地蔵ギャル化事件の顛末

竜松昇平

地蔵ギャル化事件の顛末

 それは、1人の女子高生の自転車事故が始まりだった。

 彼女はクラブ活動を終え家に帰ろうと、正門を出てすぐの長く緩やかな坂を自転車で下っていた。下りだして間もなく彼女はいつもとブレーキの利きが違うことに気づいた。どうも左の後輪ブレーキの利きが悪い。通学時にはなかった耳障りなブレーキ音もある。右の前輪ブレーキばかり利かせると後輪が浮き上がり転びそうになるため、彼女はブレーキレバーを軽く握っては放すという操作を繰り返し、なんとか坂を下っていった。

 だが、スピードは上がり続けていく。

 いよいよ坂の終わり、道は左右に別れ正面には田植えを控えた水田が広がっていた。彼女は体を傾けながらなんとか左に曲がろうとするも曲がり切れず、悲鳴を上げながらブレーキレバーを目一杯握るしかなかった。

 見事にジャックナイフ(逆ウィリー)を決めた自転車は、夕日が映える水田に彼女を投げ飛ばした。


 日本海を臨む静かな港町にある能登大学付属高校。小高い丘の上にあり3階建ての校舎からは、広大な田園とその向こうの漁港まで町全体を見渡せた。歴史は古く戦前の女学校時代を含めれば優に100年を超える。女子生徒の制服は伝統と可愛らしさを兼ね揃えていて人気があり、共学となった現在でもそれを理由に入学希望する者は少なくない。とはいえ、そこは人口減少が著しい地方の高校。生徒数は全国の平均を下回っていて1学年5クラス、全校生徒数500人ほどだ。そのため学校は様々な部活動に力を入れて全国から生徒を募っている。

 この学校の地形的特徴のひとつに、校舎のある丘の上まで続く長さ200メートルの坂道がある。緩やかな坂だがその長さはなかなか堪えるもので、多くの運動部がここで坂道ダッシュのトレーニングに励んでいる。


 校舎2階、2年生の教室の並びに新聞部の部室はあった。その部室のドアを勢いよく開き、1人の女子部員が部室中に声を響かせた。

「出たよ! 3人目! また田んぼに突っ込んだって!」

 2年生の行町小奈ゆきまちこな。小柄で丸い眼鏡をかけていて前髪ぱっつんのツインテール、可愛らしい見た目に反して、行動的で強気、スクープのためなら対象に嫌われることも厭わない記者気質の部員だ。

「なに! 例のメンバーか⁉」

 彼女の熱量に呼応するように席から立ちあがり大声で答える男子生徒。彼は巓進次郎いただきしんじろう。大柄で趣味は筋トレ、坊主頭に岩のような顔つきの3年生。この新聞部の編集長(部長)である。

「家庭科部、地蔵ギャル化事件のメンバーだよ!」

「そうか! 間違いない。これは我が校始まって以来の大事件だぞ!」


 ここで地蔵ギャル化事件について触れておかなければならない。それは、まだ雪の残る春先の出来事だった。

 能登大学付属高校の職員玄関脇に一体、高さ50㎝ほどの地蔵菩薩の石像が立っている。この地蔵の出自は実のところよくわかっていない。学校管理下での事故犠牲者を供養するためのものと言われているが、その事故がはっきりとしないのだ。スキー部の雪崩遭難事故のときのものだとか、いじめを苦にして自殺した生徒のためのものだとか様々な謂れがある。石像の古さから、女学校時代に起こった火事の犠牲者、または戦中戦後の機雷による犠牲者を弔うために設置されたというのが有力だ。

 この地蔵は小さな台座の上に設置されていて、雨風を凌ぐものは何もなく、冬になると雪に埋もれてしまうこともある。それを気の毒に思った1人の家庭科部の女子生徒が、何か雪除けになるものを作ってあげようとしたのが事の発端だった。この生徒の思いに賛同し、同級生である3人の部員が協力することになる。

 最初は紛う方なき善意からだった。否、4人からすれば最初から最後まで徹頭徹尾善意だったはずだ。何気なく誰かが「こうした方が、かわいくない?」と言ったあたりから様子がおかしくなった。彼女たちにとって、やはりかわいいは正義なのだ。そこに疑問を抱く者はいなかった。

