 

 パパは澪と同じくらい、ポケカが好きだった。うきうきとした顔をしている。


「ママ、その子も四年生なんだって! 弟は五歳で、あおい。いとこはてっちゃんで、ポケカやってるって」


「弟といとこの名前を聞いて、どうしてその子の名前を聞かないの」


「気づかなかった」


「パパと澪、そういうところあるよね。あのへんに住んでいるなら、同じ小学校じゃないのかな」


 ママはあきれたような顔で言った。


「でも、知らない子だったよ。ポケゴ―のフレンドにはなった。ユーザー名は、アルファベットがごちゃごちゃしてたから、多分、名前じゃないけど」


「フレンド? それで連絡が取れるの?」


「できない。フレンドになっても、メッセージを送ったりとかはできない。そういう仕様だから」


「フレンドなのに? まあ、その方が安全だけど。待ち合わせ、何時にどこだっけ?」


「土曜日の十時半に、しろくま公園で待ち合わせ」


「中途半端な時間だなあ。何で十時半なの?」


「弟が、朝、スイミングに行くから、十時半がいいんだって」


「もし雨だったらどうするの?」


「雨だったら中止って決めたから、大丈夫」


「連絡取れないんだから、もし雨だったら、二度と会えないんじゃないの、それ」


「本当だ! ママ、頭いい」


 それは考えていなかった。

 澪はタブレットで、今週の天気予報を確認した。土曜日は雲と傘のマークがついている。雨の確率は50%になっていた。


「微妙だなあ」


「微妙だね」


 澪とパパは苦笑いした。


 夕飯を食べた後、澪はママと一緒にお風呂に入った。

 澪は、今日見たポケカの動画の話をしていたが、ママはあいづちを打ちながら、どこかぼんやりとしている。


「それでね、ハルさんって人の方が、ラストにミラクルを三連発してね、勝ったんだよ。三連発だよ、すごくない?」


「そういえば、璃子ちゃんって、やっぱり運動会休んだ?」


 不意にママが聞いた。澪は、ちょっとがっかりした。ママは澪の話を、全然聞いていなかったのだ。まあ、いつものことだけど。


「うん」


「そっか」


 しばらくだまっていたママは、真剣な表情で澪を見た。


「璃子ちゃん、たまに保健室には来ているらしい。もし、どこかで会ったら、澪、優しくするんだよ」


「わかった」


 澪は笑って敬礼のポーズをした。


「あたし、どの子も会えば大体、友達になれるよ。璃子は会ったことないから、まだ友達じゃないけど」


「そうだね。今日も、知らない子と仲良くなってるし。すごいよ」


 ママにほめられて、澪はじわりと嬉しい気持ちが、温かく体を満たすのを感じた。

 お湯の中に頭をひたすと、水面に長い髪が広がる。髪が長いのは、今日、友達になったあの女の子と同じだ。あの子は、ピンクのメッシュを入れていた。ポケゴーのアバターもピンクの髪だった。


「土曜日、晴れたらいいな。今日会った子も、商店街のお弁当屋さんの唐揚げ、好きだって」


「ああ、あれおいしいよね。ママも好き」


 澪は浴槽から出ると、くもった鏡に、指で、てるてる坊主の絵を描いた。てるてる坊主の口は、にっこりと笑った形にした。

 鏡の中で、てるてる坊主は、きっと大丈夫だというように笑っていた。


***


 土曜日は、朝から、雨が降ったり止んだりしていた。


「まあ、いないかもしれないけど、時間になったら行くだけ行ってみようか。どうせ暇だし」


 家を出て、雨の様子を見てきたパパは、のんびりと言った。ママはまた仕事でいなかった。

 十時ごろ、急に、窓ごしにまぶしい光が差し込んで床を照らした。


「晴れた?」


 澪が窓を開けると、雲は切れて太陽が出ていたが弱い雨がまだ降っていた。

 でも家を出る頃に雨は止んだ。空が意地悪するのをあきらめたのだと思った。


「でもこれ、ベンチとか濡れているだろうなあ」


「シート持っていけばいいじゃん! 早く行こうよ!」


 準備のおそいパパをせきたてていたら、家を出るのが十時半になってしまった。


「遅いよ! 走ろう」


「大丈夫だよ。向こうも来ているか分かんないし」


「来てもいなかったら、帰っちゃうかもしれないじゃん! 先、行くからね!」


 澪はパパを置いて、ぬれた歩道を走り出した。カードの入ったケースが、ゆれて足に当たって痛い。


 しろくま公園は、マンションのとなりにある小さな公園だ。小さい子がまたがって遊ぶ、しろくまの形の遊具があるのでそう呼ばれている。

 走ってたどり着いた雨上がりの公園は、大きな水たまりができていた。

 その水たまりを、小さな男の子が、長靴でざぶざぶと横断していた。となりで、プラスチックケースを抱えた女の子が、不安そうにうつむいている。


 息を切らせて、澪は駆け寄った。


「おくれてごめん!」


「大丈夫。私たちも、今、着いたから」


 女の子は、おずおずと微笑んだ。今日はメッシュの入った髪を、二つ結びにしている。


 名前は知らないけど、友達だ。澪はそう思った。

 だって、気持ちが通信できている。普通よりも上の、フレンドモードで。


「私、澪っていうの」


「澪ちゃん。私は……」


「おれはあおい! はやみあおい。お姉ちゃん、早くバトルやろうよう!」


 弟が澪の手を引っ張った。


 パパが、公園の入口に現れた。


「カード、見せあおうよ」


 水たまりをよけて、湿った地面に水色のビニールシートを敷く。その上に、色鮮やかなカードが並んだ。


「おお、ザシアンだ。すげー」


 パパが女の子のカードを見て、感心したように言った。


「あたし、ザマゼンタ持っているよ」


「おれ、キラキラのカード持っているんだよ。見せてあげる!」


 四人の横では、しろくまの遊具がしずくにぬれて光っていた。


<了>

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