ロボ
尾八原ジュージ
ロボ
母さんはある日突然それを連れてきて、そいつのことをおれの弟だと言い張った。
おれは面食らうしかなかった。だって身長一メートルほどのそいつは、どう見ても弟じゃなくロボットだ。それもそんなに珍奇なものじゃない、たとえばショッピングセンターの入り口だとかそういうところに立って、道案内をしたり、子供の相手をしたり、手を振ったり踊ったりして愛嬌をふりまいたりする姿を、わりとよく見かけるようなやつじゃないか。
ともかく、どう考えたっておれの弟ではなかった。百歩譲ってこれが「不慮の死を遂げた弟が実際にいる」とかだったら母さんの気持ちもわからなくもないのだが、しかし全然そういうことではないというのは、おれも母さんも重々承知していなければならなかった。だって何しろ弟本人が生きていて、おまけにひとつ屋根の下に暮らしているんだから。
実際弟の「ポカーン」な顔ときたら、おれのそれよりひどかった。
「なぁ兄ちゃん」
ロボットの紹介が済んだ夕食のあと、弟はおれの部屋にやってきて、うんざりした顔でそう言った。
「母さん、どうしたんだろうな。疲れちゃったんかな」
「わっかんねぇな」
おれに聞かれても困るが、まぁ、母さんが疲れているのは確かだと思う。毎日のように忙しく働き、家に帰ってくれば飢えた男子高校生と男子中学生のために飯を作ってやらねばならない。去年まではおれが家事の半分を担っていたが、今年からアルバイトを始めたからそうもいかなくなった。弟は昔から体が弱くて、些細なことで体調を崩したり熱を出したりする。家にいる時間が長いからといって、家事全般を押し付けられるような状態ではない。
「母さん、ロボに皿洗いでもやらせる気かな」
「だったら食洗器買うだろ」
「だよなぁ」
弟はそう言って、コンコンと咳をした。
一晩が明け、翌朝もロボットはしっかり家にいた。おれがリビングに入るとロボットは大きくてつるつるした目を見張り、『おはよう、兄さん』と言った。
「うちの弟はおれのこと兄さんなんて呼ばねーから……おはよう」
人間の形をしたものに辛くあたると、妙な罪悪感を覚えてしまう。おれは適当に挨拶を返し、右を見たり左を見たりしながらやけにぬるぬる動くロボットを、トーストを焼きながら眺めた。母さんはまだ寝ているらしい。ここのところ仕事がずいぶん忙しそうだから、今朝のところは寝かせておこう。
そのうち弟があくびをしながら階段を下りてきた。ロボットは弟の方を一瞥したが、何も言わなかった。弟の名前を呼ぶこともなければ、「おはよう」というのでもなかった。ただ黙って弟のことを見つめた。
おれたちが朝食をとっている間、ロボットは部屋の隅に立ち、顔をゆっくりと左右に動かしていた。いつもの見慣れたリビングの景色は、あいつのカメラを通して0と1しかないデジタルの世界に落とし込まれてしまうんだろうか。そう考えるとおれは無性にいらついた。
とにもかくにも朝食を終え、身支度を終えて、おれは学校に急いだ。いつもの一日を過ごすつもりが頭の中はめちゃくちゃで、バイト先でいくつか普段はやらないような失敗をやらかし、なんとかかんとかシフトが終わると、大急ぎで帰路についた。
「ただいま」
三和土に母さんの靴はない。いればロボットについて問い詰めるつもりだったのだが――そのとき、
「『おかえり』」
リビングからふたつの声が聞こえてきた。おれが靴を脱いでいる間に引き戸が開いて、そこから弟が顔を出した。
「お前、今日学校は?」
「休んだ。熱があって」
「リビングで何やってた?」
「ぼーっとしてた」弟は怪訝そうな顔をした。「どうかした? ミツル」
その瞬間、おれは酷く安堵した。この呼び方はいつもの弟だ。もしも「兄さん」と呼ばれたら、その瞬間おれは弟に殴りかかってしまったかもしれなかった。
翌朝、リビングに降りていくとロボットは定位置にいて、おれを見つけるとまた『おはよう、兄さん』と言った。かすかな動作音を立てながらこちらを向いた顔を見て、おれは悲鳴をあげた。ロボットの肩の上に虚ろな目をした弟の生首が載っていた。
そこで目が覚めた。まだ部屋の中は暗い。時計を見ると夜中の三時だった。今見た光景が夢のものだったことに、おれは心底ほっとして長い長いため息をついた。
頭の下にある枕のもっと下から、ロボットの走行音が聞こえてきた。たぶん、この音のせいで悪夢を見たのだろう。
(あの野郎、充電抜いといてやろうか。つーか何の役にも立ってないし)
おれは起き上がってリビングに向かった。
階下はまだ明るい。廊下の明かりが点けっぱなしなのだ。途中で通りがかった玄関に母さんの靴はなく、まだ仕事から帰っていないことをおれは悟った。もう丸一日母さんに会っておらず、したがってなぜあのロボットを弟だと言って持ち込んできたのかも謎のままだった。こんなとき父さんが生きていたらよかった。ていうか誰かの代わりに家庭にロボットを持ち込むなら、せめて父さんの代わりにするべきだろ。なんで弟なんだよ。
