御池DIARY

金子涼介

序章

 祖母の存在というのは人生において、とても大きな存在である。俺がまだ十一歳の頃だっただろうか。祖母の家で俺の誕生日会を開いてもらった。祖母は京都に住んでいたので、あまり家に尋ねたことはなかった。だからなのか、東京からの新幹線はずっと落ち着いていられなかった。京都駅に着いた後、タクシーに乗り換えて移動した。俺は新幹線ではしゃぎすぎたのか、車の中で溶けるように寝てしまった。この間に、車は京都駅周辺の賑やかな街並みを忘れ、京都の観光名所 北山よりもさらに深くにある山奥に行き着いた。目を覚ました俺はあまりの静けさに鳥たちの囁くような鳴き声に聞き入ってしまった。母から急かすように車から下ろされると、そこには赤縁メガネをかけた祖母がいた。何も言わずににっこりと笑うと家の中に上がりなさいと言わんばかりに背中を向けて玄関の方へ歩き出した。祖母の家はとにかく大きかった。門から家までの間に和と洋が入り混じった不思議な庭園を抜けた後、噴水を横目に石段を二十段ほど登って、やっと玄関が姿を現す。玄関を上がると目の前には長い廊下があった。迷子になりそうだと子供心に思って見回していると、いくつも部屋の扉が並んでいる中に一つだけ赤色の扉があった。ほとんどの扉が茶色にも関わらず、一つだけ。入ってみたいという好奇心を掻き立てられた俺は扉のノブに手をかけた。すると、すぐに母がやってきて俺の耳をつねるなり耳元で言った。

「その部屋は絶対に入っちゃだめ。入ると母さんが怒るの。私なんて中学生の時こっそり忍び入ったのがバレて、一週間くらい食事を作ってくれなかったんだから。」

 母の少女時代を想像しながら、やめておこうと子供心に思った。そして、母はこう言った。

「あとね、入っても面白いものは何もないよ。本が色々置いてあるだけで、本当に何の変哲もないの。なのに何でお母さんはあんなに怒ったのかな?」

 不思議そうに首を傾げた母は俺の目を見るなり手を引っ張って応接間に連れて行った。

 夜になると、祖母がかなりの量の料理を用意してくれていた。和洋折衷、色とりどりの料理。とても子供の誕生日に用意されるものではなかった。だが、祖母は、幼いうちにいいものを食べておかないと後悔するよと言い、皿を差し出してきた。たらふく食べた俺は夜、すぐに寝てしまった。

 深夜。普段より早く寝てしまったせいか目が覚めた。することもなかった俺は天井と睨めっこしながらぼーっとしていた。すると、隣の部屋の扉が開く音がした。祖母である。こんな夜更けに何をするのだろうと思い、跡をつけてみようと考えたが、父の暴れ回る足に行手を阻まれ、断念した。その後も一時間くらいは目を開いていたが、祖母は戻ってこなかった。

 翌朝。二泊の予定だったが、父の仕事でトラブルが起きて、東京に帰ることになった。朝食食べなさいと、これまた豪華な食事が用意されていた。食事中、祖母に前の晩は何をしていたのかと聞いた。すると、ぐっすり寝ていたと言う。俺はすぐに質問を付け加えようとした。だが、祖母が先に食事を終えて、台所に消えてしまった。俺には、パセリが乗ったスクランブルエッグと少しの不信感だけが残った。

 荷物をまとめて、玄関を出ようとした時。俺は忘れ物に気づいて、一人で部屋に戻った。良かったことに忘れ物はすぐに見つかり、走って玄関に向かおうとした時、例の赤い扉の部屋から何やら紙切れが飛び出ているのが目に入った。紙を拾い上げ、開くと料理のレシピだった。それも昨晩誕生日会で食べたものだった。その時すぐに、祖母が昨晩部屋を抜け出して向かったのは赤い扉の部屋だと直感した。だが祖母はこのことを隠していた。好奇心だけでなく、祖母に対しての得体の知れない疑念を抱きつつ赤い扉を開いた。

 部屋の中には四方の壁一面に本棚があり、ぎっしりと多種多様な本が敷き詰められていた。窓際には書斎に適した洋風の机があり、おしゃれな万年筆が置いてあった。しかし、これといって不思議なものも面白いものもない。母の言うとおりだった。部屋を出ようとする時、なぜか左の壁の本棚に目が行った。綺麗に敷き詰められた本棚。だがしかし、一冊分だけ空いている。他は綺麗に敷き詰まっているにも関わらず、そこだけスッポリと空いていた。俺は部屋を見回した。けれど、それらしき本は見当たらない。

 見つけられないまま、母に呼ばれ、部屋を後にした。タクシーに荷物を積み込み、全員乗り込んだ時、母が窓を開けて祖母を近くに呼んだ。母はカバンの中から赤色で無地の分厚い本を取り出し、祖母に渡した。どうやら、母の荷物に祖母のものが紛れ込んでいたらしい。受け取った祖母はやけにホッとした様子で本を何度も見直した。母が、探していたのかと聞くと、すぐさま祖母が、中は見てないかと聞き返した。母はもちろん見てないと言い、祖母はなら良いと一言だけ返事をした。運転手が出発しますと言い、窓を閉じて、車は走り出した。二十メートルほど走った時、俺はふと母が祖母に渡した本を思い出した。よく考えると、赤い扉の部屋にあった本棚の空きにちょうど入る大きさである。もしかしてと思ったが、タイトルもない無地の本であったことを思い出し、なぜか俺は興味を失った。それから先、祖母の家に行くことはなかった。

 そして、俺が十七歳の誕生日の前日に祖母はこの世から旅立った。誕生日の日、亡くなった祖母から宅配便でプレゼントと書かれた箱が届いた。それまでもお祝いのメッセージや食べ物を送ってくれたりはしていたが、プレゼントとして送られてきたのは初めてであった。早速中身を開けると、誕生日おめでとうと書かれたレターカードと一冊の表紙が緑で無地の本が入っていた。レターカードの裏には、

「この本には何も書かれていません。あなたが大学生になったら日記として使ってください。」とだけ書かれていた。

 日記をくれるなんて、祖母一体何を考えて送ったのだろうかと考えつつも、箱にしまって戸棚に置いた。


 俺はこの時、定期試験直前で焦っていたからなのかは分からないが、祖母のプレゼントの箱の中にもう一枚のメッセージカードが入っていたことに気が付かなかった。

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御池DIARY 金子涼介 @hotaru-yomupuni1076

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