あの岬に帰るとき

がんぶり

第1話 出逢い

 彼女との出会いは、地下街にあるファンシーショップだった。

店内には、若い女性をターゲットにしたファンシーグッズが数多くそろえられていた。

私はその店でアルバイトをしていた。

 「これ、ください」

突然、声を掛けられ振り返ると、そこには、まだ幼さが残ってはいるものの、大きな瞳と長いまつ毛が魅力的な女の子が立っていた。

その子こそが、私の心を虜にした田村恵美子(たむら えみこ)だった。

恵美子は、首を傾けて微笑みながら小箱を差し出した。

一瞬、恵美子に見とれてしまった私は、慌てて笑顔をつくった。

 「はい、ありがとうございます。贈り物でしょうか?」

 「いいえ、自分で使います」

恵美子は、そう言って私の顔をじっと見つめている。

私は、箱を開けて中の商品を確認した。

それは、マグカップで、底に黄色のウンチが付いているユーモアグッズだった。

私は、商品陳列のときに既に知ってはいたものの、再び目にすると思わず笑ってしまった。

すると、恵美子は、悪戯っぽく私を覗き込んだ。

私は、気を取り直して言った。

 「お包みいたしますので、少々お待ちください」

 「袋でいいです」

 「お急ぎでしょうか?」

 「いいえ」

 「それでは、お包みします。私の練習も兼ねて」

 「練習ですか?」

恵美子は、怪訝そうな顔をした。

 「はい、私、ラッピングが苦手なんです」

私は、照れ笑いした。

 「それでは、お願いします」

と言って、にこりとした恵美子は、私の手元に視線を移した。

私は、このアルバイトを始めてもう半年が経とうとしていたが、手先の不器用な私は、包装が苦手であった。

恵美子との時間を少しでも長く共有したいと思った私は、あえて包装を申し出たのだった。

私は、色白の恵美子に似合うピンク色の包装紙を選んだ。

しかし、商品の箱を置く位置がなかなか決まらない。

恵美子は、唇をキュッと結んで私の顔を覗きこんだ。

 「ほんとう、苦手なんですね」

さらに悪戯っぽい笑顔の恵美子に、私は、動揺したが慌てずに、包装紙を小さいものに変更した。

お世辞にもプロの仕事とは言えない方法、キャラメル包みで仕上げてしまった。

 「はい、お待たせしました」

すると、俄かにお客が多くなり、私は、その対応に追われた。

しばらく、恵美子は店内を見て回っていたようだったが、姿が見えなくなったので、急いで店の前まで走って行った。

すると、そこには、恵美子が立っていた。

 「これ、包んでくれてありがとうございました」

そう言って、恵美子は、右手に持っている紙袋を高く上げて見せた。

 「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました。今度は、上手に包むからね」

私は、舌を出して見せた。



 その日から恵美子は、毎晩、ファンシーショップの前を通るようになった。

お店に入らなくても、微笑みながら、私をじっと見つめて通り過ぎて行った。

私は、お店の前に出て、地下街を歩く人の流れの中に、恵美子の姿を探すようになっていた。

恵美子の愛らしい瞳とキュッと閉じたピンクの唇に、私は魅了された。

そして、しだいに私の心は、恵美子への恋心となっていった。


 ある日私は、用意していた紙片を、いつものように通り過ぎる恵美子に素早く手渡した。

それは、デートの誘いだった。

女の子へデートを申し込んだのだ。

私にとって、生まれて初めての経験だった。

私の初恋。

恵美子は、びっくりしたような表情を私に見せたが、私がアルバイト中であることを察して、そのまま、バッグに紙片を入れた。

そして、私に愛嬌いっぱいの笑みで両目を閉じて見せたのだった。

紙片に書いたことは、

 『松本千里、大学生です。今度の日曜日、デートして下さい。午前11時にこの地下街の滝の広場で待ってます。オーケーなら両手でマル、ダメなら両手でバツ。マル、期待してます!』

