第9話 【最終話】沈黙のシスターとその戒律

 


『――この手紙、ちゃんと書こうと思ってパソコンじゃなくて手書きで書き始めました。

 でもなんども書き直しになってしまって、これは7回目の書き直しです。


 なにから書けばいいのかとか、どういうふうに書けば伝わるのかとかが書けば書くほどわからなくなってしまいました――』




 尼子から手渡された手紙はこういう書き出しで始まった。

 角が丸くなった丸文字だ。特徴的ではあるけれど俺の悪筆と違って読みやすい。




 俺はチラリと尼子を見る。




「よ、読みにくい?」




「いや、読みやすい。俺の字と比べたら月とすっぽんだ」




 尼子は自分の字に自信がない様子だったので俺は正直に答えた。

 そして続きを読む。




『私は犯人を知っていました。

 それは父が経営する工場と私たち家族が住んでいる家が放火され全焼してしまったときに犯人の姿を見て会話もしていたからです。

 もちろんそのときはその人物が犯人だと知りませんでした』





 俺は思わず息を飲んでしまった。




「ホルモンと話したのか?」




 尋ねると尼子は俯いた。





「……うん。

 私の家って自動車部品を作る工場だったんだけど、同じ敷地に自宅もあったの。

 それで先に工場の方から火が出たの。


 私は火事に気がついて避難するため家の外に出たんだけど、工場の隅っこの方に人がいるのが見えたんだ。

 もう夜遅い時間だったから工場の人たちはみんな家に帰ったはずなのにどうしたんだろうって思ったの……」





「それがホルモンだったのか?」




「……うん」




 小さな声で頷いた。




「大きな男の人で大きなバッグを背負ってた。

 もしかしたら火事で逃げるときに怪我しているとかで動けないのかなって思って声をかけたの。

『大丈夫ですか? 動けますか? 火事です。危険です。いっしょに逃げましょう』って。


 そうしたらその人は『こっちはいいから逃げなさい』って言って、なんだか私を遠ざけようとしているみたいだったの。

 そしてその人の顔を見たら……。えと、なんだっけ目と口の部分だけ見える頭からすっぽり被る黒い帽子を被ってた」



 尼子が尋ねる視線で俺を見る。




「それは目出し帽だな」




「あ、それ。

 ……で、その人いつの間にか姿を消しちゃった。そしたらすぐに自宅の方でも火が出たの……」




 尼子を見ると手紙を指さす。続きを読めという意味のようだ。




『私の家は連続放火事件に巻き込まれたというのを警察の人に教えられました。

 そして私が会話した大きなバッグを持って顔を隠していた男は犯人の可能性が高いとも教えられました。

 警察の人に似顔絵は書けるかと訊かれましたが、書けませんと答えました。


 私が知っているのはその男の声だけです。なのでその声をもう一度聞けばわかりますと言いました。

 顔を見ていれば似顔絵を書けるけど、声の似顔絵なんて書けません。だからとっても悔しい気持ちになりました』




 なるほど、と俺は思った。

 尼子冴絵はホルモンに話しかけていた。

 そして尼子の話しかけた言葉の内容からして、ホルモンは尼子が放火した現場の住民だとすぐにわかったはずだ。




 つまりだ。




 ――尼子冴絵はホルモンに声を聞かれている。




 尼子の特徴ある声だ。一度聴けば忘れないだろう。

 そしてその逆にホルモンも尼子に声を聞かれている。




 ホルモンの声は割れた銅鑼の響きような胴間声だ。

 尼子の美声と比べること自体おこがましいが、これも一度聴いたら忘れられない声には違いない。




 つまり尼子冴絵にしてもホルモンにしても、もう一度会って声を聞けば認識できる相手だったということだ。

 要するに互いにとって相手は危険人物ということになる。




『父と私は無事に避難できたのですが、母は煙をたくさん吸ってしまったことで今も入院しています。

 意識はずっと戻りません』




 この部分を読んだ俺は胸をギュッと締め付けられる思いがした。

