紋章 ~ブラゾン~
武江成緒
紋章 ~ブラゾン~
まったくもって、幼な子の喧嘩のごとき切欠ではじめられた戦であった。
無論のこと、それだけが理由というわけではない。
デ・マレ家とデ・フォトワール家。
所領をとなり合わせる両家は、歳月とともに軋轢と憎しみとを積もらせてきた。
領地の境界の線引き。それを越えての領民、家畜の侵入さわぎ。水あらそいに牧草あらそい。
ぱんぱんに膨らんだつぼみを開花させたのは、デ・マレ家が召しかかえた詩人が主と、その兵たちを讃えた
“デ・マレのあらぶる
他愛もない、阿諛追従にまみれた
けれども、その
デ・マレ家の紋章の核たる
それとまったく同じ造形の獣の像が、デ・フォトワールの紋章の盾にも描かれていたのだ。
無論のこと、デ・フォトワールの言い分では、先祖伝来の
はてさて、両家の紋章の盾に描かれた獣、それはどちらが正統なのか。
そもそれは、獅子なのだろうか、熊なのか。
頭部に
デ・フォトワール家の者はパリまでおもむき、それは図像の変形にすぎず、れっきとして熊であるとぼろぼろの文書を探しだしてくる。
デ・フォトワール家の古伝をあさり、かつて所領の東にひろがるロワーニュの森にひそんだ熊のばけものを、祝福された
絵ひとつの形うんぬんするのは、しごく簡単な争いだ。
領地の境をあらそうこと、水や牧草をあらそうことに比べれば、のどかな話にすぎはしない。
けれどそれゆえに、あまりに
双方の所領の境となっているロワーニュの森、その南辺に両家の軍が相対した。
軍とはいっても当時のこと。
将たる双方の領主ふたりにその騎士たち数名のぞけば、あとは麦作のやすみの時期に徴発された農兵ばかり。
兵のある者は、間に合わせの武具の重さに耐えながら夏の暑さに汗をぬぐい。
またある者は、この戦に略奪の期はないものかと目をぎらぎらと輝かせ。
またある者は、ロワーニュの森の暗い影にびくびく背筋をふるわせていた。
ロワーニュの森は暗き魔境。
太古の昔に教会に追いはらわれた
農兵どもの迷信などを
双方の領主のまとう鉄の鎧ときらびやかな
その瞬間、森のなかから。
双方の騎士らに、兵たちに、その目のまえにその獣が、暗い森からおどり出してうごめいた。
熊とも獅子ともなにともつかぬ、牙をむきだし、ぎらぎらと目をかがやかせる、見あげんばかりに巨大な獣は、長い毛なびかせ森から踊り出。
またたく間もなく、両軍の先頭にいた両家の当主を、がぶり、がぶりと顎におさめると。
そのまま森へともぐり込んだ。
茫然とする騎士や兵たちが、日がしずみ、次の朝日がのぼりくるまで立ち尽くしても、その魔獣も、領主たちも、二度と姿を現すことはなかったという。
後をついだ領主たちは、その紋章の
二度と兵をかまえることも、ロワーニュの森に近づくこともなかったという。
紋章 ~ブラゾン~ 武江成緒 @kamorun2018
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