 作り始めは昔話の傘地蔵のように、頭に菅笠のようなものを被せてあげようくらいのつもりだった。でも、それではかわいくない。

「ニット帽を被せようよ」

「どうせなら服も着せてあげたい」

しかし、それでは雨風を凌ぐという当初の目的から逸れてしまう。

「それなら、ビーチパラソルのような派手な傘を置いたらどうかな」

 と誰かが言った。地蔵の上にビーチパラソル、そのシュールな画を思い浮かべ4人の家庭科部員は口を揃えて言ったのだ。

「それ、いいねぇ」

 一度タガが外れたらもう収拾はつかない。

「ニット帽だけだと地味だよね」

「明るい色にする? 赤とかピンクとか?」

「髪の毛ないからだよ、ウィッグも被せよう」

「いいねぇ!」

「ダウンジャケット作ろうよ」

「サングラスは大きめがいいよね」

 それはもうスキー場にいるギャルの姿だった。


 断っておくが、彼女たちは勝手に地蔵をギャル化したわけではない。一応、家庭科部の顧問に許可を取ってはいた。そのため事件発覚後、顧問は何をしていたのか? なぜ止めなかった? と当然のように批判が出た。

 当の顧問が何をしていたかというと、生徒たちの行いを見守りながら「今っぽくていいんじゃない」と寧ろ背中を押していたのだった。顧問の二十代女性教師は自身もギャルの格好に憧れがあったと白状している。


 翌朝、学校用務員がこの地蔵と対面する。

 すぐには理解できなかったが、しばらく呆然と眺め、これは間違いなく悪質な悪戯だと判断し、慌てて校長に連絡を入れた。

 連絡を受けた校長はこの地蔵を見るや否や「伝統ある我が校でこんな悪戯が、なんと嘆かわしい……」と膝から崩れ落ちてしまった。校長はこの高校のOGであった。

 緊急の職員会議では、この悪戯の犯人を必ず見つけ出さなければならない、必ず厳しい処罰をなどと議論は過熱。そんな中、恐る恐る手を挙げ発言を求めた家庭科部顧問は、減給やむなし、首がつながれば御の字と覚悟したという。


 なにはともあれ、散々とお𠮟りを受けながらも、なんとか悪意がないことはわかってもらえ、厳格な処分ではなく生徒にも顧問にも口頭での注意だけで留まった。


 ここまでだったら笑い話で済むのだが、ここから事態は奇妙な方向に進む。

 新聞部の行町が、この話を聞きつけ学校新聞の記事にしようと取材を進めていると、なんだか妙なことが起こっていたのだ。

 それは、地蔵ギャル化事件に関わった家庭科部の部員4人のうち2人が、同じような自転車事故を起こしているといものだった。家庭科部では、もしかすると地蔵の呪いではないかと囁かれ始めていた。

 呪い? バカな、と思う反面、学校新聞の記事には打ってつけかもしれないと行町の直感が働いた。

 すると、暫くして3人目が全く同じように自転車で事故を起こした。

 これは学校中の話題になると確信した行町は、新聞部の部室に興奮を抑えきれずやってきた、というわけだ。

「ギャル化地蔵の呪い! こんなキャッチーな見出しこれまでにないよ!」

「イケるぞ! 行町。これはスクープだ! 次号の学校新聞の一面はお前の記事で決まりだ!」

 なんとも下世話で教育現場に相応しくない会話だが、新聞部はこれに青春をかけていた。


 学校新聞の一面は概ねクラブ活動の記事になる。夏は野球部の甲子園関連の記事、秋から冬はサッカー部の選手権、ラグビー部の花園、バレー部の春高バレーと運動部の記事だらけだ。

 事故が起きた時期は、野球部の県予選の取材で忙しかった。それだけでなく高校総体へ向けた運動部の取材や、文化部も全国大会を目指す戦いが始まり、それら以外の取材はほとんど行われない。

