第6話 同棲

 私は、恵美子といっしょに石垣島をあとにした。

そして、私のアパートで同棲が始まった。

私は、恵美子を隔離するつもりは無かったので、テレビなどの情報を遮断するのはやめた。

普通に暮らしていて、もしも、恵美子が記憶を取り戻すときが来たのなら、そのときが、私の持ち時間が無くなったときなのだと思った。

結局、恵美子が生きていても、私の持ち時間には、何らかの制限があった。

恵美子との生活は、夢のように楽しかった。

恵美子と結婚したら、きっと、こんな生活なのだろうかと思った。

休日に、私と恵美子は公園を散歩したり、近所のスーパーに買い物に行ったりした。恵美子は、スーパーでは必ず、入り口にあるフルーツのコーナーに私の手を引いて行った。

 「お姉さん。私、オレンジ大好き」

にこりと微笑んで、私にせがむ恵美子は、ほんとうに可愛いと思った。私は、

 「はーい。今日も1個買おうね」

と言ってオレンジをカゴの中に入れるのだった。

恵美子も街の生活に慣れてきているようだった。

私は、特別なことが無くても良いと思った。

恵美子との何気ない日常生活が、有難かったし、幸せだった。

この生活が、永遠に続いて欲しいと願った。

恵美子は、私が会社から帰ってくるまで、アパートから外出することも無く留守番をしていた。

恵美子は、食器洗いをしたり、洗濯物をたたんだりして、1日を過ごし、簡単な夕食の支度をして私が会社から帰るのを待っていた。

そして、夜、私と恵美子は、一つの布団で仲良くいっしょに寝た。

私たちは、身体の関係を持たなかった。

私は、初心な少女の心を持った恵美子に対して身体を要求するようなことはしなかった。

最初のうちは、恵美子を自分のものに染めていくことを考えていたが、いっしょに暮らしてみると恵美子の心を操作してはいけないと思うようになっていた。


恵美子と同棲して1か月が経った。

私が会社から帰り、いつもの様にチャイムを3回鳴らしてから、合鍵でドアを開けると恵美子は、テレビを見ていた。

 「ただいま、あー重かった」

私は、そう言って、スーパーの袋を床に置いた。

 「おかえりなさい」

恵美子は、玄関口まで来て私を出迎えた。

そして、振り返りテレビの方を、不安そうな顔つきで見た。

そのテレビ番組は、定期的に放送される、『ザ・捜索』だった。

テレビ局が勝手に行う公開番組の人探しであった。

番組司会者が、連絡先電話番号を書いたフリップを持って言った。

 『田村恵美子さん。この番組、見ていますか? 見ていたらこの電話番号に電話ください』

すると、恵美子の母親と思える女性が涙ながらに言った。

 『エミ。どこにいるの……』

カメラが慌ただしく番組司会者にパンされると、

 『えー。この番組は生放送です。この写真をご覧下さい。この女性が田村恵美子さんです。1年前に失踪して、現在行方不明です。この女性を見かけたことのある方、電話ください。お待ちしております』

番組アシスタントの持つ写真パネルは、髪の長かった頃の恵美子の写真であった。

再び、カメラが切り換えられ、スタジオ内のコールセンターの多くの電話器が一斉に鳴り出し、オペレーターたちが受話器をとる映像になった。恵美子は、

 「お姉さん。私の苗字は、田村っていうのね。この人が私のお母さんなの?」

そう言って、恵美子はテレビ画面を指差した。

 「エミちゃん……」

私は、それ以上の言葉は出なかった。

すると、恵美子は、

 「私は、電話しないわ。だって、お姉さんといっしょにいるんだから……」

と言って微笑んだ。

私は、恵美子を思わず抱きしめた。

 「ありがとう。エミちゃん。お姉さん、とっても嬉しい」

私と恵美子が抱き合っていると、再び、番組司会者のけたたましい声が聞こえてきた。

 『ここで、有力な情報が入って来ました。1か月前からスーパーで見かけることがあるという、えー、東京都、東京都からの情報です。さらに、恵美子さんは、女性といっしょに暮らしているということです』

すると、ゲストの俳優が言った。

 『いやー、これは、かなり有力な情報ですね。また一つ、テレビのネットワークが役に立ちました』

私は、とんでも無いと思った。

最もらしい顔をしている番組司会者たち、興味本位の報道がバラエティー番組を制作したような不快なものと思った。

私たちにとっては、余計なお世話だ。

 「エミちゃん。私たち、もうこのアパートにはいられないよ」

私の言葉に、恵美子は不安そうな顔をした。

 「すぐに、テレビカメラがここに押し入って来て、私とエミちゃんは、引き離されてしまう」

恵美子は、私にしがみ付いてきた。

 「大丈夫。私が何とかする。そう、落ち着いて考えましょう。エミちゃん。必要な荷物をまとめるの」

私は、恵美子の肩を両手で支えて言った。

恵美子は、私の顔を見つめて頷いた。

すると、テレビから中継車内のレポータの声が聞こえてきた。

 『さあ、私は、今から情報に基づき、田村恵美子さんが住んでいると思われるアパートへ急行します。お母さん、どうぞ、こちらへ。お母さんも中継車に乗っていただきます』

私は、もう一刻も猶予出来無いと思った。

私たちは、必要最低限の荷物をバッグに押し込んだ。

恵美子の衣類も私の衣類もごちゃ混ぜ状態であった。

時計を見ると、まだ、午後7時過ぎであった。

私は、ワンウェイ方式が可能な駅前のレンタカーを借りることを考えた。

電車による移動では、深夜になって、泊まるところに困る。

その点、車なら最悪の場合、車内で寝ることができるし、郊外には、安価に宿泊できるドラインブインがある。

 「エミちゃん。今からドライブだよ。そう、夜のドライブ。いつかもした……」

私は、石垣島での夜のドライブを思い出していた。

しかし、今の恵美子には、知る由も無いことであった。

そして、荷物を持って急いで玄関まで行き、私は、短かい間だったが恵美子と二人で暮らした部屋を振り返り、見渡した。床に置いたスーパーの袋の中から、恵美子の好きなオレンジが転がり出ていた。

私は、恵美子の手を引き、駅前のレンタカーショップまで走った。

私は、走りながらも、周囲に目を配り、テレビ局の中継車がいないか注意をを払った。

私は、まるで警察の手から逃れようとする逃亡者になった心境であった。

借用手続きの際には、店員がさっきの番組に通報するのではないかと不安だったが、レンタカーは問題無く借りることが出来た。


 私は、ハンドルを握りながら考えていた。

私は、ひとまず、この街を離れて身を隠そうと思った。

会社は、辞めるつもりでいた。

金銭的には、蓄えがあったから、質素な暮らしであれば、恵美子と二人で暮らしていくことに問題は無かった。

事態が治まれば、私が、パートの仕事をすれば良いのだ。

何とでもなる。

また、何とかしなくてはならない責任が私にはあった。

恵美子のためにも自分がしっかりしなくてはいけないと思った。

私は、左手を伸ばし、助手席の恵美子の手を握った。


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