ミラクル番外編、葵・テレジア奇譚 10

〈男の姫君疑惑から数か月後〉


オイゲン公の心配をよそに、葵・テレジアと、ザヴォイエン・将仁は、当然のことながら、相思相愛、出会うために生まれて来たふたり。そんな風にウィーン社交界では、うわさされていたし、当然ながらそれを耳にした、スペイン継承戦争で夢破れ、ふてくされていたカール6世は、「なんだなんだ、このオーストリアに久しぶりのめでたい慶事! よし! 結婚式は王宮にある教会で、ぱ――っと華やかにやろう! 披露宴も! ローマ教皇呼ぶ? 手紙を書こうか?!」


なんて、いい気分転換の口実ができた。そんな風に言い出すし、皇帝陛下の若く美しい妻にして、白きリースルと呼ばれ、彼に深く愛されている皇后も、スペインの王座をあきらめ、いまだ後継ぎにも恵まれず……。


そんな風に暗くなりがちな夫が、久々に明るい表情で、大いに気を良くしているのを見て、「それは良いお話でございますね、ザヴォイエン公子は、オイゲン公のあとを継ぎ、このオーストリアを守る軍の柱となる方、リヒテンシュタイン公の姫君がお相手とは、素晴らしいお話、わたくしも大賛成ですわ! 式の前に、ぜひマリア・テレジア姫君にも会ってみたいですわね」とも言い出した。


「そうか、そういえば、リースルの女官が、もう少し多くてもいいんじゃないかなと思っていたところだ。うん、もし、気に入ったら、ぜひリースルの女官として、宮殿に出仕してもらいなさい!」

「え、あの、その……」

「どうしたんだオイゲン公? 何か問題でもあるのかね?」

「いえ……その……」


その騒ぎを皇帝の横で見ていた、たまたまウィーンに帰っていたドレスデン駐在公使ハラハ伯爵は、はっと、もうひとつのうわさを思い出していた。


『リヒテンシュタイン公の姫君は、実は、もともとオイゲン公とのお見合いにと、ウィーンに来たところ、甥のザヴォイエン公子と、一目で、ふたりは恋に落ち、すぐにも特別結婚許可証で、籍だけでもいれようとしたところ、オイゲン公の嫉妬で、まだ婚約もしていないそうな』


「へ、へ、へ、へ――いか!!」

「……おかしな呼び方をするな、なんだね伯爵?」

「あ、あの――ちょっと、言いにくいお話が……」

「そんな問題がドレスデンで起きているのかね? 違う? なに?……ふんふん、え?」


伯爵に、小声で耳打ちされたカール6世は、オイゲン公に、慈悲にみちた眼差しを向けていた。


「陛下?」

「……オイゲン公、気持ちはよくわかる。確かに云いたいこともあるだろう。不満や腹の立つこともあるだろう。しかしだな、家督のことをよく考えて……な? 家の繁栄を考えれば、ザヴォイエン公子と、マリア・テレジア姫君の組み合わせの方が、後継ぎが生まれる確率が、ぐんと上がるぞ?」

「はあ?」

「それに、若いふたりが想い合っているのなら、そっと身を引くのが良いと思いますわ……そこまで引かれ合うということは、きっと、ふたりは神の用意した運命により、生まれながらすでに一体であり、神が合わせたものを、人間が離すことはできないのですから……」

「え……?」


『男の姫君』で悩むオイゲン公、彼がマリア・テレジア姫君に、横恋慕というか、まあ、損な役回りになってしまっていると誤解して、かわいそうにと憐れむ皇帝、もう二人が想い合っているならば、そのまま結婚させてやってはと、優しく諭す信心深い皇后……カオスであった。


隅に控えていた、豪華なお土産を持参して、皇帝陛下に、あいさつに来ていたリヒテンシュタイン公だけが、小さくガッツポーズを決めていた。



〈葵・テレジアが滞在しているベルヴェデーレ宮殿〉


「これ、何カラットあるのかしら?」

「だいたい2700だそうですよ! 世界最大級! でもそもそも、カラットの大きさが分かりませんねぇ……」

「そうよね……とにかくおっきい! そしてきれい……」


卵型のエメラルドの中をくりぬき、金の飾りや台座を取りつけた、まさにエメラルドグリーンに輝く、今日陛下から、結婚の祝いだと届いた、きらきら輝く香水瓶を眺めながら、葵・テレジアと紫苑・マルゴは、そんな会話をしていた。


「陛下が楽しみになさっている以上、早く結婚の準備をせねばなりませんな……」

「陛下が……」


そんな皇帝カール6世の説得により? 不安をかかえたままの、オイゲン公は、とうとう腹をくくるしかなかったのである。


それからの話は早かった。ローマ教皇は調整に時間がかかるということで、枢機卿が呼ばれ、ザヴォイエン公子の館には、オーストリア内外のオーストリアやリヒテンシュタインの貴族たちから、大量の結婚祝いが届きだした。


オーストリア宰相からは、スイカほどもある大きな白い巻貝に、ギリシャの女神を彫刻した巨大なカメオのような、美しいランプひとそろい、リヒテンシュタイン公の親戚一同からは、黒檀に象牙やべっ甲で彫刻された豪華なオルガン、公の奥方の実家からは、細かな彫刻のほどこされた黄金の水差しや、ディナーセット。