リビングのドアを開けると、ロボットは定位置に立っていた。もうすっかり当たりまえみたいな顔で、静かにスンとそこにいた。
まだこいつが家に来てそれほど経っていないのに、コンセントのあるそこが定位置みたいになっている。おれはそのことに苛ついた。電気代だってどれくらいかかるだろう? 大体こんなもの、一般家庭に置くようなものじゃないのだ。
(大体さっきまでこいつ、動き回ってたはずなのに)
でなけりゃ走行音が聞こえるわけがない。動き回っていたことを隠されているような気がして不快だった。
おれはロボットの後ろに回った。そし長々と伸びた充電用のコードを、コンセントから引き抜こうとした。そのときロボットが首をぐるりと回してこちらを向いた。
『なにやってんの?』
つるつるした丸い顔面に、歪んだおれの顔が映っているのが見える。その途端なぜか自分のしようとしていたことがひどく怖ろしくなった。同時に、ロボットに見咎められたこと自体が怖かった。おれは慌てて立ち上がった。
「なんでもない」
とっさにそう言ってから、さすがにここまで来といてそりゃないだろと思った。「充電できてるか見にきたんだよ」とモゴモゴ言い訳すると、ロボットは言った。
『やだな、おれが充電なんかするわけないじゃん。ロボかよ』
半分が笑いに溶けているような声だった。おかしな話だが、いかにも弟の言いそうな台詞だと思った。
おれは逃げるようにリビングを出た。
『おやすみ』
リビングの戸の向こうから声が聞こえた。いつの間にか、おれの背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。
夜が明けた。玄関には脱ぎ捨てられたパンプスと、酒臭い吐瀉物が残っていた。仕事明けに一杯引っかけてきたのだろう。とにかく母さんが帰ってきたらしいことに安堵しながら、おれはゲロを片付けた。これじゃ今頃部屋で爆睡しているだろう。ロボットの話なんかできやしない。
ロボットは勝手にリビングのテレビを点けていた。動くのは上半身だけで、下半身は平行移動しかできない。だからソファに座って足を組むなんてことはできず、直立不動のままテレビをじっと見つめている。
『■■百貨店では、新しい試みとして店員の仕事の一部をロボットに――』
画面には、目の前にいるロボとは比べようもないほど人間によく似た、若い美女の姿をしたロボットが映っていた。カウンターの向こうに立ち、にっこりと微笑んでいる。
『最近のロボットってすごいね、これ、人間と入れ替わっててもわかんないかもな』
おれの近くに立っているロボットが、まるで他人事みたいな口調で言った。
弟はなかなか姿を現さず、どうやら昨日の熱が長引いているらしい。弟の部屋をノックすると「ごめん、寝かせて」と声が聞こえた。
おれは弟を放っておいて家を出た。誰でもいいから、人間に会って話をしたい気分だった。
その日も夜九時過ぎ、アルバイトを終えて家に帰った。
「ただいま」
「『おかえり』」
また返事がダブっている。リビングに行くと、弟は案の定そこにいた。ロボットと並んで、テレビを眺めている。
「そんなもの構うなよ」
「だって暇だしさぁ」
「知らん。熱あるなら自分の部屋で寝てろや。そんなもんと遊んでて楽しいか?」
弟は「楽しいとかじゃなくてさ」と言った。
「しなきゃだろ、こういうことを……だってさ、母さんはそのためにロボットなんか買ってきたんだろ? 長時間労働してさぁ。おれの体がすげぇ弱いからさ、母さんはおれの中身をロボに移したいんだと思うんだよね。そんで、おれはそれも悪くないと思うからさぁ、とりあえずこいつと情報を共有しなきゃと思って」
「バァーカ、何言ってんだ。そんなこと一般のご家庭でできっかよ」
おれは弟の頭をはたいた。そのときロボットがおれの方を向き、無機質な瞳におれの姿を映しながら『いてーな、ミツル』と不満げに言った。
気がつくとおれは家を飛び出して、夜の繁華街を歩いていた。
ぶらぶらしながら考えた。よく考えたら別に何が起こったってわけじゃない。ただうちにロボットが来て、そいつが喋ったりしているだけの話で、幽霊が出たとかストーカーに侵入されたとか、そういう「怖ろしいこと」は何一つ起こっていないのだ。
ただ大きめの機械がひとつ、家の中に追加されただけ。もちろん弟でも何でもない。あいつが家にあったってなんの問題もない。だからおれは家に帰って、たぶん終わってないはずの家事をやるべきだ。弟が一日中ロボットと話していたのなら、洗濯物も干しっぱなしのはずだし、夕飯も食べていないかもしれない。母さんはたぶん今日もまだ帰っていないか、夜勤明けで寝ているのだろう。だから帰るべきだ。それにここで退いたら、ロボットに家を追い出されたってことになる。冗談じゃない。
おれは無理やり踵を返すと、強引に家の方向へと歩き始めた。足元だけを見て、とにかく前に進むことだけ考えた。そうしないと足が止まりそうだったので、本音では「帰りたくない」と思っていることが見え見えだった。でもなぜそうなる? 怖ろしいことなんか何も起こっていないはずなのに?
