紙の上で愛を踊ろう

セツナ

紙の上で愛を踊ろう


 一世一代の恋をしていた。

 もうこれ程に誰かを愛することなど、ないと思う。

 それくらい、大好きな人が出来た。



 その人はいつも本を読んでいた。

 漫画やボードゲームが積まれている汚い部室の片隅。

 窓際の特等席に座って、他の誰もが流行りのライトノベルの話題で花を咲かせている中、一人黙々と自分が好きな本を読んでいた。

 私はその本のタイトルも、作者の名前も分からなかったが、ただ彼の本を読む真剣な横顔に恋をしてしまった。


 私たちは、大学の文芸部という部活で出会った。

 私も彼も同い年。一年生の時からずっと同じ部活に居て、でも話したことは片手で数えられる位しかなかった。

 いつも彼は部屋の片隅で静かに本を読んでいたから。

 周りの同級生や先輩、後輩も。みんな彼の事を遠巻きに見ていた。

 彼だけまとっている空気が違うのだ。

 私たちが大好きな本の周りを嬉しそうに舞う蝶のようだとしたら、彼は花を主食とする鳥のような。

 そもそも生き物としての形が違う。そんな風に思う程、作品への姿勢が違うのだ。


 私たちは部活動の一環で、小説を書いて部誌を作成し配布するという活動があったが、その中でも彼の作品は一際目立っていた。

 現実世界では、静かに存在感があるような印象を受けるが、部誌の中での彼の作品はまた一味違う。

 文章を目で追っていると、まるで心の内側にその文字が刻みつけられるような熱量。感情を司っている脳の部分があるとするならそこに直接書き込まれていくような感覚。

 そんな錯覚を覚えるような作品だった。


 私たちは、部誌を刊行するにあたって、推敲作業を皆で行うのだが……彼の原稿にはほとんど誰も赤を入れない。入れるなんておこがましいと皆思っているのだ。

 天才だった。感情を文章に乗せる天才。

 そんな中、彼の原稿に推敲の赤文字を入れていたのは部長と私くらいだった。

 私だって、彼の文章に惹かれていたし同時に完成された原稿に感想を書くことすらはばかられると思っていた。

 けれど、私は彼に恋をしていた。

 だから彼の視界に映るなら、記憶に残るなら、この文字の上しかないと思ったからだ。

 精一杯の想いを書いた。彼の文章により添わせるように、赤い文字を並べる。

 それが、私の唯一出来る彼へのアピールだった。


 そして大学卒業が迫ってきた2月。

 同時にバレンタインデーも迫って来ていた。

 大学が春休みに入ってしまうという事で、部活動も2月の13日が最後の活動日となった。

 3年生の卒業を記念して3月の部誌の小説もその日が最終稿の〆切で、それに合わせて私は柄にもなくチョコレイトを作っていくことに決めた。

 きっと恋心を寄せる彼とは卒業後会う事が無くなってしまうと思ったから。気持ちを伝えるならこの日しかないと思った。

 けれど、あろうことか私は2月13日を目前にして風邪を引いてしまったのだ。

 小説の原稿はあらかじめ部長に提出していたので、そこは大丈夫なのだが……卒業を前にして遂に一生に一度あるかないかの恋心を伝えきれないまま、学生時代が終わってしまうのかと思うと辛かった。


 風邪で寝込むベッドの脇の机には風邪薬と共に、彼に渡すはずだったチョコレイトが置かれていた。

 熱も出てきてしまったのか、身体を横たえていても意識が朦朧としてくる。

 そんな中、不意にチャイムの音が聞こえる。

 熱で幻聴でも聞いているのだろう、と無視を決め込んでいると携帯の電話が鳴った。

 ディスプレイを見ると、登録のない携帯電話番号からだ。

 夢でも見ている心地で電話を取る。


「もしもし……」


 声を出すと喉も痛い。電話口の相手は数秒無言を続けた後「部屋に入ってもいいか」と尋ねてきた。


 そこで一気に目が覚める。何? 部屋の前に誰かいるの?

