第16話 資料⑫:論文『各地方における「土地神」信仰について』・3

 ・・・石に神を降ろして育てる奇妙な風習、「神育て」。この風習は子宝・子孫繁栄を願ったものであるように聞こえるが、根本は全く違う。

 この風習の根本的な意味は「厄払い」なのだ。

 自然災害、流行病、狐憑き(この世のモノではない怪異に取り憑かれ病んだ人、現代で言う精神病患者)といった災いは物理的な型を持たず、現象・症状として人間に害を為す。災いに物理的な型、肉体などが在れば追い払う・封じる・殺すといった物理的手段が通じるのに概念的な存在である災いにはそれが通じない。では、どうするか?

 その地域の人々はのである。彼らは災いを「神」として崇め輪郭を作り、女の腹に宿った子を型として災いを降ろす。そして災いそのものとして(災いと見なされた)生まれた子を█すことで、ようやく災いが晴れたと見なす。これが「神育て」の最初期の手順である。

 しかし、時代の流れと共に生後間もない子を█すのはどうかと議論になり、災いを降ろす型が子から石となった。子の場合は腹の中で災いが形となるまで時間が十分にあるためすぐに処理できたが、石の場合は一度巫女によって神社で見守る期間が必要とされる。この「女が石を見守る」という行為が後の世では「石を育てる」と伝わり、紆余曲折を経て「子宝・子孫繁栄の儀式」と転じたのではないかと考えられている。

 この型となった石に関して。災いが降ろされた石は例外なく割られているのだが、先述した神社において現存する唯一の石が祀られているという。これは災いを降ろして育てる最中に育て役の女性が亡くなり、中途半端な状態で割るのはかえって危ないと言うことで神社で引き取ったそうである。割らなかった理由に関して神主は「村の歴史を伝える貴重な資料であるから」と答えている。また、現在石は封じられている状態であると言い、観覧・持ち出し共に厳禁だそうだ。

 

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宗教団体『神在教』に関する取材資料群 吉太郎 @kititarou

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