しばらくの間、私の心臓の鼓動は、激しく高鳴っていた。


 次の日、恵美子は、人ごみの中で、私に向かって両手で大きなマルをつくって通り過ぎていった。

そのときの恵美子は、いつもとは違って真剣な顔つきだった。

微笑んではいなかったのだ。

私は、マルをもらった嬉しさよりも、初めて見る真顔の恵美子の表情が気になった。

恵美子は、私のことをどう思っているのであろうか。

人は、好意を抱く相手に自分の気持ちを伝えてしまうと、今度は、相手が自分をどう思っているのか、というのが気になりだす。

そして、相手も自分と同じように自分に対して好意を持っていて欲しいと相手に期待をするようになるのではないのか。

私は、自分の気持ちを分析し、頭の中で膨れ上がる恵美子への想いと期待を抑制しようとしていたのかもしれなかった。



 そして、待ちに待った恵美子とのデートの日がやってきた。

私は、いつものようにスニーカーにブルージーンズ、白のTシャツを着ていた。

所謂に、いつもと同じ格好で、それは、私の好みのスタイルであった。

私は、約束の30分前に滝の広場に着いた。

地下街の人通りは、正午に向けてしだいに多くなっていった。

すると、約束の10分前に恵美子は現れた。

恵美子は、女の子らしいピンク色の服に白のスカート姿だった。

私の目には、恵美子が人ごみの中でもひときわ輝いているように見えた。

恵美子は満面の笑みで大きな瞳を私に向けて、髪を揺らし駆け寄ってきた。

恋人が待ち合わせ場所にやって来たように私も微笑みながら、自然に右手を差し出した。

恵美子は、両手で私の手を握るとそのまま両腕を私の腕に絡ませてきた。

無邪気な仕草の恵美子であったが、そのとき腕に感じたふくよかな胸の柔らかさが、私の脳には電気のように伝わってきた。

私は、その瞬間に恵美子の気持ちを解釈した。

それは、私に好意を持ってくれているという解釈だった。

 「待ちました?」

私より幾らか身長の低い恵美子は、私を少し見上げるようにして尋ねた。

「ちょうど来たところです。なーんて、本当は、30分前に来てました。嬉しくて……」と言って、恵美子を見つめた。

心では、『嬉しくて、ときめいて、恋いこがれて』と言っていた。

私たちは、そのまま、地下街を隣の地下鉄の駅まで歩いた。

その間に何を話したのか、今では一つも覚えていない。

いろいろな店のイルミネーションに私の心は溶け込んで、夢ごこちで、地下街の人ごみも私には無に等しかった。

そして、私たちは地上に出た。

初夏の陽は、梅雨明けを祝うかのようにビルディングを白く眩しく照らしだしていた。

 「食事しながら、おしゃべりしようね」と私が言うと、恵美子は、嬉しそうに頷いた。

私たちは、一面に這った蔦を模した壁がしゃれているレストランに入った。

テーブルに着いて恵美子と向き合うと、

 「えーと、ここであらためて自己紹介します。私の名前は、松本千里です。せんりって書いて、『ちさと』って読みます。現在21歳、昭和工業大学で勉強しています。伯父の家に下宿させてもらっています」と言った。