(家に帰ったら、ロボの充電コードをぶち抜いて捨てよう)
そう決めて、ポケットの中の鍵を握りしめた。
家の玄関からは、点けっぱなしの灯りが漏れていた。普段なら安心すべき光景なのに、暖色系の光が妙に不吉なものに見えた。
鍵は閉まっていた。さっき飛び出したとき、おれはちゃんと鍵をかけたらしい。それとも弟が閉めたのか、母さんが帰ってきたのか。そんなこと考えたくはないのに、あのロボットが白くてつるつるした腕を上げて鍵をかけるイメージが、どうしようもなく頭の中に浮かんできた。
「ただいま」
小さな声で言って、家の中に入った。
三和土に母の靴はない。とにかく靴を脱ぐと、おれはリビングの引き戸を開けた。
『おかえり』
白くてつるつるした物体が、おれを迎えた。弟の姿はなかった。おれはすぐに二階に向かい、弟の部屋をノックした。
「おい、いるのか?」
返事はなかった。もう一度呼びかけてからドアを開けた。
部屋の中には誰もいなかった。ベッドの上に、くちゃくちゃになった毛布が小さな山を作っていた。
弟の名前を呼びながら家の中を移動した。おれの部屋を見た。母さんの部屋も、トイレも風呂場も。だれもいなかった。ダイニングキッチンからリビングに戻る。やっぱりそこにはロボットだけが立っている。
『何? なんか探し物?』
こいつに弟の居場所なんか聞きたくなかった。何かしら後悔することになりそうだという予感があった。
『何やってんだよ〜、ミツル』
また名前を呼ばれた。途端に苛立ちが頭の中で沸騰した。
「ロボが偉そうに喋ってんじゃねぇよ」
『なんだよ、ロボって蔑称のつもり?』
ロボットが笑った。表情は変わらないが、笑われたということだけは確かだった。おれはコードを引っこ抜いて捨てようとした。どこにあったっけ? 頭に血が昇って見つけられない。コンセントはどこだ?
『やめろよぉ、兄弟なんだから仲良くしようぜ』
「お前とは兄弟じゃない」
『兄弟だよ。ミツルだってずっと前からロボットじゃん』
その一言に思わずぎょっとして、おれは自分の両手を見た。言うまでもなく人間の手だった。当たり前だ、学校に行って、バイトして、その間誰にもなにも言われなかったんだから、おれは人間だ。そう反論しようとすると、先にロボットが声を上げた。弟の声によく似て聞こえた。
『学校もバイトも行ったけど誰にもツッコまれなかったって? それって人間の証明になるか? ロボットが百貨店で働く時代に?』
「うるせぇ!」
おれは弟ではないロボットを怒鳴りつけると、キッチンに向かった。シンクの下から包丁を取り出し、自分の左の掌を切った。皮膚を裂く感触、少し遅れて赤い血が流れた。やっぱりおれは人間だ。ロボットじゃない。
「ほら見ろ! 人間じゃねえか」
『ほんとにぃ〜?』
ロボットはぬるぬるとした動きで首を傾けると、耳障りな声で笑いだした。おれの頭蓋骨の内側で脳みそが煮えくりかえっていた。ただもう怒りだけがそこにあった。おれはロボットの方に向かって足を踏み出そうとした。そのとき、馴染のある音が耳に飛び込んできた。
玄関のドアが開閉する音だ。
パンプスのヒールが鳴り、バッグをどさりと置く。母さんだ。マグマみたいに煮立っていたおれの脳みそが、新しい情報を投げ込まれて少しだけ静かになった。と、
「『ただいま』」
母さんの声がダブッて聞こえた。
おれは包丁を握り直した。
ロボ 尾八原ジュージ @zi-yon
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