魔女が人間の子供を育てたら、見る目が違うようです。
九條
第1話
自然豊かな森には隣人と呼ばれる精霊達が住み、大昔からその精霊たちと人々は共存してきた。
エーデルの森にその一人である魔女が住んでいる。
桜のように淡い色の長い髪を編み込み、サンタマリア色の瞳は瞬きする度に輝いた。
昔から魔法使いが作った薬は重宝され相談もしてきたくせに、近頃は不用だと言ってきては「消えろ」と言われる、何か私たちが悪い事でもしただろうか?
怖れ罵るくせに、おまじないを信じる人々が絶えないのは何故だろう。全く自分勝手だ。
魔法使いの中には、目が合っただけで石を投げつけられ近付く事すらままならない者も居るらしい。
人は五年以内に転生できると聞いた。もしも違う人生が送れるのならば試してみる価値はあるかもしれないと崖の近くまでやって来た。
狼の遠吠えは月が昇り切った合図。
梟の鳴き声は深い帳が降りた合図。
涼しすぎる風が吹き抜け、血を含んだのかと思うほど真紅に染まった月が全てを照らす。
すると、どこからか赤ん坊の泣く声が聞こえてくる。
この森には多くの精霊が住んでいる。場合によっては無下に殺生することがあるので、無視することもできず声のする方へと足を向けた。
「なにもこんなにも人気のない森の中でなくても、せめて人目につく場所へ連れて行ってあげないと」
長い年月を経て、立派な大樹となったその下には籠が置かれており、覗き込むと気配を感じたのかその赤ん坊は大粒の涙を止めて目を開いた。
「キミは何故こんな所に捨てられてしまったのかな? その見た目のせいかな? きっと母親はダンピールを産んでしまったと思い込んで怖くなったんだね」
無邪気な赤ん坊は小さな両手をパタパタと動かして魔女の差し出した指を掴もうとしている。やっと掴んだ小さな手はとても暖かく柔らかい。
「ふふ、今を捨てるには勿体無いか……気が変わった。これが私の最後の大仕事としよう、一緒にこの人生を謳歌しよう」
藤色の髪とガーネット色の瞳を持つ子供の物語はここから動きだした。
魔女であるエマは力を極力隠し、普通に過ごすよう努めた。
町へと行く時は髪色も瞳の色さえ変え育児に必要な物を買い込むのだが、これがさっぱりだった。同じ年頃の子をあやす母親を見ては同じ物を買い込み拾い子に与えた。
その内『キミ』と言うのも可哀想だと思い『ナイト』と名付けると益々愛着が湧いてしまった。
「いいかいナイトは二つの意味があるんだ、夜に出会ったから、もう一つは皆を守る騎士という意味だ。強くおなり」
初めて歩いた日。
初めて喋った日。
「あれは何?」「これは何?」「エマあのね」
全部が愛おしかった。
立派な青年に育ったらナイトを町に連れて行こう。そして運命の人と巡り合って幸せに暮らしてもらうんだと、そう願いながらエマは育てた。
「ただいまエマ、今日も全部売れたよ、リピートしてくれるお客さんが増えて来たし上々だね」
「おかえりなさい。ナイトにばかり市場へ行かせてすまないね。私はあの人混みがどうも苦手なんだ」
エマがナイトの髪をひと撫ですると、蒼黒色だった髪は一瞬にして藤色へと変わり、優しく頬を撫でるとサファイア色をした瞳はガーネット色へと戻った。
「大丈夫だよこれからもずっと僕がエマの代わりに市場へ行くから、だから安心して。あとね、エマの作る紅茶は女性に人気でさ、ポプリは養護施設の人達に大人気! 全部を買い占めちゃうから次のお客さんの分が無くなっちゃうんだ」
「それは良かった、じゃあ次はもっと沢山作っておかないとね」
女性に人気があるのはナイトの気を引きたいという下心もあるんだろうな、とエマはわかっていても口には出さなかった。
眉目秀麗に成長したナイトはきっと自分のことを何とも思っていないのだろう。
寄り道もしないで真っ直ぐ帰ってくる彼を逆に心配しているのに本人はどこ吹く風だ。