すると、恵美子が後を追うように

「私の名前は、田村恵美子。『めぐむ』って書いてえみこです。19歳です。城南信用金庫に勤めて2年目です。寮から通っています」

恵美子は、そう言って首を傾けて微笑んだ。

 「へーっ、社会人2年目なの。私まだ学生だから私の先輩になるんだね」

私は、恵美子が社会人であることに驚いた。

 「私なんか、まだまだです」

恵美子は、そう言って首を振った。

 「ねえ。田村さん。田村さんのことエミちゃんて呼んでもいい?」

 「うん。いいですよ。故郷の両親も私のことエミって呼んでます」

 「エミちゃんの田舎はどこ?」

 「福島なんです。千里さんは?」

 「私は、神奈川」

私がそう言って微笑むと、恵美子は、両手でスプーンを丁寧に置き、私の目を見つめた。

あのときの表情だと私は思った。

私にマルをくれたときに見せたあの真顔だ。

 「千里さんのこと。お姉さんって呼んでもいいですか?」

 「もちろん! いいよ」

私は嬉しくて、思わず声が1オクターブ上がってしまった。

恵美子は、いつもにこにこしているが、自分の感情を表すときは、真剣な表情になるのだと、私は思った。

私は、一人っ子だったから、姉妹が欲しかった。

それも可愛い妹が欲しかったのだ。

 「私は一人っ子だけど、エミちゃんには、姉妹がいるの?」

 「私の上には兄、下には弟がいるんです。私は、男の中で育ったからお転婆なんですよ」

恵美子は、そう言って笑った。

私たち二人の会話は弾み、デザートのストロベリーアイスを食べ終わった頃には、会話の尽きない恋人同士のようになっていた。

しかし、その日のアルバイトは、遅番であったため、恵美子と別れる時刻が迫っていた。

私は、次回のデートの約束を取り付けるため、恵美子に自分の気持ちを切り出した。

 「エミちゃん。また、私と会ってくれる?」

 「ええ。もちろんです。私もお姉さんに会って、いろいろお話を聞いてもらいたい」

恵美子は、甘えるように私に言った。

 「それじゃ。今度の金曜日の夜、大丈夫? お勤めが終わってから」

 「はい。でも寮の門限があるから、夜遅くなるといけないの」

 「うん。遅くならないようにするね。襲ったりなんかしないから」

私は、おどけた表情を恵美子の顔に近づけた。

すると、恵美子は、潤んだ瞳で私を見つめ、ピンクの唇を少し開けていた。私は、思わず恵美子を抱きしめてその唇を奪いたい衝動にかられた。

しかし、私は、気を取り直して言った。

 「じゃ、また、滝の広場で、午後、6時ね。フライデイ・ナイトに……」

すると、恵美子は、小指を立てて私の目の前に突き出した。

 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲―ます。指切った!」

恵美子は、無邪気で子供っぽい感じだったが、私は、恵美子と知り会えてとても嬉しかった。

幸せだった。

私の初恋は、成就できるような気がしていた。



 その夜、アルバイトが終わった後、同じファンシーショップでアルバイトをしている南本とチェーン店の居酒屋に行った。

南本とは、給料後に、お酒を少し飲むことになっていた。

私としては、アルバイトの仲間という意識でいたが、南本は、盛んに私の気を引こうとしていた。

しかし、南本は、オカマチックだった。

彼は、上に姉が二人、下に妹が一人という女系家族の一員であった。

 「松本さん、今日、あの子とデートしてたんと、ちゃうのん?」

お手元を縦にちょこんと口にくわえて、首を傾けて私の顔を覗きこんだ。

南本には、私が恵美子にデートを申し込み、オーケーをもらったことを話していた。

 「うん。お昼をいっしょに食べたよ」

 「ほんまに! おめでとう! 初デートやないの」

 「そう。いろいろおしゃべりして楽しかったな」

 「今度、ぼくも、お供させてくれへんかなー?」

 「うん。もう少ししたら、南本くんにも紹介するね」

すると、私の背中合わせに座っていたおじさんが、突然、私たちに向かって

 「ようっ。ねえちゃんたち。たのしそうだなぁ」

と言うので、私は、どぎまぎして

 「え? ええ」

と振り向いて返事をした。

ところが、南本は、

 「なんやっ。おっさん。ほっといてんか!」

と、捲くし立てた。

南本は、関西から出てきており、経理専門学校に通っていた。

オカマチックな南本も関西弁で怒ると、私より一つ年下だったが頼りになる感じがした。

しばらくして、おじさんは、ビールを1本差し出して

 「さっきは、すまなかったな。気を悪くしないでくれや。これ、お詫びのしるしにどうぞ」

と、詫びて店を出て行った。

私は、何故かそのおじさんを可哀想に思ってしまったのだった。

その後、南本は、少し酔って楽しそうにいつもの取りとめの無い話をしていた。

私は、南本の話の内容は上の空で、恵美子のあらゆる表情がフラッシュバックのように頭に浮かんでは消えた。

恵美子は、今何をしているのだろうか。

何を考えているのだろうか。

何を思っているのだろうか。

