第5話 再会

 桜の花が舞い散る春であった。

本社での仕事も慣れてきたとき、システム一部のプロジェクトの一人が病気になり、システム2部の私が応援に借り出されることになった。

そのプロジェクトは、石垣島での電力インフラ関係の仕事だった。

石垣と聞いて私は、躊躇した。私は、咄嗟に行きたくないと思った。

犯罪者は、犯行現場に一度戻るというが、まさかこんな形で私が、あの石垣島に再び行くことになろうとは考えもしなかった。

しかし、会社の命令に背くことも出来ず私は、石垣島へ飛んだ。

石垣港での作業は、3日で終了した。

次の西表島での作業に私以外の全員が移動してしまうと、私は、石垣島に取り残された。

私は、ただ一人で帰るだけであった。

私は、恵美子に対する憎しみばかりを前に出して、恵美子を殺害したことへの正当性を自分に言い聞かせてきた。

しかし、再び、石垣の海を見ると、あの岬の海中に一人ぼっちで眠る恵美子が可哀想で耐え切れない思いになった。

私は、恵美子の魂に手向ける花束を用意した。

私は、必然とも言える運命の力によって、あの平久保岬に向かった。

石垣島は、一足早く梅雨に入っていた。

天気は冴えなかったが岬から海を眺めると、あの日の夜のことが私の脳裏に鮮明に蘇った。

そして、珊瑚礁の海中に漂う恵美子の幻想が、私を海岸に導いた。

海岸に沿って私は歩いた。

しばらく歩いて行くと、小さな集落があった。

小さな家が立ち並ぶ家と家の間で洗濯物を干す人影を見たとき、私は、思わず息を呑んだ。

恵美子だった。

紛れも無く恵美子が、洗濯物を干している。

髪はショートになっていたが、恵美子に間違いないと思った私は、恵美子に吸い寄せられるように真っ直ぐに駆け寄って行った。

恵美子は、私が近づくと手を止めて私の顔を見た。

 「エミちゃん。エミちゃんでしょ?」

と、私が言と、恵美子は、

 「私、フヅキ。仲間文月(なかま ふづき)です」

と、答えた。

恵美子の懐かしい声を聞いて、私は涙が出た。

二度と聞くことが出来ないと思っていた恵美子の声は、間違いなく恵美子本人であった。

そして、右の二の腕のほくろも恵美子と同じだった。

私は、恵美子の身体の全ての特徴を言えるほど、恵美子の身体をすみずみまで知り尽くしていた。

私は、このとき、自分が殺人者では無くなったこと以上に恵美子が生きていてくれたことが有難くて叫びたいほどであった。

 「ごめんなさい。本当に、私は、エミちゃんのことを……」

私は、恵美子に詫びても詫び切れない自分の罪を思い、その場に泣き崩れた。私は、恵美子の汚れた膝小僧を見つめた。

 「私、松本千里。あなたのお姉さんよ」

私が恵美子を見上げると、恵美子は首を傾けた。

私は、『お姉さん』と自分で言った言葉に罪悪感を感じた。しかし、私の言ったことに恵美子は、全然思い当たることが無いという表情をした。

私は、恵美子が、記憶を失くしていることを知った。

 「あなたの家は、どこ?」

私がそう聞くと、恵美子は、はずれにあるひときわ小さな家を指差した。

 「フヅキさん。私を案内して」

恵美子は、ゴム草履を履いて、砂の上を慣れた足取りで歩いた。

恵美子の足の爪には、ペティキュアは塗られていなかった。

表札には、『仲間』とだけ書かれていた。

屋根からは、シーサーが私を見下ろしているようだった。

 「お婆さん。お客さんです」

恵美子は、洗濯カゴを置いた。中から一人の老婆が出てきた。

 「私、松本千里と申します。この子の姉です。この子は、松本恵美子です」

私は、さらに老婆に言った。

 「恵美子は、行方不明になっていました。私は、あちこち探して、やっと見つけました」

すると、老婆は、何回も頷いて、ゆっくりと話し始めた。

その内容は、1年前、海人である夫が海で、この子を見つけ、家に連れて帰った。

付きっきりの看病により、すぐに元気になったものの、記憶を失っていることが分った。

老夫婦は、この子が可愛くて、子供の無い自分たち夫婦への神様からの贈り物だと決め込み、警察には届け出ず、今日までいっしょに暮らしてきたということだった。

私は、恵美子を助けてもらったお礼を丁重に言った。

それは、私にとって嘘偽りの無い本心からの感謝であった。

ふと気が付くと、私の後ろには、皺の奥まで陽に焼けた老人が立っていた。

状況を察した老人は、

 「フヅキは、お姉さんにお返ししましょうね……」と寂しく言った。

老婆は、恵美子の手を握って泣いていた。

そして、私は、恵美子の小さな荷物を持って、恵美子の手を引き、漁村を後にした。私は、恵美子に聞いた。

 「なぜ、フヅキという名前なの?」

恵美子は、一言一言をかみ締めるように言った。

 「私が、海で見つかったのが、7月だったから、お爺さんがそう名づけてくれたの……」

 「あなたの名前は、恵美子。私からは、エミちゃんって呼ばれていたんだよ」

恵美子は、私の顔を見つめて困惑しているようだった。

 「エミちゃんは、何も覚えていないの?」

