英雄に花束を

SSS(隠れ里)

英雄に花束を

 雲ひとつない蒼天にすべてを照らし出す太陽が、威光を放っていた。このような大陸の果てにある孤島にも、日差しは届くのだ。


 彼は、私には不可能はないと常に言って聞かせてくれた。あの太陽のような人間であった。しかし、太陽は雲ひとつない空でしか輝けないものだ。


 私は、あの日に血の涙で太陽が陰るのを見たのである。


 虜囚の身の上に与えられた粗末な古小屋の小さな庭先で、必死に起き上がろうとしている一匹のセミを見つけた。


 六本の足を必死にもがかせて、何かにすがりつこうとしている。このままでは、衰弱して死んでしまうだろう。


 今の私のようだと思った。


 この庭の大半を占めるのは、小屋よりも大きな木である。私は、そのセミがかわいそうに見えた。


 セミを捕まえると手のひらで、心臓の鼓動のように動き回る。私は、やさしく木の表面を掴ませた。


 セミは、力強く大きな木を登っていく。すぐに手の届かない場所まで移動すると、鳴きはじめる。


 かつての故郷で、聞いたことのある音色だった。とても懐かしい気分になる。彼に見せてもらったはじめての景色が脳裏をかすめて、幸せな気分がよみがえってくる。


「陛下っ!! 遊びに来たよ」


 聞き慣れた子供の声。セミは、驚いたのか飛び去っていった。声がする方に顔を向けると、みずみずしい匂いがただよってくる。


「私は、もう皇帝陛下ではないよ。美味しそうなリンゴだね。君の朝ごはんかな」


 私の質問に子供は、クスッと笑ってリンゴを差し出してきた。


 ここに流されて良かったことがある。子供の笑顔を見れたことだ。泥や血にまみれた汗ではなく、労働の汗を見れたことである。


 孤島には、何もない。だからこそ、自分たちで何でも作る。何かを生み出す汗は、何かを殺す汗よりも美しく見えたのだ。


 私は、深く感謝をしてリンゴを受けとって、滲む赤を口に含んでかじる。


 味はしない。私には、味覚はないのだ。美味しそうな匂いだけが鼻孔を潤してくれる。


 子供の心が、嬉しかった。与えられた虜囚の身にもったいないくらいの気持ちだ。


「美味しいよ。ありがとう。様々な戦いで得たどの戦利品よりも……。そう、この命よりも大事な贈り物だ。ありがとう」


 子供は、嬉しそうに横に座ってきた。昔を思い出す。私もこうだったことを思い出す。


 彼は、私を自らの心だと言ってくれた。その意味が分かったのは、栄光が潰えた戦いのあとである。


「ねぇ、あの悪逆王を倒したときのことを教えてよ~」


「悪逆王か……。そうだね。欲深き王とその息子は、大きな思い違いをしたんだよ」


 子供の純粋な瞳を見ていると、親の憎悪は子にとってただの遺産のひとつであると感じる。


 悪逆王は、貧しく痩せていく国内情勢をどうにかしようとした人物だった。しかし、それを国外に求めたのだ。戦争をして、民衆の不満を諸外国に向けたのである。


 侵略に次ぐ、侵略。国内の財政が悪くなり、民衆の不満は諸外国から悪逆王に向かう。


 悪逆王を倒したのは、国民や反王政派の貴族による反乱軍だ。その反乱軍の英雄は、彼だ。彼は、貧しい貴族の息子だった。


 しかし、英雄となり、皇帝を名乗った彼ですら戦争の災禍に巻き込まれてしまった。彼は、常勝の末に慢心をしてしまう。その末の敗北。


 皇帝は、諸外国に降伏したが島流しにされてしまう。


 最終的に皇帝を降伏させたのは、諸外国からの援助を受けた皇帝の部下だった。謀反の英雄。今の国王である。


「お父さんが言ってた。今の国王は、外国の犬だって。真の皇帝は、貴方だって。だから、陛下って呼びなさいって……。また、リンゴを持ってくるよ」


 子供は、うやうやしくお辞儀をすると小さな古小屋から去っていった。その背中を見ていると、彼の策略は、失敗したのではないかと思う。


 孤島の人たちは、最初こそ遠巻きに私を見ていたが、最近では色々と親切にしてくれる。


 常勝の末に敵が多くなり、戦いにも敗北した。彼は、一計を案じる。


 自ら謀反の部下を演じることだ。そして、自らを捕らえて孤島へ流罪にする。


 諸外国も、謀反の部下が憎き皇帝だとも思わずに惜しみない支援をした。


 見事に、彼は国王の座についたのだ。諸外国との和平合意も取り付けた。


 現在の彼は、失った力を蓄えている。いつか、再び諸外国への侵略を完遂するために……


 私の手元には、彼からの贈り物がある。今朝、送られてきたものだ。使いの者は、彼からの手紙を読みあげると、すぐに燃やした。


 手紙の内容は、こうだった。


 ながらく、身代わりになってくれたこと。窮屈な生活をさせてしまったことを申し訳なく思う。私の策略は、すべて成功した。


 皇帝が、謀反の部下になり、そして国王になったなど諸外国には想像もつかないことだ。


 しかし、私は今ひとつ諸外国から信用を得る必要がある。


 だから、君は貧しい貴族の息子として、敗北した皇帝の私として最後を迎えてくれればいい。


 今日まで、本当にありがとう。君は、最後まで私であった。


 読み終えた使いの者は、錠剤を手渡した。今日の夕刻までに飲んで欲しいとのことだ。


 太陽が、赤く燃えて最後の日差しを古小屋にまで送り届けてくれる。


 庭の大木は、まるで赤い花を満開にしたように見えた。


 悲しみはない。生まれたときから、私は彼だったのだ。だから、迷いはない。あるとすれば、リンゴの味を知りたかった。


 最後に口にした錠剤の味は、やはり無味であった。


【英雄に花束を】完。

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