居酒屋バイトつむぐの苦悩

皐月あやめ

箱の中身は

「なんですか?コレ」

 ひと足先に制服に着替えて、ホールに戻った理緒りおちゃんの声が聞こえた。

 遅れてわたしもホールに戻ると、白いコックコートに身を包んだまかない中の厨房組が座っているテーブルに理緒ちゃんが混ざって、何かを覗き込んでいる。

 窪田くぼた料理長チーフ、サブの小山内おさないさん、若手の藤崎ふじさきくんに新人の林原はやしばらくんのいつメン。

 それから紅一点で、わたしたちと同じギャルソンの制服を着こなした照井てるいさん。

 店長以外の社員さんとバイトリーダーの理緒ちゃんとで輪を作っていた。

 なんだろう。気になるけれど、新参者のわたしはこんな時、尻込みしてしまって自分から輪に参加できない。

 今も、わたしが見てもいいものか分からなくて、何気なくチラチラ視線を彷徨わせていると「絹澤きぬさわさんもおいでー」と、チーフからお声がかかった。

 やった。どうやらわたしは仲間はずれではないらしい。

「はーい!なんですかぁ」

 わたしはいそいそとその輪に加わった。


 ここは、北海道 の片田舎、湖々埜市ここのしの繁華街にある欧風居酒屋Cuore〜クオレ〜。

 わたし、絹澤 つむぐはホール係の新人バイトだ。

 今日のシフトは早番スタートで、同じくホールバイトの片平かたひら理緒ちゃんと一緒に開店準備から始め、オープン後は上がり時間まで普段通り接客中心の業務をこなす。

 時刻はもうすぐ16時。いつもなら厨房組のまかないが終わりそろそろ朝礼の時間なのだが。


 皆の輪の中心には、ひと抱えほどのダンボール箱があった。


 箱の側面には、特に通販会社を指し示すような絵柄はない。至ってシンプルだ。送り状とガムテープが剥がされた跡がある。個人から誰かに送られた物なのだろう。

 その誰か——受取人のチーフが嬉しそうに話し出した。

「さっき届いたんだぁ。札幌の友人から『質のいのを見つけた』って聞いて、俺の分も買って送ってもらったんだよねぇ」

「個人的な荷物を店宛にしたんですか?店長に知られたら怒られますよ」

 さすがしっかり者の理緒ちゃんが可愛らしい顔に似合わないハスキーボイスで嗜める。

「今日は店長遅刻して来る日だし、バレないバレない」

 しれっと躱すチーフだった。


 しかしチーフの友人と言うからには、やっぱり料理人なのだろうか。だとしたら、荷物は高級食材か?いい物が手に入って気分がアガッているんだな。

 だってさっきから、やたらとニコニコとしている。普段から気のいいチーフだが、今日は特別機嫌が良さそうだ。

 気のせいか、他の厨房組の皆も自分のことのように嬉しそう。料理人はいい食材に目がないのだろう。

 わたしが心の中でひとり頷いていると、何気なくチーフが言った。

「開けてみ?」

「えっ?」

「いいんですか?!」

 わたしと理緒ちゃんの声が重なる。

 どうぞどうぞと掌を差し出すチーフ。

 わたしと理緒ちゃんは困惑も露わに、お互いの顔を見交わした。

 

