あとがき
『魔物』をお読みいただきありがとうございます。以前の作品をお読みいただいている方はご存知かもしれませんが、僕はあとがきでめちゃくちゃネタバレするので先に本編の方をお読みいただいてからあとがきに目を通していただくことをおすすめします。
☆タイトル
今回は割とタイトルがしっかり作品の中に出てくるので説明は不要かもしれませんが、「本番の魔物」というよく使われる表現と、作中でも言及されているホッブズの『リヴァイアサン』の構想、あとは演劇というものそれ自体も大きな魅力を持つ魔性の存在であるということ……まあそんな感じのことからこのタイトルを付けました。
☆ネーミング
・日比真衣→Ich binとI amから並べ変えたり省いたりして、hibi mai→日比真衣。
・須藤恵那→on stageから同じように並べ替えたり省いたりして、sto ena→須藤恵那。
・神土高校→特になし。別作品『ライアー』に登場する高校の名前をそのまま持ってきています。今回は平和に終わりましたが、『ライアー』の方では殺人事件が起こりまくっています。そこ危ないぞ。
・真野→phantomから並べ替えたり省いたりして、mano→真野。
・加藤→tropicalから並べ替えたり省いたりして、cato→加藤。
・尾出スイ→心を構成する要素といわれるイドとエス(id,es)、スーパーエゴ(superego)から並べ替えたり省いたりしてode sui→尾出スイ。エゴはスーパーエゴと文字がまるっきり被ってるので含めていません。ちなみにsuiはラテン語で「自身」という意味なので、図らずも良い感じになりました。うれしいね。
・コジロウ→戒名によく使われる「居士」から。それ以外は特に何も考えていません。本人もそうだし。
・後藤→Godのもじり。『ゴドーを待ちながら』という有名な不条理劇において、登場人物が待つ「ゴドー」はGodすなわち救いであるという解釈があるので、そこから。作中でコジロウが「惜しい」と言ったのはそういうわけです。
☆作品を書くにあたって考えたこと
一番大きなテーマである「アイデンティティ」についての話は結構二本目の劇中劇と共通しているので、ここでは書く時に意識した「リアルを描くこと」についての話をします。今回これを意識した理由は、アイデンティティについてのメッセージに説得力を持たせるためです。もちろん物語として面白くなるように脚色している部分も大いにありますが、劇をテーマにした作品で主人公に演技の才能がなく、主役もやらないのは結構珍しいんじゃないかなと思います。僕は高校演劇の経験があるのでちゃんと言いますが、これが現実です。そりゃそうだ。僕もそうでした。しかし、僕はただ厳しいことを言うためにこういう設定にしたわけではありません。こういう人にこそ、演劇の魅力に触れてほしいと思っているからこういう設定や展開を選びました。劇に限らず、自分の個性に悩む人は多いでしょう。物書きなんて特にそうなりやすいと思います。しかし、自分だけの個性や特徴が見つからなくても、目の前の道を歩み続けてほしい。そういうことを考えて書きました。結局アイデンティティの話みたいになっちゃいましたが、こんな感じです。
☆劇中劇『パイナップル』
元々これを入れる予定はなかったんですけど、後半の劇中劇がイマイチだった時の保険としてつかみ用の劇中劇を入れたいと思ったので、入れました。中野劇団の『ピロシキ』という脚本を参考にしました……というか、ほぼこれと同じだと思います。今回の劇中劇を気に入ってくださった方は「中野劇団」で検索すると幸せになれるかもしれない。
☆劇中劇『道半ばにて』
こっちは作品全体のテーマに合わせて、オリジナルで書きました。一応イメージは『ゴドーを待ちながら』ですが、僕はこの劇を実際に見たことがないので多分これとは全然違います。あと、最初と最後に音を入れているのは『ドグラ・マグラ』から着想を得ています。僕の中の「変な話」のイメージはこれなので。
作品の本筋に行く前に、恵那の狙いについて明かしておきましょう。恵那が真衣にお嬢様の役を与えた理由は主に二つあります。一つは彼女が自分のイメージとかけ離れた役を演じることで新しい自分を見つけやすいと考えたから。もう一つは、真衣が持つ「人の目を惹きつける力」に恵那が気付いていたからです。演技が上手でないこと以外にも、声量や体力に優れる一面もあり、真衣はとにかく人の視線を集めやすい。それに気付いていた恵那は、真衣にこの役を任せたというわけです。
描写の関係で上手く劇の意図を伝えられなかった部分もあるかもしれませんが、テーマとしては「ただ生きることの重要性」です。言ってしまいますが、劇中における「道」は人生の象徴で、最初と最後に入っている音響は、スイの心電図の音です。スイが道を再び歩き出すことを決めたから、再び心電図が動き出したわけですね。一方、コジロウは道に留まっていて、それ以上歩けない、すなわち既に死んでいます。スイが死の淵を彷徨っていたからこそ、この出会いが生まれたのです。
劇中で、スイは道行くお嬢様やドラゴン使い、自称・神と出会います。観客にとって彼らは個性的で、逆にスイは目立った特徴がないように映るでしょう。しかし、真衣が演じたお嬢様を含む彼らは、まさしく虚栄の象徴です。見栄を張ったり、無理をしたり……個性的に見える道行く人々もまた、何かになろうと必死なのです。そんな彼らを見て、スイはまた歩き出すことを選びます。何もなくても、スイはただ道を歩いていきます。もう歩き出すことのできないコジロウは、その決断を肯定して幕引きとなります。ただ生きる、本当はそれで十分なんだと僕は思います。生きることに限らず、作品を書き続けることや、スポーツを続けることなど、何においても決して「何者か」になる必要はない。そういうことを書きたかったので、そういうことを感じていただければ幸いです。
正直まだ説明したい部分もありますが、そろそろあとがきの文量ではなくなってきているので、あとは考察の余地として残しておきましょう。
僕が文芸サークルの作品として書くのはこれが最後になります。卒業後の生活のイメージが未だに全然できていないので書き続けられるかどうかもわかりませんが、こんな作品を書いてしまった手前、僕もどうにかして道を歩き続けていきたいと思います。もし今後も道半ばで出会うことがあれば、その時はよろしくお願いします。
魔物 ゆうとと @youtoto238
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