それでも小さなテーブルを挟みパンとチーズを齧りながら今日の出来事をアレやコレと話すのはとても楽しいものだと知ったのはナイトを拾ってからだ。
「もうすぐ十八か、町に良い人はいないの? いつでもこの家を出てくれてもいいんだよ」
「またそれ? 何でそんなことを言うの? そんな人はいないしここから出て行く事は絶対にないよ。それに僕がここを出てったら誰が市場に行くの?」
プクっと頬を膨らませ怒る姿は子供っぽくて可愛らしいので口の端が緩んでしまいそうになる。
「ダメ。いつかはこの家から出て行くの! そのために教養を身に付けてあげたんだから。普通が一番だよ」
いつもそうだ、エマの云う普通って何なんだ? 口酸っぱくこの家を出ろと言われるの納得いかない。ここは僕の家でもあるのに。
家族とはいえ血の繋がりがない事実はとっくの昔に気付いていた。だから何をどうしようと自分の勝手だろうとも思っていた。
それに今エマを一人にしてしまったら、どこか遠くへ行ってしまいそうで怖かった。
新月の日には決まって物悲しそうに夜空を眺めているから声を掛けて気を逸らせるのだが。あの瞳を見ると胸が痛んだ。
僕はエマが好きなんだ。
そう悟って確信したのは最近になってからだ。
「どうすれば好きな人と一緒になれるのかな、君なら知ってる?」
「あらそんなの簡単よ。毎日愛を囁いて、エンゲージを結ぶのよ」
顔も覚えていない女が言っていたが、簡単だと教わったのにちっとも簡単じゃなかった。
エマの「好き」は僕に対しては家族として、それ以上でも以下でもない。
いつものようにエマが薬草を摘みに行っている間に家の中を掃除をしている時だった。
キッチンの左上棚の一番奥から漆黒の封筒を見つけた。見慣れない蝋印が押され封が切られていたので手紙を開けたが、全く読めなかった。
ルーン文字を会得していないナイトは頭を抱えながらも、辞書を開きながら必死に読み解いた。
すると何となくだがわかってくると、この時程自分の地頭に感謝した事はなかった。
「そんな、こんなことにエマは……」
ドアが開きエマが帰宅した事を告げる音がするといつものように出迎えた。
「ただいま、掃除してくれてたの? ありがとう今夜は珍しい植物を見つけたんだ、スープにするととても美味しいから今から作る、ね……ナイト、それ、どこで」
漆黒の封筒と封書を手にしたまま立つナイトを凝視すると冷や汗が出て目眩を起こしそうになったエマは、取り返そうと腕を伸ばしたが逆に捕まってしまう形となってしまった。
「何で黙ってたの? 隣国へ行くこと。魔女の召集? 戦争でも始めるの? まさか僕を置いて一人でなんか行かないよね、僕はエマと絶対に離れない。ずっと一緒にいてくれるって信じてる」
「なん、で、ルーン文字は教えてn」
「教わってないよ。大丈夫、自分で調べた読めるようになったからね。教えなかったのはこういう日の時のため? 残念だったね、隠し通せると思ってたんだ」
ガーネット色の瞳が真っ直ぐに見据える。
「血の繋がりがないってことも知ってる。だから僕を捨てるの? 勝手だね。白状するけど僕はエマのことが好きだよ、本物の家族になりたい」
嗚呼、気付かなかった。
ナイトはいつの間にちゃんと自分の意思を持っていたんだ。
大人の言う事を聞くばかりの子供じゃない……だったら大丈夫。
「ありがとう、でもそれは私じゃダメなんだよ」
「何がダメなの? 僕にはわからない。エマがわからない」
エマは苦しくなるほど強く抱きしめられたが、その腕を振り解き距離をとると確りと目を合わせた。
「私はナイトたちみたいに同じようには歳はとれない。だから家族を持っても意味が無いんだ」
「それでも構わないよ。だってやっとわかったんだ、どんなに好意を向けられても僕の心には全く響かなかったんだ。それでもエマの事を想うだけでこの胸は酷く高鳴るんだ。苦しいんだよ!」
こんな事になるんだったら拾うんじゃなかった、育てるべきじゃなかったんだ……それは本心?