「せっかくだから、見せてもらいなよ」

 まかないで使った皆の食器をまとめて、藤崎くんが立ち上がった。

 ここは新人バイトらしく、「わたしが片付けます」と手を出すと、いいからいいからとやんわり断られてしまう。

 どうやら箱の中身をどうしてもわたしたちに見せたいらしい。

 ダンボールの蓋はガムテープが剥がされているので、僅かに口を開けている。

 わたしは躊躇した。だって他人様ひとさまの荷物に手をかけるなんて。いや、本人が開けろと言っているのだが。

 わたしがまごついていると、理緒ちゃんが前に出た。

「本当にいいんですね?開けちゃいますよ?」

 念押ししながら、丁寧にその口を開く。


 ダンボール箱の中には、いかにも高級そうな黒い蓋の箱が入っていた。


 やはりお高い食品だったか。

 ダンボール箱よりもひと回り小ぶりなその箱。周囲には隙間があって、本来は緩衝材が敷き詰められていたのだろうが、それは取り出された後だった。

 わたしたちの出勤前に、社員は皆この黒い箱の中身を確かめ合ったのだろう。

 そしてわたしたちに、この高級食材を見せて驚かせようとしているに違いない。

 わたしは皆の顔を窺った。

 チーフはずっとニコニコしている。強面の小山内さんは優しげな笑みを浮かべていて、照井さんはいつもと変わらない控えめな微笑だった。

 林原くんだけは、落ち着きなくわたしたちと箱と先輩社員の間で視線を行き来させている。

「あれ、まだ見てないの?」

 そこへ藤崎くんが戻って来た。手には白い小皿と二膳の箸。

 あれ?もしや食べさせてくれるんですか?高級食材。

 俄然、中身が気になってしょうがないわたしと理緒ちゃんは、遠慮も忘れてダンボール箱から中の箱を取り出し、その黒い蓋を開けた。


 そこには、生成り色の紙パッキンの真ん中に艶々と輝く飴色の瓶が、まるで宝物のようにそっと横たえられていたのだった。


「なんですか?何の瓶詰め?これ」

 理緒ちゃんが両手を添えて取り出すと、わたしにも見えるように顔の高さに持ち上げる。

 瓶には幅の広いラベルが貼られているのだが、白地に銀で書かれた文字が光の加減で読み難い。

「つむつむ、見える?」

 理緒ちゃんがくるりと瓶を回転させて、ラベルの貼られていない面を上に向けた。

 ちなみにわたしは、店ではつむつむと呼ばれている。

「うん。あ、待ってこれ……」

 じっと目を凝らした瞬間——


「ぅうわああぁぁぁっっ!!」


 地を這うような野太い絶叫が、わたしの口から放たれた。

 勢いのけぞって後ろの卓の椅子に激突する。

 今が開店前で良かった。こんな大声を上げてしまって、営業時間中なら叱られるどころでは済まなかっただろう。

 わたしは、自分の悲鳴の汚さに絶望していた。もっと女子っぽい可愛らしい悲鳴は出せなかったのか。皆に聞かれてなんか恥ずかしい。

 理緒ちゃんはというと、「やだッ!!」と短くも可愛らしい悲鳴を上げた後、咄嗟に瓶を箱に戻し、汚い物を触ってしまったかの如く、その両手を藤崎くんのコックコートで拭っていた。

 気持ちは分かる。痛いほど分かる。わたしもこの両目を洗い流して、今見た物を忘れ去ってしまいたい。


 何故なら瓶の中身は、みっしりと詰まった小さな虫たちだったのだから。


 理緒ちゃんが手を拭きながら、涙声で問いただす。

「なんですかこれぇッ!なんて物見せるんですか!!」

 本当になんて恐ろしい物を。

 小指の爪か、それよりも少し大きいくらいの羽の生えた虫。虫。虫。

 わたしは網膜に焼きついた残像をなんとか消し去ろうと、ギュッと目を瞑り頭を振った。

「あれぇ、ふたりは知らない?蜂の子」

 今やニコニコではなくニマニマと厭らしい笑みを浮かべたチーフが、瓶の中身をひとつ、またひとつと箸で小皿に取り分けている。

 蜂の子?聞いたことがあるけど、へぇ、あれ蜂なんだ。

「出さなくていいです!やめて!出さないでチーフ!」

 理緒ちゃんがマジ切れする勢いで訴えるも、その願いは聞き入れてはもらえなかった。

「高級珍味だからふたりにもお裾分け。美味しいよ。身体にもいいよ。ほら、お食べ」

 差し出された小皿には、幼虫から少しずつ大きくなっていく蜂の子たちが、綺麗に並べられていた。

 なに並べてくれてんだよ、バカか。しかもそのクリーム色して柔らかそうな小さいの、やっぱり幼虫でしたか。食えるわけないだろが!

 絶句して卓に近づくことすらできないわたしたちを見るチーフの笑顔が、まるで悪魔のそれに思えた。


 その時、それまで成り行きを静観していた小山内さんが口を開いた。

「今を逃せばこの先自分じゃ買わないだろう。せっかくの機会だから試食してみるといい。飲食業に携わる者なら、これもいい経験になる」

 そんな渋いイケオジボイスで言われると、やたら説得力がある。

 嫌がっているわたしたちが間違っているみたいじゃないか。けれどこれも経験なのかな。

「でも無理はしないでね。確かに昆虫食は世界的にも注目されているし、蜂の子もタンパク質や必須アミノ酸なんかが豊富に含まれてるって言われてるけど。やっぱり人によっては嫌悪感は拭えないから」

 照井さん。今そんな優しい言葉をかけられたら、好きになっちゃいます。

「イナゴよりかはまだマシだよ」

 狐目の藤崎くんがにっこりと微笑んだ。おまえだけは絶対に好きにはならないぞ。

「ど、どうぞ」

 林原くんが水の入ったグラスをふたつ運んできて、おずおずと卓に置いた。ありがとう林原くん。でもこれ、暗に食えって言ってる?