カール6世などは、ついでに持って行けと、フランス製の家具やら食器やら大きな姿見やらを、「結婚祝いという名の断捨離」と、いわんばかりに、倉庫から運ばせる始末であった。


皇后リースルからは、ダイヤモンドや金の装飾で作られた、実にエレガントなクジャクのエナメルのブローチが、お茶会への招待状と共に届けられていた。


「きれい……」


彼のやかたはそれほど広くはなかったので、一番広い部屋をお祝いの品展示会場にしても、入りきらないほどであったので、後継ぎであるのだからと、ついには場所をベルヴェデーレ宮殿の大広間に移したほどであった。式までの間に、一度、すべてを並べて披露せねばならないのである。


「銀の食器セットが、ひいふうみい……合計50セット」

「金の燭台は200セット……だぶついているな……」


“弐”と“六”は、さっそく中務卿だと、葵の上に紹介してもらい、ちゃっかり彼の従者としてやとってもらい、結婚祝いのプレゼントの管理をしていた。


そんな人気の少ない夜の大広間で、葵は、将仁さまに、思い切って心配事を相談してみた。


「あの、その、私、あまりオイゲン公に、お気に召されていないというか、どちらかといえば、避けられているような……」

「え……そんなはずは」

「でもでも、なんとなく避けられているんです! 朝の挨拶をした時も、どこか上の空で……」

「いえ、話さないでおこうと思っていましたが、オイゲン公は、後継ぎが私しかいないので、もう、いつでもどこでも見合いの話を持ってきていましたし、その上、嫌な言い方ですが、条件的にいって、葵の上、あなたほどの姫君とのお話は、正直言ってありませんでした。あなたと私の関係は知らずとも、これ以上の良縁はないと、喜んでいたと聞いていましたよ」

「そうでしょうか……」


目の前の展示品から、巻貝のランプを持ち上げながら、葵は少し暗い顔で、首を傾げていた。


「なあ、本当の話をした方がいいと思う?」

「本当の話って?」


部屋の隅にいたお祝い品目録の帳面を手にしていた“弐”は、“六”に小声で話しかける。


「ほらあの“男の姫君”疑惑……いっって!!」


“弐”は“六”に、銀のトレーで叩かれていた。そんなときである。扉が開き、宮殿の従者が顔を出して、“弐”に手招きをしたのは。


「サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世からの結婚祝いが届きました」

「……こんな夜更けに? 少し待って!」


大広間に戻って、葵の上と中務卿に耳打ちをする。


「なんでも、途中で馬車に不都合があって、この時間になったとかで……」

「どこかに部屋を用意して泊まってもらえ、明日の朝にオイゲン公にも、ご紹介させてもら……」


そう言いながら部屋の外に出ると、吹き抜けの階段の上に、ちょうどオイゲン公が通りかかり、いままでうつむいていた使者は薄く笑い、巻貝のランプを持ったままの葵の上は、ひとりだけ背が低かったので、その使者の表情が見えた。


『え? なんか、この使者おかし……』


そう思った瞬間である。使者が階段を駆け上がり、オイゲン公が襲われそうになったのは。


「あぶない!!」


オイゲン公もとっさに回避しようとしたが、一瞬早く、飛んできた巻貝のランプが、使者の後頭部に直撃し、倒れ込んだところを、素早く階段を上ったザヴォイエン・将仁が、殴りつけると、使者はゴロゴロと落ちてゆき、ちょうど葵の上、葵・テレジアの近くに落ちたので、使者はとにかく逃げようと、姫君を捕まえようとしたが、そこは我らが葵の上、ドレスを大きく翻し、あっという間に使者と言う名の暴漢を、投げ飛ばして、壁に叩きつけていた。


そして、はっと気が付いた。


『これだ! この姫君らしくない態度が、オイゲン公にバレていたんだきっと!! が――ん!!』


『が――ん、破談かもしれない!!』


なんだなんだと、ぼんぼんのついた、かわいい三角棒をかぶった寝間着姿で、顔を出したリヒテンシュタイン公も、娘の行動に、真っ青になっていた。


「オイゲン公がご無事で何より! あの、その、いまの娘の行動ですが、あのですね、いきなりの出来事でおどろいた火事場のなんとかというか、そのあの……」


リヒテンシュタイン公が、真っ青になって、なんとか取り繕うとしていたが、なぜかオイゲン公は、心からほっとした顔をしていた。


『男の姫君じゃなかった!!』


翻ったドレスの裾から見えた、かぼちゃのパンツは、確かに彼女は姫君だと証明していたのである。


「いや、いやいや、これくらい勇ましい姫君の方が、後継ぎもきっと立派な男子が期待できます! 安心いたしました!」


そんな訳で、“男の姫君”疑惑は、不慮の大事件で無事に解け、ふたりの結婚式には、皇帝と皇后も出席するという、大変に豪華なものが、可及的速やかに準備された。


ちなみに、皇后が言っていた『ふたりはすでに一体であり、神が合わせたものを人間が離すことはできないのです』その言葉はカトリック教徒の結婚に対する聖書の大切な言葉であり、ふたりに最もふさわしい言葉であった。


『ふたりはすでに一体であり、神が合わせたものを人間が離すことはできないのです……』


~~~~~


以下、続いておりますミラクル編ですが、公開は、切りの良いここまでとさせていただいております。

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