本当は離れたくなんかないよ。
ナイトが年老いて死ぬまでをちゃんとこの目で見届けたかった。
ハラハラと頬を伝い滴る涙は胸元を濡らした。
「一緒に逃げようエマ」
凛とした声音が鼓膜に響き脳を揺らした。
逃げる? 何処へ?
この世界に逃げられる所などもうどこにも無いのに。そう思っていたのは自分だけだった?
「やっぱり私は行くよ」
その言葉に瞳が揺らいだ。
「仮に逃げたとしても直ぐに捕まってしまうし、だったらナイトだけでも生き残って私の分まで『幸せ』になりなさい。これが私からの最初で最後の『呪い』だ」
ズズ……
エマの足元から紫煙が巻き起こり、やがてこの紫煙はエマを覆い尽くした。
ナイトは消え入る前に大きく手を伸ばすが上手く掴めずただ空を掴むしかなかった。
「エマ! 待ってエマ!! 待ってるから! キミの帰りをいつまでもここで!!」
刹那、伸ばした指先がエマに触れた気がした。
が、ナイトの声は虚しく響いただけでエマが振り返ることは無かった。
竜巻のせいで散乱した家具を片付ける気力も湧かない。
倒れた椅子を起こし腰を掛けて部屋を見渡すと羊皮紙が落ちていた。
小さい子供が書いた拙い文字は、ナイトが初めてちゃんと書いたものだった。
『エマがケーキをつくってくれた。とつてもおいしかった! おれいにおはなをプレゼントしたらよろこんでくれた。うれしかった。』
「誕生日おめでとうってエマがケーキを焼いてくれたんだっけ。花は、ウィンターコスモスが咲き乱れてたから花束を作ってプレゼントしたんだ。喜んでくれてすごく嬉しかったな。」
あの頃の思い出はまるで昨日のようにありありと思い出せる。
「どうしてこうなっちゃったんだろ。僕にも守れる力があればエマを引き止められたのかな。祝福が呪いなんて残酷すぎるよ」
今からでも遅くはない。エマを迎えに行こう。
「魔法が使えないからって舐められちゃね、これだけ残してくれたんだからどうにかなるでしょ」
濃紺のベルベットカーテンを開くと書斎に一歩踏み出した。
エマの残して行ってしまった書物は壁一面にあり、読めない文字で書かれた本が所狭しと並んでいる。
数日、数週間、数ヶ月と辞書を片手に時には精霊に助けてもらいながら。できる限りを独学で学んだ。
それでもどうにもならなかった時はエマが古い友人だと言っていた魔法使いのユーゴに連絡を取っては教わった。
「まさかあの冷静なエマが、ね……何の徳もないと知っていただろうに」
「それほど僕から離れたかったのかな、エマには困らせてばっかりだ」
その中で、自分の血を対価に魔法陣を描き強力な魔法を発動させることができることを知った。
ユーゴには細心注意を払うようにと厳しく言われたがなりふり構ってはいられなかった。
「これなら僕にもできる」
成功例を増やして行くことでそれは糧となり魔法はより強い効果を発揮できるようになるのだとユーゴの弟子も言っていた。
元がただの人であるナイトには陣が必須だったが、精霊と契約する事で有意に発揮する事が可能となっていた。
精霊への対価は決まって髪だった。中にはエマの作っていたポプリや薬を好むものもいたが、エマの香りがすっかり染みついたナイトにも従順に従ってくれていた。
あれから、エマが隣国へと出向き一年が経とうとしているーー
ドアを叩く音で目が覚め苛々としながらドアを開けると、見た事のない軍服を着た兵士が立っていた。
ナイトはぶっきらぼうに「何だ」と聞くと「ここは魔女の家か?」と聞かれた。
「だったら何?」
背中を這って肩から顔をだした小さなサラマンダーの子を見るとその兵士はニヒルに笑った。
「そうか、ここは害悪だな。構わん焼き払え!」