 昨日の俺たちが住むアパートの放火も、その前の資材置場の放火も更にその前の空き家の放火も怪我人はひとりも出ていない。




 なので俺は相当悪質ではあるがホルモンが起こした放火は、まだ酌量の余地があるような考えがほんの少しだけあったのだが、それは実に甘すぎる考えだったとわからされた。




 この三日間の放火ではたまたま人的被害が出ていないだけで、いつでも怪我人、いやそれ以上の被害が出ても不思議じゃないのがという許しがたい重犯罪なんだと実感した。




「……お母さん。大変な状態なんだね」




「うん。……お見舞いは行ってるけど。

 このままずっとだったら、私、お母さんの声、忘れちゃうかも」




 そうつぶやいて尼子は俯いた。

 娘の尼子冴絵の声は上質の楽器で奏でたかのような美声だ。

 もしかしたら、いやきっと母親も同じような美声なのかもしれないな、と思った。




『母のお見舞いには私だけでなく父も通っていました。

 ですが父は会社のこととか取引先とかの苦労が重なって体調を崩してしまい一時期入院をしました。


 そして今は会社再開の目処が立たないとして廃業する手続きを始めました。

 そのこともあって私は通っている私立高校から都立高校へ転校することになりました』




 俺の疑問のひとつが解決した。

 尼子の家は会社倒産のために娘を超お嬢様学校である聖白銀せいしろがね女学館じょがっかんに通わせる余裕がなくなったということだ。




 住んでいた家が焼かれ、父は会社を失い、母は重篤で意識不明。

 そんなところに自分も通い慣れ友人たちも多くいる学校を辞めなければならないことになる。




 超が付くほどの負の連鎖。

 これもそれもすべて放火犯が原因だ。犯人を恨む気持ちは相当に大きかったのもわかる。





『その後にわかったことですが自宅の焼け跡から貴重品のかなりが見つかりませんでした。

 その中には会社の資産などもたくさんありました。炎で焼けたのではなく行方不明、おそらく誰かが持ち去っていたのです。


 そして警察の人から聞いた話やテレビや新聞、雑誌、ネットの掲示板などでいろいろ調べた結果、放火犯と空き巣犯が同一人物だとわかりました。

 そしてこれまでの犯行現場の推移から、今度はこの街が狙われると予測しました』




 俺は読むのを辞めて顔を上げた。

 すると俺の顔を見る尼子と目が合った。

 なんだか見張られている気分も感じるが、俺にしっかり読んで欲しいからというための態度だろうと思うと納得できる。




「いろいろ調べたとあるけど、これは例のスクラップノート?」




「うん」




「……俺が教室で見ちまったヤツだな」




「そう。……ひどいよ。史郎のことやなヤツだと思ったもん」




「そう言うなよ。あれは勘違いから起きたことだし、制裁として本でぶたれたからな」




「もう、そういうこという」




 母親の病態を尋ねたときに一度は元気をなくした尼子だけど、この冗談めいたやり取りは効果があったようで少し笑顔を取り戻した。




『転校するのは今度狙われる町。

 そこならば犯人を見つけられると思っていたから、これは絶対でした。

 そして転校先の候補のひとつとして下見した都立南江戸高校に訪れると、犯人と同じ背格好で、なによりも絶対に忘れるはずがない、あのガラガラ声の男を見つけました。


 私は天に感謝しました。この機会を利用して絶対に復讐してやると思ったのです。

 犯人は椋田むくだ謹治きんじと言う教師でした』




 ここでふと感じた。

 尼子冴絵の性格のすべてを知るほどの交流はまだないが、尼子は仮にも教師を敬称なしで書くような乱暴な性質じゃないと思っている。




 なのに《》と呼び捨てで書いてしまう辺りに尼子の復讐心がそうとう強いのがわかった。

 だがそれを異常とは思わない。ホルモンがしでかしたことを考えれば十分に納得できる。

 俺は手紙に目を戻す。





『椋田はこの町を狙っています。だからこの町でいちばん見晴らしがいい場所に住んで椋田が犯行を行う夜間に見回りをしようと考えました。椋田の犯行の一部始終を撮影しようと考えたのです。


