その言葉に意味を足したい

秋色

その言葉に意味を足したい

 出来の良すぎる弟、柚羽ゆずはが故郷に戻って来た。堂々とではなく、ひっそりと。

 勉強が苦手でボンヤリ毎日を過ごしてた私とは正反対で、小さい頃から勉強もスポーツも万能の弟は、両親の期待をいつだって一身に背負っていた。

 だけどいつもなら張り切ってごちそうを用意する両親も、今回は肩を落としている。私と父さん、母さんの三人は気を揉みながら弟が夕食の席に着くのを待っていた。


 それもそのはずだ。ゴールデンウィークでも、夏季休暇や年末年始の休暇でもない二月に突然帰って来るのだから。


 そして柚羽は小さい声で告白した。


「俺、研修医の仕事を休職しているんだ」なんて大きなニュースを。

「メンタルやられたかも」なんてこちらの胸がきゅうっと痛くなるような言葉は、そう言えば弟の口から今まで聞いた事がない。


 夕食後、弟は、かつての自分の部屋、今では物はほとんどない、素っ気ない程、がらんどうの部屋に一人でいた。私が部屋に入ると、ぼんやりとした視線を向ける。


亜寿加あすか姉ちゃん、どうしたの?」


「柚羽、明日はこっちで何か予定ある?」


「いや、何も」


「じゃあさ、こういう時に行くべき場所があるんだ」


「こういう時に? どこだろ」



 そして次の日、柚羽を遊園地へ誘った。

 私は実家の工務店の事務と営業をやっているので、休みの融通はきくのだ。


 ***


「柚羽、メリーゴーランドに乗ろう」私は誘った。

 平日の遊園地に人の姿はまばらだ。

 薄いクリーム色とオレンジ色のラッパスイセンの花が、照明灯のように通路を縁取っている。

 駆けていく石畳の地面は、子どもの頃と変わらない。吐く息が白く空に立ち昇る。

 メリーゴーランドのアトラクション前に来ると、私達の他には、幼い二人の姉妹を連れたお母さんと十代っぽいカップルだけだった。

 私と柚羽は、それぞれ白馬と栗毛の馬を選んだ。大人になって、こんな遊具に乗るから、たぶん周りの人は私達をカップルだと勘違いしている。

 準備が整うと、どこか調子の抜けたようなメロディに合わせて馬が滑走する。

 周りの風景がどんどん後ろへ流れて行く。まるで違う世界に来たみたい。

 これがどこか転生した中世の街なら良かった。私は鍛冶屋の娘で、弟は本当は貴族の生まれで、鍛冶屋に匿われているとか。 


 やがてメロディはスローテンポになり、馬は走るのをやめた。


「大人になってメリーゴーランドに乗るのも悪くないでしょ?」


「うん」


 私達はその後、ベンチでソフトクリームを食べる事にした。


「ちょっと痩せたね」私は、ソフトクリームを持つ柚羽の袖から見えた腕があまりに細いので、思わずそう言った。


「実はさ」柚羽はこの半年間に起こった出来事を話す。

 小児病棟で仲良くなった十才の少年、たぁ君と院内の遊歩道で星を見上げながら未来について語った事。でもたぁ君は病気のため帰らぬ人となった事。

「あの子は『ユズ先生が治してくれたら、僕は将来サッカー選手にもなれるし、宇宙旅行もできるね』って言ってたんだ。

 その時、たぁ君の大人になった姿を想像してたんだ。年をとった自分の診察室に挨拶にやって来る姿を」


 柚羽はゆっくりと途切れがちに話した。たぁ君が亡くなって以来、柚羽はミスが重なったり、他の患者の家族への対応で怒られたり、何より全くやる気が失せた事。休暇を終えるとまた新たな休暇をとる柚羽は、正規の医師や同期の研修医からは冷ややかな目で見られ、孤立している事など。


「でも今日のメリーゴーランドで気が紛れて、こんなに空が青いと久し振りに感じられた。魔法をかけられたみたいだよ。亜寿加姉ちゃんはやっぱすごいよ。って言うか、前にも受験前に自信なくして落ち込んでた俺をここへ連れて来たよね」