冷たく言い放つ声を合図に控えていた兵士らが炎を手に家の中へと押し入り火を放った。
「何やってんだよ! お前ら一体なんなんだよ!! 突然やって来て何様だよ!!」
手錠を掛けられ家に近い木に括り付けられてしまったナイトは身動きが取れずもがいた。
「ははは、なんだこの国印を見たことがないのか? てっきり知っているものだと思っていた。」
双頭の鷲に羽が六枚、エマに届いていた蝋印と同じだ。
轟々と燃える家はエマとの楽しかった日々を無惨にも掻き消してゆく。
このままなくなってしまったらエマは戻る場所がなくて泣いてしまうかも知れない。
エマの泣いた顔は見たくない。
ナイトは無我夢中で抵抗し、精霊へと命じた攻撃魔法を放たせ数十人の兵を葬った。
「何だ、君も魔法が使えるのか。面倒だな」
鎖を精霊に解いてもうと小さな陣を幾つも描き水を繰り出したが、剣術に長けている相手は懐に飛び込みナイトに深手を負わせた。
「その力は仕舞っておいた方が身の為だぞ」
「ははっ、今更遅いだろ。どうせ殺されるなら思う存分使ってやるさ」
肩から流れる鮮血は服をじわりじわりと赤く染め上げてゆく。
「お前を国になんか帰さないから。覚悟しなよ」
自ら生贄とし手のひらに召喚魔法を描くと、イクシオンを呼び出し雷を落とした。
地鳴りと共に、落雷の轟音は千里先まで轟いた。
ドォオオオン! バリバリバリバリ!!!
双頭の鷲に六枚の羽を描く国に召集された魔女、魔法使いは戦場へと駆り出され多くの敵兵を葬っていた。
回復魔法を使える者が一人でも居れば良いほうだがそんな者はこの場にはおらず。盾を発動させ直接的な攻撃を防ぐ他になかったが魔力にも底はある。
この不条理な戦いは一体何の意味があるのだろう。
ナイトの悲しむ顔と「好きだ」と言った言葉が何度も脳裏に蘇る。
あの時はこうするしかないと思っていた。
違う、逃げてきただけかも知れない。
エマは胸を痛めながらもこの戦いが終わったらナイトの元へと帰るんだと誓いその日その日を生き抜く事に集中した。
いつまでも待っているから。
その言葉を信じて。
やっとの思いで生き抜いたのに、生き残った魔女も魔法使いも数える程度になってしまった。
何に勝利したのかはたまた負けてしまったのかも今となってはもうどうでもいいと思う程に「疲れた」それだけが残っている。
「早くナイトに会いたいな、そして謝らないと、許してくれるかな」
国王が遠くから労いの言葉を掛けている。勝ったのだろう、やっと帰れる。
そう思ったのに耳を疑う言葉がみなを震撼させた。
「魔女ら諸君のお陰で我らの国は勝利を手にする事ができた。ありがとう心から感謝を申し上げる! が、しかしやはり魔女、魔法使い諸君は我々の脅威だと痛感した。よってお前達にはここで辞退してもらおうと思う」
もう元いた場所へ帰る程の魔力は誰も残っていない、そこを突かれたのだ。
いや毛頭から帰す気はなかったのかも知れない。
ダメだ、私はナイトの待つ家へと帰るんだ。
エマは懐に隠していた魔力の籠ったアジュライト石を強く握り締め紫煙を巻き起こした。
エマを包み込んだ瞬間、逃がさまいと無数の矢が放たれたが、その矢は空を切っただけだった。
思い描いていた新緑は見る影も無く、森は焼け果て、焦げ臭い匂いが漂っている。
見覚えのある国印が目に入り兵士の一人だと気が付き、あの国王は先回りして根回しをしたんだと知った。
もう二度と帰しはしない。と最初から織り込み済みだったのか。
家が在ったはずの場所は焼失し黒く色を残しただけで跡形もない。
ナイトはどこかへ逃げたのか、無事なのだろうか。
「ナイト、ナイト! どこにいるの? 返事をして!」