 ここは一人暮らしのアパートだ。しかも声の主は男の人のようだ。怖い。


「いや、無理です。帰ってください」


 と、返す。「貴方は誰なんですか?」と恐る恐る尋ねると、彼は一言で名乗った。


「芥川」


 芥川、と言う名前には聞き覚えがある。むしろ、何度も何度も心に刻まれた名前だ。

 窓際でいつも小説を読んでいる彼。文章の上で感情のダンスを披露する彼。そして作品に掲げられる看板としての作者名『芥川』。

 そう私が恋する彼の名前だ。

 瞬間、慌てて返事をする。


「は、入ってもいいですが、風邪移しちゃうかもしれません」


 なんでこんな所に居るんですか、とかそんな事を聞くまもなく。なんだか見当違いな事を言ってしまったかもしれない。

 しかし彼は、そんなこと、と言うように「気にしない」とだけ言って電話を切った。

 そして、不用心にも鍵をかけていない部屋のドアが開かれ、「邪魔する」と言いながら入ってきた彼の姿が目に入る。

 彼はいつも部室にいる時のような姿で、でも彼の手には大量の紙束が乗っていた。

 彼は静かに私のベッドの傍に膝をついて座ると、それを風邪薬やチョコレイトと共に机の上に置いた。


「あなたにお礼を言いに来た」


 そして、開口一番にそう言うのだった。


「お礼……?」


 熱にうなされて夢でも見ているのだろうか。

 彼が喋っている所なんてほどんど見たことがない。

 しかも、私が直接じっくりと話したのなんてこれが初めてだと思う。

 そんな彼が、何で私にお礼なんか――


「あなたはいつも、俺の作品を愛してくれた」


 それは多分、部誌の感想の事を言っているのだろうか。


「俺は小説を書きたくて書いている。自分の想いを伝えることが出来るのは、文字の上だけだから。他の奴らがそれをどう思おうが関係ないと思っていた」


 と、そこで言葉は切れた。考えながら言葉を探しているような様子だ。


「だけど、あなたの赤い文字には沢山救われた」


 そう、言って。優しく微笑んだ。

 初めて見る彼の表情に、ドギマギしてしまう。

 これは絶対夢で、目が覚めたら虚しいだけの夢だ。

 でも、それでもこうやって彼と話せるのは幸せだった。


「だから、お礼を伝えに来たんだ。これを」


 と言って、彼は机の上の紙束を指した。


「いつでもいい。読まなくてもいい。捨ててくれてもいい。……お大事に」


 と、それだけ言い残して、彼は来た時と同じように突然帰って行った。

 気が抜けた私は一気にまぶたが重くなり、再び深い眠りについてしまう。



 次に目を覚ました時にはもう身体のだるさは無くなっていて、熱もすっかり引いていた。

 先ほどまで見ていた心地の良い夢を反芻しながら、身体を起こすと、机の上には夢の中で見た大量の紙束が置かれていた。

 それが先ほどまでの記憶が夢でないことを表していた。


 震える手で紙束を手に取る、一枚目にはタイトルと『芥川』という彼の作者名が刻まれていた。

 そして、その小説の一行目はこんな文章で始まっていた。


『一世一代の恋をしていた。

 もうこれ程に誰かを愛することなど、ないと思う。

 それくらい、大好きな人が出来た。』


 と。その文章に目を落とした瞬間、私は両目から涙を滲ませてしまった。

 そこに書かれていたのは、彼のとても熱く大きく重く胸が締め付けられるような痛さを伴った、一世一代の恋心、だった。

 その先が私に向けられていたものだと感じて、その気持ちの文章を読んで、私はこらえきれず泣いてしまったのだった。


 机の上に置かれた大量の小説ラブレター

 読み進めるために持つ指から発火しそうなほど、熱い想いを贈ってくれた彼に、私は何を返せるのだろうか。

 考えを巡らせた結果、私は赤いペンを手に取った。

 彼の言葉により添わせるように、そっと紙に赤いインクを滲ませていく。


-END-

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