 「分らない。私が何者なのか」

恵美子は、両手で顔を被った。

 「ごめんね。思い出さなくていいから。とにかく、私と帰ろうね。私とエミちゃんは、二人きりの姉妹なんだよ。これからは、二人だけで生きていくの……」

私は、そう言うと、恵美子を抱きしめた。

恵美子は、素直に私の胸に顔を沈めた。

恵美子は、再び私の前に存在した。

記憶を無くした恵美子は、再び私のものになってくれる。

私は、予想もしなかった展開に先のことも考えずに喜んだ。


 私は、恵美子の下着、服、靴を買いそろえた。

それは、私の好みのデザインのものばかりで、恵美子は、私の着せ替え人形のようだった。

私は、私のものになった恵美子を手に入れることが出来た喜びで一杯だった。

恵美子も私にされるがままに従順にしていた。

私の宿泊しているホテルの部屋に帰ると、早速、恵美子をバスルームに入れて、着ている物を全て脱がした。

私も裸になりシャワーで恵美子の身体を洗ってあげた。

 「私たちは、こうして毎晩お風呂に入っていたの。そして、私がエミちゃんの身体を洗ってあげていたんだよ」

私は、楽しかった。

記憶を無くした恵美子に自分の都合の良い思い出を再入力していく作業が堪らなく楽しかった。

入力の内容は、作り話でも良いと思った。

これから、毎日、私の恵美子を再構築していくのだと思った。

恵美子の身体は、美しかった。

少し、痩せたような印象を受けたが、胸の膨らみもピンク色の乳首も前のままだった。

しばらく恵美子は緊張して私に身を任せていたが、私がふざけて恵美子のおへそを指で押したりすると、クスクスと笑った。

再会して初めて恵美子が笑った。

私は、恵美子が生きていてくれて良かったと神に感謝したい気持ちだった。

私は、バスルームから出ると恵美子の身体をタオルで拭いてやった。

それから、恵美子に下着を着けて、服を着せてやった。

ピンク色の服と白いスカートは、恵美子に良く似合った。

ある程度お化粧をしてあげて、恵美子に口紅を持たせると、自分で付けることが出来た。

恵美子は、鏡に自分の姿を映して、嬉しそうにしていた。恵美子は、

 「お姉さん。ありがとう」と言った。

私は、恵美子が、私のことを『お姉さん』と言ってくれたことが涙の出るほど嬉しかった。

私は、恵美子がどの程度までの記憶を失っているのか聞いてみた。

 「エミちゃん。思い出せることって、何かある?」

私の言葉に恵美子の表情は曇った。

 「何も思い出せない。私が、どこの誰で、今ままで、何をしてきて、あの岬で何があったのか…… 何も思い出せないし、思い出そうとすると頭が痛くなるの」

恵美子は、そこまで言って、その大きな瞳を閉じてしまった。

 「エミちゃん、ごめんね。思い出さなくていいよ。これからの事だけを考えて生きていこうね」

私は、恵美子を抱き寄せた。

恵美子は、私を見上げて不安そうにしていた。

私は、恵美子の唇に自分の唇をゆっくりと運んだ。

恵美子は、瞳を閉じて私の唇にすがり付くようにしていた。

今の恵美子にとって、頼れるのは私ただ一人でなのだろう。

恵美子の身体は、小鹿のように震えていた。


恵美子は、あの夜、頭に受けた衝撃により記憶を失った。

そして、恵美子の精神年齢が小学生ぐらいにまで戻ってしまっていることも私は感じた。

私は、恵美子をこんな状態にしてしまったことへの罪悪感よりもこのまま、恵美子の記憶は戻らないで欲しいと思う気持ちの方が強かった。

私は、恵美子を一生、面倒をみることになることを厭わなかった。

それは、私の当然の義務であり、喜びであったから。

 夕食は、ホテルの近くの食堂でとった。

恵美子は、定食を美味しそうに食べていた。

私にも、久しぶりに心の休まる美味しい食事であった。

私は、食後に煙草を取り出し火を点けた。

ふと、恵美子を見ると、私が手にしているライターをじっと見つめていた。

そのライターは、いつか恵美子が、身体に気をつけてと言いつつ、私にプレゼントしてくれた、プレイボーイのライターだった。

私は、はっとして、ライターをしまうと、

 「このごろ、煙草の本数が多くなっちゃってね。もう、やめるね」

と、そう言って、私は、煙草を灰皿に押し付けた。

恵美子が、ライターに示した反応は、確かに、過去の記憶のひとかけらに触れたからだった。

その夜、恵美子は、私の腕の中で眠った。

私は、できるだけ恵美子がストレスを感じずに私のアパートまで帰れるように気を配った。私は、

『名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ……』

の歌を子守唄のように恵美子に歌ってあげた。

それは、私自身、恵美子との再会を象徴するとても心に滲みる歌だった。

私は、恵美子の髪を撫でた。

私たちは、これから、二人きりで漂い流れて生きていくような気がした。



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