周りを見渡しては大声を出すので精霊らが顔をだし怪訝な面持ちでエマをじっと見ている。
火薬の染みついたエマに近づこうとする精霊はいないのに背後で小枝が折れる音がして体が強張った。
誰かがいる。
今ここで仕掛けられては太刀打ちは難しい。逃げ出したかったが体が言うことを聞かない。
「エマ? よかった、帰って来たんだね、ここはもうダメだ。僕と一緒に逃げよう」
ナイトの脇腹から血が滴り落ち、その他にも至る所刺し傷だらけだ。
エマは駆け寄り傷付いた体の具合を見るも刺し傷は深く、白い肌はより一層白くなっている。
「ナイトそれ以上は喋らないで、傷が深い……今応急処置を」
必死なエマを他所にナイトはきつく抱きしめ首筋に顔を埋めた。
「帰って来てくれて嬉しい。ああ懐かしい香りがする。あはは、僕もだけどエマも傷だらけだね。……ね、まだ側にいちゃダメ?」
「ううん、側に居て。ナイトが居るから帰ってきたんだから」
エマも抱きしめると、ナイトは真っ直ぐに見つめ返してきた。
その瞳はこの世で最も美しかった。
「よかった。また出て行けって言われたらどうしようかと思ったよ」
フラフラな足取りでは立って居られずナイトは座り込んでしまった。
エマも慌ててしゃがむとローブを裂いて傷口に当てたが、止血は中々追いつかず痛みに歪んだ顔からは汗が滲み出している。
「ごめん、あの時は心からナイトの幸せだけを願っていたから」
溢れそうなくらいに溜まった涙はサンタマリア色の瞳を
「初めからここから離れるつもりでいたのに、私なんかを好きだなんて血迷ったことをいうから。でも早く会いたくて、弁明したくて……飛んで帰ってきたのに」
「わかってるよ、エマはいつだって僕の身を優先するって事くらい。うっ、はは、ごめんね僕は本当は不器用なんだ」
大きな手は優しくエマの頭を撫で、魔法陣を描き込んだ紙をポケットから取り出すとフッと息を吹きかけた。
それは頭上でパンッと弾け桜色と空色の光が美しく瞬きエマに降り注いだ。
じんわりと熱を帯びながら体に印が刻まれる。
「エマ、愛してる……」
抱き寄せると一言だけを残して、あんなにも眩しく輝いていた『光』が消えてしまった。
エンゲージの加護だけを残して。
「ズルいよ、ナイト……なんで、なんでこんな……何処で覚えたのよ」
気が済むまで泣き叫ぶと精霊の力を借りてナイトの亡骸を抱きかかえ初めて出会った大樹へと向かった。
「ちょっとだけ、軽くなっちゃったね」
長い年月を経て育った大樹には神秘の力が宿る。
そのエネルギーを借りてエマが魔力を込めると、ナイトの体は浮かび、二人はオーロラ色の光に包まれた。
私はやっぱりナイトに生きていてほしい。
だってナイトと出会えたからこれまで生きてこられたんだから。
私みたいに必要としている人はきっと居るから。だからね
「目を覚まそう」
光が消え、すっかり魔力を使い果たし自分に命を対価にしたエマはナイトの側で寄り添うように眠りに就いた。
青い月の光が二人を照らし、美しいエーデルの森に静けさが戻った。
厚い雲間が割れ、隠れていた太陽が顔を出すと、柔らかな木漏れ日が二人に降り注ぎ、ガーネット色をした瞳がその光を受け宝石の様に輝いた。
隣りで眠るエマに気がつき、頬を指でなぞると全てを悟った。
「エマ、こんなところで眠っていると風邪ひくよ。寝るならベッドの中でしょ、僕が小さい頃いつも言ってたじゃん……僕ね、エマが居ない間、家の留守を守ったんだよ。独学だけど魔法の勉強も沢山したんだ、ちゃんとできるから昔みたいに褒めてよ『良くできました』って」
安らかな寝顔は冷たくて、先程迄の出来事は夢だったんじゃないかと思うくらい虚しかった。