 よくない。

 なんだか食べなきゃ済まない流れだ。

 いや無理だろう。でも小山内さんの言うとおり、今食べなければ一生出会うことのない高級食材。

 理緒ちゃんどうする?つむつむは?わたしたちは視線でお互いを確かめ合った。

 潤んだ理緒ちゃんの瞳には青ざめたわたしの顔が映っている。

 すると、またもや理緒ちゃんが前に出て箸を手に取った。

「あ、あたし食べます」

 その声は確かに震えてはいたが、それ以上に覚悟を決めた女の声だった。

「理緒ちゃん、待って」

「大丈夫、この場はバイトリーダーのあたしに任せて!」

 理緒ちゃん、そんな頼もしい表情で言われても、今バイトリーダー関係ないし。

 理緒ちゃんが食べちゃったら、わたしだけ食べないわけにはいかなくなるし!

 だから待って!!


 そんなわたしの願いも虚しく、真面目で責任感の強いバイトリーダーは震える箸先で中間サイズの蜂の子を摘み、恐る恐る口に入れると、間髪入れず水で流し込んだ。

 社員の間から「おーっ!」と歓声が上がる。

「ど、ど、ど、どうだった?!」

 わたしの問いに理緒ちゃんは、「飲むとき、喉でじゃりってしたぁッ」と息を荒げて嫌な感想を述べた。

「さ、つむつむも」

 当然のように藤崎くんに箸を手渡される。

 理緒ちゃんが逝ったのだから、ここはわたしも一緒に逝くのが道理だろう。

 小皿に並んだ蜂の子がこちらを見ている……気がする。

 ごくりと唾を飲み込むと、わたしも覚悟を決めて箸を伸ばした。

「本日のオススメはこちらの幼虫です」

「白子のような食感がとてもクリーミーですよ」

 チーフと藤崎くんがユニゾンで揶揄からかってくるが、わたしは完全に無視してやった。

 た、確かめてやろうじゃないか、高級食材の未知の味とやらを……!

 わたしは理緒ちゃんの食べた蜂の子よりも、小さ目サイズの子を選んだ。

 ヘタレですいません。


 それでもわたしは、水で流し込むことだけはしないと誓う。

 せっかくの高級食材なのだから、味わわないともったいないじゃないか。

 箸先から伝わる虫の感触を必死に無視して、きつく目を閉じると、わたしはゆっくりと舌の上に蜂の子を置いた。

「!!」

 唾液で溶けてじんわりと舌に染み込むこの味を、わたしは知っている。

 ——佃煮。

 普通に美味しい佃煮の味がした。

 え、これって佃煮なの?全然、未知じゃなかったよ。

 藤崎君じゃないけれど、イナゴの佃煮はわりと耳にする。

 この蜂の子も佃煮なんだなぁ……と感心するも、口が閉じられない。

 味は美味しいけれど、だって、舌がしっかり感じちゃっているんだもの。

 一本一本、舌に触るその足の感触が変にくすぐったい。

 ヤバい。口中に唾が溜まって、このままでは涎を垂らしてしまう。

 わたしは意を決して口を閉じると、上顎にパリッと繊細な羽部分を感じて、悶絶した。

「つむつむ、水!」

 涙目になって震えているわたしを哀れに思った理緒ちゃんが差し出してくれたグラスを、躊躇することなく受け取り、誓いはどこへやら、わたしは一気にあおった。

 

「どうよ初蜂の子。美味しかったでしょ?」

 チーフが皿に残っていた幼虫を摘み、ぺろりと舐めながら訊いてくる。

 見ると他の社員たちもひとつずつ口に運び、一瞬で皿が空になった。小山内さんと藤崎くんが「うまいうまい」と頷き合っている。

「……っそ、ですねッ」

 勢いよく水を飲みすぎてゲホゲホと咳き込むわたしの背中を擦りながら、理緒ちゃんが言った。

「味はまあ、普通に美味しかったと思いますけど。けどもういりません」

 さすがバイトリーダー。私の意見もしっかり代弁してくれた。

 そっかそっかとニヤけるチーフ。林原くんが食器を下げている間に、照井さんがダスターで卓を拭く。

「よぅし、じゃあ本日の朝礼はこれで終了。開店準備、始めるぞ」

 蜂の子の瓶を箱に戻し、ダンボール箱ごと小脇に抱えて、いつものキリッとした表情に戻ったチーフの張りのある声が響く。

「よろしくお願いします!」

 わたしたちは声を揃えて応えると、各々の作業を開始する。


 ここがわたしの現在の職場、欧風居酒屋Cuore~クオレ~。

 こんな仲間たちに支えられ、クオレはまもなく開店です。



  了



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

居酒屋バイトつむぐの苦悩 皐月あやめ @ayame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