私は、恵美子も私のことを考え、想いを馳せていてくれることを望んでいた。

恵美子とずっといっしょにいたい。

同じ時間を共有していたいと願うようになっていた。

 「松本さん? 松本さん。何ボケーッとして。ぼくの話聞いてくれてますの?」

 「は。ごめん。ごめんね」

 「今日は、初デートやったから。疲れてしまったんやね」

 「うん。そうかも……」



 私は、下宿に帰ると、そっと、伯父たちの寝ている母屋に行きお風呂に入った。

伯父は、会社を経営していて社屋は、母屋に隣接していた。

そして、今は使われなくなっている3階の社員寮の一室を私に貸してくれていた。

私は、伯父から信用されていることもあって、門限を決められていなくて、夜遅いときは、会社の通用門から自由に出入りしていたのだった。

湯舟の中で、私は、自分の胸を眺めた。

手のひらにすっぽりと隠れてしまうほどの大きさで、小さい。

ふと、腕に感じた恵美子の胸の感触を思い出した。

それは、コンプレックスなんかとは違う。

恵美子の胸への、そして、恵美子の身体への憧れだった。

心の奥底に潜むものが、恵美子との出会いにより、私の心全体を凌駕していくような気がした。



 毎日が、退屈な学生生活だった。

工業系の大学ということもあって、キャンパスは男子学生だらけで女子学生は、少なかった。

そのためか私は、非常にもてた。

高校時代も理系のコースに進んだので、40人のクラス中、女子はたったの5名で『花のビューティーファイブ』と言われていた。

今もその延長線上にいるようだった。

自分で言うのも何だが、小顔でぱっちりとした目に二重瞼なので目立つ存在だった。でも鼻は、つんと上向きかげんでそれが愛嬌と言える部分。

髪はセミロングだが、普段はまとめていた。

言い寄って来る男子学生とは、誰とでも気さくに会話した。

しかし、会話以上のことはしなかった。

とにかく、思春期になっても男子に興味が湧かなかった。

友達が、バレンタイン・デーにチョコレートを作って意中の彼にプレゼントしようと奮起しているとき、私は、いつも白けていた。

私は、チョコレートを男の子にあげたことは無い。

あげる相手は、女の子。義理チョコも全部、女の子に配った。

私は、男性に興味が無く、女性が男性に対して行う全てのことが面倒なだけなのだ。

私は、女性の身体をもっている。

肉体的には女性でも、女性に対する感覚は男性なのだろうか。

しかし、男性に対して女性らしくしてみたいときもある。

それは、どんなときかと言うと、女性を演じてみたいときが、そのときである。

あくまでも演じたいのであって、一時的なものなのである。

例えば、結婚式に招かれて女性らしい服装をしなければならないときとか、いつものラフなジーンズでは無いフォーマルな服装にしなければならないときである。

そのときは、若い女性らしく華やかに魅せたいという気持ちになるのだ。


私は、講義の空き時間にベンディング・マシーンでジュースを買い、その紙コップを持って中庭のベンチに腰掛けた。

頭の中は、恵美子のことで一杯であった。

ジュースを一口飲んで、夏の風にそよぐケヤキの葉に遠く目をやると、突然、肩を叩かれた。

 「こんにちは。何ぼんやりしているの? 講義さぼり?」

笑顔で覗き込んできたのは、同じゼミの洋子だった。

洋子は、映画研究会をつくって自主制作映画に熱中していた。

 「さぼってなんかいないよ。まじめだもん。ちょっと考え事してたんだ」

 「何か悩みでもあるの? 私で良かったら聞いてあげるわよ」

そう言って、洋子はへらへらとしていた。

 「冗談じゃないよ。悩みなんて、この千里様にあるわけないじゃない」

 「それもそうだね。お互い能天気っていうところかしら」と言って、洋子は笑った。

私と洋子は、いつもこんな感じで会話していた。

しかし、洋子は、その映画研究会の部員の里奈という1回生の女の子といっしょにいることが多かった。

私は、二人をいつも羨ましく思っていた。

洋子と里奈は、先輩と後輩の関係だった。

洋子は、里奈のことを『里奈ちゃん』と呼んでいた。

里奈は洋子のことを『先輩』と呼んで、甘えた仕草をすることが多かった。

でも、今は、私には、恵美子がいるのだ。

私には、恵美子がいてくれる。

そこへ、里奈がやって来た。

 「先輩、今日、ミーティングですよね。夏合宿の……」

洋子は、笑顔で頷いた。

 「里奈ちゃん。お昼いっしょにしようね」と、洋子が言うと、

里奈は嬉しそうに「はい」と口だけ動かした。

そして、私に向かって

 「こんにちは。千里さん」と言って、お辞儀をした。

里奈の長い髪がぱらりと顔を隠した。

 「こんにちは。じゃ、私、次の講義の準備があるから」

そう言って、私はベンチをあとにした。少し歩いて振り返ると、洋子と里奈はベンチに座って仲睦まじく話しをしていた。

私は、やはり、羨ましくその光景を見ていた。


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