「へへ。ユウウツな気分の時にはメリーゴーランドって自分の中に図式があるの。しょうもない話なんだけどね。きっかけは由彦叔父さんなの」


「へぇ……」


 由彦叔父さんは私達の父方の叔父さんで、居酒屋を経営している。自由な生き方をしていて、親戚の間では、ため息をつかれる存在だ。でものんびり屋の私にとっては、子どもの頃から気の合う、「同士」みたいな存在の大人だった。お互いにちょっとドジなので、どこかへ遊びに連れて行ってもらってもよく道に迷ったり、ハプニング続きだったけど。叔父さんは何かドジな事しても、「前の道に戻って考えよう」と呑気で、私も「おー」と答え、結構楽しんでた。


「昔、母さんの読んでた雑誌の記事なんだけど、女優さんが悲しい気分について書いてたの。『メランコリーな気分だった』という言葉が目に飛び込んでね。それで由彦叔父さんに『メランコリーってどういう意味?』ってきいたんだ」


「そしたら何て?」


「遊園地で馬がぐるぐる回るやつだろって」


「何それ?」


「メリーゴーランドと間違えてたの」 


「……メとランとリーしか合ってなくて、しかも別々な位置なんだけど」


「そうよね。でも間違いに気がついたのが高校卒業した後でね。メランコリーって普通に使う言葉じゃないから。それで、その間メランコリーって言葉が出てくる度に、『ああ、回転木馬に乗りたい気分なんだな』と思ったの。私の中でユウウツな気分と回転木馬とが一体化したのね」


「姉ちゃんらしいね。姉ちゃんと由彦叔父さんって、ホントよく言葉の言い間違いとか勘違いをするから。辞書で調べたらいっぺんで分かるのに」


「それもそうだね。でも、おかげで今日、ここに来れたでしょ?」


「うん。俺さ、もう一つ姉ちゃんの言葉の間違いには感謝してるんだ」


「え?」


「ほら中二の頃、俺が初めて好きになった人の事。片思いだったけど」


「ああ、ピアノの得意な子。弘恵ちゃんて言ったよね」


「両親は、あの子は冷淡で可愛げないって散々で、傷付いた。でも姉ちゃんは……」「私、何か言ったっけ? 柚羽を応援するような事」


「うん。姉ちゃんは『冷淡ってヒンヤリして淡いって書くんだね。かき氷みたいで素敵だね』って」


「ホント、素敵な字面だと思う。『かき氷始めました』みたいなドキドキ感、思い出す。それにかき氷みたいに綺麗な子だったよ。私、何かヘンな事、言ってる?」


「ううん。オレ、あの時、姉ちゃんの言葉に救われた。すげー間違いのセンスがいい」


「ふぅん、何か分かんないけど、とにかく良かった」


「今の自分の気持ちも本来の意味じゃ潰れそうなんだ。姉ちゃんなら、何て意味を足すだろうって考える」


「今の気持ち?」


「うん、どこからも離れてる気持ち。孤独感かな」



 「そっか」私は口籠る。まだ風が冷たくて、どうにかしたら小雪が舞いそうな空が頭の上にあった。通路の脇のラッパスイセンも風に、震えている。


「どんな意味かな。私は頭が良くないから、難しい」


「由彦叔父さんなら、なんて言うかな」


「そう言えば、叔父さんは、新型ウイルスとかでウチの工務店の受注が少なくなった時、停電だと思うんだよって言ってた。父さんはそんな簡単に言うなって感じだったけど」


「停電?」


「子どもの頃、よく停電になったよね。それでさ、色々ブレーカーなんかを調べて全部やるだけやったら、後は、懐中電灯を探して待つしかなかったよ。でもスイッチを切ってしまったら停電が終わった時、暗いままだからね」



「それ、昔、よくあったね。他所の家の灯りはついているのにウチだけ暗くて、スイッチ切ってしまってたのに気が付いて」


「あった、あった」


「じゃあとりあえずスイッチを入れるとして……」


 柚羽は、右手を顔の前で上下させる仕草をした。まるでパントマイムみたいだ。


「何? その仕草」


「蛍光灯の紐を引っ張ったんだよ。わが家の」



「なにそれ。古っ」



「でもウチの和室は今でも蛍光灯に紐コードだし」


「まー、そうね。停電って、後で明るくなるまでのほんのひとときなんだよね。後でちょっと暗がりが懐かしくなったり」


 私も弟の真似して、蛍光灯の紐を引っ張る真似をした。


 外にはほんの少し夕方の気配が漂っている。

 私達は二人で、見えない蛍光灯の笠がオレンジ色の光を照らす空を見つめていた。


「とりあえず充電しないとなー。電気いつでも点くように」と柚羽が言う。私は、流れるメリーゴーランドの軽快なメロディに重ねるように、「おー」と短く返事をした。




〈Fin〉



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