傷はすっかり癒えていて体の隅々まで全く痛みを感じない。
人差し指の先を噛み千切り、エマの胸元に魔法陣を描いた。
「二人一緒じゃなきゃ『幸せ』と『愛』は成立しないんだよ。エマって意外と詰めが甘いよね、魔法はこれだけじゃないんだよ」
紅い色が魔法陣に沿って光った瞬間、精霊らは慌てふためいて逃げ出した。
その光は命という命を飲み込み瞬く間に死へと変えてゆく。
しかしそれで得られるものもある。代償は大きいが今のナイトにはそれ以上の価値があった。
エマの胸が大きく動き息を吹き返した。瞼はゆっくりと開き、サンタマリア色の瞳がナイトの姿を捉える。
「一体、何が……」
「おかえり、エマやっとまた会えたね」
木々や草花は枯れ果て、逃げ遅れた動物は骨と化し地面は黒く変色していた。
ここから遠く離れた町からは人影が消え、色という色が消えた。
あれからエマは魔力をすっかり無くしてしまい完全に時が止まってしまった。
代わりにナイトがその魔力を引き継いでいる、それ以上かも知れない。そしてナイトにも同じ様に時が存在しない。
魔力なんてそんな大それたものが無くとも、日々が幸せで溢れているならそれでよかったナイトは以前と変わらずエマが作った紅茶、ポプリや薬を町外れに在る市場へと売りに行っている。
エンゲージの加護の効果は消えないまま継続されたが、それが気に食わないとマリアージュという祝福の証で上書きした。
「これでエマと僕は本当の家族だね、もう一人じゃないよ」
「何言ってんの、勝手にエンゲージの加護の証を刻み込んだの間違いでしょ、こんな年寄りを捕まえて何が楽しいのか」
ブツブツと言うエマの手を取ると溶ける様な瞳でにっこりと笑った。
「歳なんて関係ないよ。僕のエマは今日も可愛いね」
藤色の前髪がエマに掛かりナイトの唇が重ねられると、頬を染めまんざらでもないエマを見ていると、自分の選択は違っていなかったのだと自惚れてもいいだろう。
エマの胸元に描かれた魔法陣は禁忌だ。
『対価』は、二人で一つの魂を共有すること。
どちらかが死ねば例外なく二人とも死ぬこととなる。
大樹のエネルギーを使い魔力を込めたエマと、ありとあらゆる生命を犠牲にしたナイトは逆転してしまった。
そして、禁忌を犯した事によりエマの時は止まり歳をとらなくなってしまったが、ナイトにとってはさしたる問題ではなかった。
「愛しい人と永遠に一緒に居られるのに不満なんてないよ」
その言葉にエマは時折本当にこれでよかったのかと未だに考えているようだったが。それも気にならなくなるほどの時間を共有してゆくのだから。
しかしながら未だに開催される集会にエマは招かれている。
ナイトも一緒に出向いているが、エマが纏った赤い糸をした光は魔法使いらの目を引くには強すぎるらしく穴が空くほど注視されている。
歳を召した魔法使いらには禁忌を犯した愚かな者として映っているが、なんのお咎めもないのはナイトが多くの召喚獣を従えているからだろう。
舌打ちをするだけで精一杯な臆病者だ、と言うとエマが怒るので心の中で悪態をついているのは内緒だ。
ガーネット色の瞳はより輝きを増し彩光を放ち、まるで内側から見透かされている様な錯覚に陥らせるその輝きはどんなものも魅了する。
魔女界隈でファンが年々増えているのをエマは古い友人を通して知っている。
今も尚、精霊の力を借りながら仲睦まじく暮らしているとかないとか。
二人の姿を知る町人はもう居ない新しい世界。
昔々のお話し。
魔女が人間の子供を育てたら、見る目が違うようです。 九條 @Qujyo_akr
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