第4話

「今から移動すれば、塔の夕焼けが一番美しく見える場所に間に合いますよ」


 遺跡の観光もそこそこに展望台の方へ戻ってくると、ガイドが腕時計を見ながらそう提案してきた。特に断る理由もないので同意するとガイドはにっこりと微笑み、雀躍と先に立って駐車場へと歩き出した。


「ご機嫌だな」

「良いものを友人に奨めるときはワクワクとするものでしょう」


 いつの間にか友人となっていたガイドに苦笑しながら「そうだな」と答えて、後ろを歩き出したときだった。ドォンと鈍く大きな音が塔の方から響き、振り返ると立ち昇る土煙が見え、次いでざわざわと騒ぐ観光客の動揺の広がりが聴こえ出した。


「何が起きた?」


 爆発事故やテロ事件かと身構えると、ガイドは平然とした様子で私の疑問に答えた。


「塔からの落下物ですよ。よくあることです。それより早く行かないと夕焼けに間に合いませんよ」


 ここで暮らす人々にとっては日常の些末なことであるらしい。私は気を引かれながらも駐車場へむかってどんどん進んでいくガイドを見失いそうになり、慌ててその背中を追い掛けた。


「塔は大きく古いので、至る所がよく壊れて落ちてきます」


 ガイドが先ほどの落下物について詳しく話したのは、車を出発させた後だった。


「機械たちはメンテナンスをして塔が崩れないよう補修や補強をしていますが、落ちるときは落ちるものです。上から下へものが落ちるのは、きっと塔が建ち始めるよりももっと昔から決められたルールです」


 ガイドはあまりにも当たり前すぎる道理を達観にも似た調子で語りながら、時計を気にしつつ車を目的地へと走らせている。どうやら彼の意識は私を最高の夕焼けに連れて行くことでいっぱいらしい。


「塔は成長しながら崩れてもいるのだな」

「人も背が伸びながら垢も抜け毛も出ます。同じようなものです」


 ガイドの好意に苦笑しながらそう感想を漏らすと、彼はそれが自然の道理ですと塔を人に喩えて簡単に答える。


「そういうものかね」

「そうですよ。塔も人も同じようなものです。確か最新の研究では、塔は三万年ほど前に一度倒れているとか。人に死ぬ日があるように塔も倒れる日があるのです」

「そうなのか? 驚きだな、あの巨大な塔が」


 私の反応が気を引いたか、ガイドはこの話題に少し関心を向けて、その最新の研究について話し出した。そしてバックミラー越しに車の外に見える道端のスクラップ片を見るよう視線で促してきた。


「ああした荒野に転がっているスクラップ片が、塔が倒壊したときに散乱した残骸であることが成分分析と分散範囲の調査で判明したそうです。さらにこれらのスクラップの時代を最新の測定方法で調べたところ、約三万年前のものという結果が出たそうなのです」


 その言葉に私は二度驚く。


「あのスクラップ片はここに来るまでの道にも転がっていたが、塔からはだいぶ離れたところからあったぞ?」


 まっすぐな道で二時間ほど、確か100キロメートルは優に超える距離からあのスクラップ片は道端に転がっていたはずである。


「つまり倒れた塔は、それだけ高かったということです」


 この驚きにガイドは当然のような声で返したが、倒れたときに100キロ先まで破片が飛び散る塔の高さは、今の塔の高さの5000メートルなど及びもしない、とてつもない高さである。


「それが本当なら、この塔は本当に宇宙まで伸びていたということになるな」

「そうですね。それで面白いことは、塔は一度倒れたのに機械たちは再び塔を作り始めたことです」

「確かにそうだな」


 ガイドの問題提起に色々な仮説が私の頭の中を巡り出す。


「しかし順序が逆かもしれない。塔が倒れたから再建しているのかもしれない。もちろん建設中の塔が壊れたからもう一度始めから立て直しているのかもしれないが」

「塔が先か、機械が先かという議論ですね」


 ガイドがくつくつと笑って言う。塔が最初から存在し機械がその維持を目的に塔の再建を行っているのか、機械が先に存在して塔を建て始めたのか、なるほど卵と鳥の話のような関係である。