 ですが椋田は私の背格好や声を憶えている可能性があります。

 そのことから常日頃からメガネで変装して、更には声も聞かれないようにする必要がありました。


 そのために私は《《・》。椋田を捕まえるまで、そしてそれが成就するまで《沈黙》を貫き学校では誰とも話さないと決めたのです――』




 読み終えた。深いため息が出た。

 そして尼子冴絵の顔を見る。いい微笑をしていた。

 でもそこには薄ピンク色フレームのメガネがあった。




「この手紙の内容から察するとメガネは伊達?」




「うん。変装……のつもり。変装になってなかったかもだけど」




「じゃあ、もうなくていいんじゃない? ない方が良かったから」




 俺は昨日、尼子の部屋で見たメガネなしの素顔の印象を述べた。

 すると尼子は目をぱちくりとさせて、その後徐々に顔を赤くした。




「じゃ、じゃあ……」




 と言うと俯いてメガネを外した。そして顔を上げて俺を見た。




「ど、どう?」




「うん。いいと思う」




 やっぱりないほうがいい。俺の目は慧眼だった。




「じゃあもうメガネはかけない」




 そう宣言した尼子の笑顔は最高で、声はもっと最高だった。

 そして俺は大きくひとつ息をした。




「あのさ、この手紙に書かれている内容って細井さんや猪口先生には?」




 尼子は首を大きく振る。




「史郎だけが知ってれば……それでいいから」




 そのとき尼子を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。

 見ると屋上の出入り口から手を振る二年二組の女子たちがいた。




 彼女たちは尼子が連続放火事件の核心にいたことで事件のことを詳しく話を聞きたいのだろう。

 まあ、尼子が自分の家庭のことも含む詳細を教えることはないだろうし、それ以上にまだ声を披露するかどうかも不明だ。




 だが尼子は手を振り返して歩き出した。




 ……ああ、そうか。

 もしかしたらこれを機に自分を変えようと思っているのかも知れないな。




「あのさ、それでさ。もう一通の手紙はなんだったんだ?」




 俺が尋ねるといきなり歩みを止めた尼子は急にポケットを押さえて身を固くした。

 これは気になる……。俺はその仕草が猛烈に気になった。




「こ、これは……いい」




 自らの戒律を絶対に守るような意志堅固な尼子のことだ。

 たぶんこの場を逃したら二度とその手紙を見せてくれないと俺は思った。

 だからここは押しの一手だ。




「でもさ、気になるよ。

 うん、とっても気になるからさ。そういうのはこの際すっきりした方がいいんじゃない?」




 しばしの沈黙があった。




 だがやがて尼子は俺を見ないようにしながらこわごわと手紙を取り出した。




「……約束して。

 ……私の姿が見えなくなってから開けて。……このこと……誰かに言ったら、もう知らないから」




 そう言った尼子は俺に手紙を押しつけるとパタパタと屋上から走り去った。

 俺は約束通りにその姿が見えなくなってから封を開けた。

 そして――笑った。あんまり大笑いだから涙が出た。




 《初めて史郎と話したときに、史郎の落ち着いた感じの声が好きになりました。

 だから、――ずっとずっと



 手紙にはそう書かれてあった。

 事件解決後にも明らかにならない差出人のない謎の手紙の正体はこれだったんだ。




 なのに俺は勝手に尼子を放火犯だと思ったりしていた。

 誰かが尼子の犯行を知っていてそれを俺に伝えるために送り続けていたんじゃないかとずっと思っていた。



 ……俺は笑い涙を拭う。




 おそらくたぶん尼子冴絵は相当の照れ屋なんじゃないかと思う。

 だからいつもこういう形で俺と会話をしているつもりだったんだ。

 もちろん自ら律した戒律のこともあっただろう。




 でも絶対にもともと口べただからあんな戒律がなくったって尼子は同じことをしたに違いない。

 うん、きっとそうだ。




  そうそう、《沈黙のシスターとその戒律》について川口がクラス内で極秘裏に賭け事をしていた件についてだ。

 《自ら律した戒律》の真実を突き止めることと尼子の《声》を誰が最初に聞くかについての勝者は当然俺ということになる。




 《声》は引っ越しのときにすでに聞いていたし、《自ら律した戒律》の意味も今さっき誰よりも早く知ることができた。




 ……でも、やっぱりなあ。




 俺は勝者の権利で賭け事自体をご破算にして百円を全員に返すことを提案するつもりだ。

 今回の件は賭にして楽しむには余りにも内容がヘヴィーだし、尼子の決意を弄ぶような行為を俺は受け入れたくない。




 まあみんなも事情を知らずに賭けていただけだから、まず受け入れてくれるだろう。

 誰も損をしていないしな。




 見上げた空は真っ青で大きな入道雲が幾重にも重なって見えた。 

 やっぱり今年の夏はどこか変だ。



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沈黙のシスターと、その戒律 鬼居かます @onikama2

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