戦う覚悟

無名の人

戦う覚悟

東アジア情勢をめぐって「戦う覚悟」がキーワードの一つに浮上してきた。


永田町界隈の一部の解説によれば、ワシントンのご意向に忖度しつつ、政権与党内部で慎重に練り上げた「正解」なのだそうである。ただし、ベトナム戦争における「マクナマラの誤謬」の例もあるので、「優等生」が計算した結果を「はい、そうですか」とそのまま信じる訳にもいくまい。(特に、某国大統領の認知機能の衰えが取り沙汰される現在、「同盟国のご意向」としてわが国中枢の「コンピューター」にインプットされる「情報の妥当性」についてはより慎重であるべきだろう。さもないと、ウクライナ戦争におけるプーチン大統領のように致命的な戦略的判断ミスを犯しかねない。)


そもそも、古今東西の戦争を見渡してみても、「戦いたい人」と「戦う人」は別のことが 圧倒的に多そうだし、不幸にして目論見が外れたときにきちんと責任をとった「戦いたかった人」も稀なようだ。(「自決」というのは、究極の証拠隠滅または責任回避手段であることが多い。日本では、どんな悪人でも、死んだら「神さま・仏さま」になるのだから。さらにドライな言い方をするならば、国家の命運に対する担保としては、「責任者個人の命」を幾つか差し出してもらったところで「最初から担保割れ」しているのは明白だ。)


特に、「日本の」軍隊や官僚組織の行動原理は、「山川の日本史」で学んだ限りでは、派閥抗争や責任回避の繰り返しで、若い人たちから「自分たちの人生を無条件で委ねられるほど立派か」と問われると正直なところ返事に困ってしまう。


21世紀になってから急に組織の文化が変わって、私利私欲、党利党略、省益等を超越して 「主権者たる国民の利益 = 真の国益」を最優先に追求する「合理的で根拠のあるプロフェッショナルな意思決定」が行われるようになったのなら誠に喜ばしいことであるが、 そのような「ビッグニュース (福音?)」を7時のNHKニュースで聞いた記憶もない。


それを前提にするならば、「実際に戦う」訳でもなく、「実際に戦った」経験がある訳でもなく、「真の意味で責任をとる」つもりもなさそうな人たち (私の誤解ならば心よりお詫び申し上げます) に「戦う覚悟」などという「勇ましい物言い」をされると白々しく感じてしまう。今も昔も、大多数の国民 ( = 実際に「戦いたくもないのに戦わされる」人たち) は、いざ戦争が始まってしまえば、生物学的・本能的に「覚悟せざるを得ない」のだから、「安全地帯の観客席」で観戦されるご予定の「非当事者」に「覚悟を教えて頂く」のは有難迷惑ではある。


一度、関係諸国の若者たち (実際に戦って死ぬかもしれない人々) にアンケート調査でもして「戦う覚悟の有無」を尋ねてみたらどうか。


2023.8.18

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