「塔に関しては本当に色々な議論がありますが、塔が建てられている目的について私が一番面白いと感じたのは『塔は完成したから倒れ、倒れたから再び建てられ始めた』という説です」


 ガイドがミラー越しに見せたいたずら小僧のような悪い笑顔に、私もつられて笑ってしまう


「それはつまり、塔は倒れるために建てられているということか?」

「そういうことです」

「偉大なる徒労だな」


 私のこの感想にガイドは大きく首肯し、


「人生とはそういうものです」


 そのように話のオチを付けた。まったく笑うしかない。


「そろそろ到着しますよ」


 話している内に車はガイドお奨めの夕景スポットへと到着した。


「なるほど。これは絶景だな」


 道端に止めた車から降りて少し歩いた丘の上だった。観光客には知られていない場所らしく、灌木と砂礫しかない丘の頂上にはガイドと私以外の人間の姿はなかった。


 塔が赤く焼けている。


 展望台あった場所よりも塔から距離の離れたこの丘からは、塔の全景――その瓦礫と鉄骨の積み上がり機械たちが絶え間なく建設作業に従事する塔の姿のすべてが、夕日に赤く燃えるように焼けていく光景をつぶさに見ることができた。


「美しいな」

「はい」


 それ以外の言葉もなく私とガイドは塔の夕焼けを眺める。しかしこの光景も徐々に色を失い、塔の背後に広がる紫の空が次第に西の空へと広がって、やがて地平に暮れなずむ太陽を地面の下に隠す。

 そして塔は、空に明滅する星明かりの中で黒いシルエットとなって夜の荒野に静かに佇んだ。

 見終えた景色の余韻を名残惜しむようにしばらく立ち尽くし、そして急激に冷え込みだした荒野の夜に息が白くなり出した頃に、私とガイドは車へと戻った。


「不思議な塔だな」


 後部座席に座り、車のエンジンを掛けるガイドの後ろ姿を見ながらそう言うと、ガイドは同意するように振り向きながら車をバックさせた。来た道を戻るらしい。次の目的地は宿泊先のホテルである。

 暗い夜道をヘッドライトひとつで走る寂しさにガイドがラジオを入れて、軽快なポップスを流し出す。人生を謳歌するような曲を聴きながら車は暗闇を走る。


「ああして塔を眺めていると、日々の細々とした生活を忘れて見入ってしまいます。色々の人が塔を前に様々な感慨を抱きます」


 安定して運転できるまっすぐな道に入ったところで、ガイドは私の先の感想に対してそう語った。


「そうだな。塔はまるで鏡のようだ」


 塔の歴史を思い返しながら、私はそう答えた。鏡のように見るものに合わせて様々な感慨を抱かせる。ガイドは塔のあり方を人生に喩えたが、人が塔に自身の人生を見るのだろう。

 塔が存在する目的も、機械が塔を建て続ける目的も知らないままに。いや、人はそれを知らないからこそ、そこに人生を投影できるのか。


「そういえば、かつてこの塔を訪れたある詩人が、こんな言葉を残したそうです」


 私の鏡という評に、ガイドはそう思い出した誰かの言葉を語った。


「『人間だけでなくこの世界も、生まれた目的を忘れて存在し続けるこの塔や機械のようなものなのかもしれない』――だそうです。そもそも誰も存在する理由を知らないといえば、世界も同じようなものであるのかもしれません」


 理由――。


 そこでラジオから塔へ向かう道で聴いたあの曲が再び流れた。


  ――どこまでも続く

  その道はいつまでもひとつ

  変わらない場所へと続く

  それは日の下の労働のときでも

  それは月の下の休息のときでも

  夢をトンネルのように抜けて

  あの場所へと続く――


 夜を走る。


  ――教えてくれ意味を

  人生は無駄でなかったと

  教えておくれ――


 夜を走る。


  ――教えてくれ意味を

  教えておくれ――


 塔は語らず、その問い掛けはずっと自分に返り続ける。

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建て続けられる塔 ラーさん @rasan02783643

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