 そういった記事を押しやって呪いのニュースを記事にするのだ。それにはそれ相応の訳があった。

 新聞部は、どうやらこれはただの呪いではないと踏んでいた。

 これは行町の助手としてつけられた新入生の見習部員、鹿賀秀喜かがひできの取材から見えてきたことだった。

 加賀はなかなかのイケメンであるが自信なさげで、成績優秀で頭は切れるがそれ故に考えすぎて優柔不断と、なんとも頼りない男だった。

「行町先輩、本当に呪いなんか信じてます?」

「あんた、バカなの? 信じるわけないじゃない」

「やはり、そうですよね。何か裏にありますよね?」

「当り前よ、それを私たちで燻り出すのよ」


 行町はその勝気な性格と嫌われることも厭わない記者魂で、取材相手の家庭科部の部員にどうも距離を取られてしまっていた。一方、鹿賀はその容姿と物静かな語り口で女子生徒の警戒心を解き、相手の懐に入り込むことができた。頼りない見習部員ながら、末恐ろしい能力を発揮していた。

 まず、ある家庭科部2年生女子生徒への取材からはこんなことがわかった。

「あなたから見て3年生の4人は、どういう人たちですか?」

「う~ん、A先輩は真面目、部長だけに頼りになるし、B先輩は優しくて成績も優秀、C先輩は美人で人気者、D先輩は面白くてムードメーカーって感じかな」

「4人の仲はどうです?」

「仲はいいでしょ? いつも4人でいるもん」

「そうか、じゃあ、何か揉め事とかは聞いたことはないですよね?」

「ないない、揉め事なんて」

 概ね見立て通りとあって、ここでは鹿賀も深く切り込まなかった。

「呪いなんだけど、信じます?」

「そんなのあるのかなぁって思うけど、A先輩が事故って次にB先輩でしょ? そしたらC先輩まで⁉ びっくりよ」

「もしかしたら、あるかもって?」

「どうだろ? 当人たちは気が気じゃないかもね」

「ありがとうございます。取材に答えてくれて」

「いいえ、みんなが知ってることしか答えてないけど」

「最後に何か気になっていることはないですか?」

「気になることか……。事故した先輩たちの怪我が少しずつ酷くなってるのは気になるかな。A先輩は田んぼに飛び込んだだけで打ち身程度。B先輩は酷い捻挫に自転車も使い物にならなくなって、C先輩に至っては骨折でついに入院でしょ。次は命を奪われるんじゃないかって。だから、D先輩はしばらく自転車通学控えるみたいよ」

 この事故の怪我の度合いがエスカレートしていることは、行町も鹿賀も気になっていた。


 1年生女子部員への取材ではこんなことがわかった。

「あんた新聞部なんだ、へぇ~」

 この1年生部員は鹿賀のクラスメイトだった。教室での席は離れているので普段取り立てて仲良くしているわけではないが、互いの存在は認識していた。

「なに? 以外?」

「いや、あんた休み時間、本ばっか読んでるでしょ? 人と会話できるの?」

「できますよ。失礼だな」

 彼女も4人の先輩に対しては似た印象を持っていた。

「何か当時のことで覚えていることない? どんな些細なことでもいいけど?」

「覚えていることね……。そういえばA先輩、事故の日、家から持ってきたごま油が通学リュックの中で零れちゃって大変なことになってたな」

「ごま油?」

「そう。その日、調理実習でね。朝から仕込みがあったのよ。それでA先輩が部室に入ってきたら、通学リュックからごま油がポタポタ零れてるのよ。リュックの底がグチョグチョになってて困ってたなぁ」

「そういった調味料は各自持参なの?」

「学校にもあるんだけど、味にこだわりたい人は家から持ってくるのよ。醤油とか出汁とかちょっといいやつを。で、自転車置き場から廊下までポタポタと跡がついちゃっててさ。みんなで拭きに行ったのよね」

「そんなことが……」

「で、帰りに事故でしょ。A先輩、踏んだり蹴ったりの一日だねって」


 行町と鹿賀は4人の周辺に取材しても、所謂醜聞が出てこないことに少し戸惑いを感じていた。2人は、何か恨みを持っている者が4人へ嫌がらせをしている、と考えていたからだ。

「こうなると、本当に呪いですかね?」

「そんなものあるわけないでしょ!」

「う~ん、お地蔵さんを大事にしていた人が4人に嫌がらせを?」

「どこにいるのよ、そんな人。用務員さん以外でお地蔵さんに花備えたり掃除したりしてる人、見たことある? あんだけショックを受けていた校長だって手を合わせてるとこ見たことないんだから」

「じゃあ、その用務員のおじさん?」

行町と鹿賀は顔を見合わせた。

「一応、取材しておく必要はあるわね」


 放課後、焼却炉にいる学校用務員に、2人はゴミを持ってきた生徒のふりで何気なく会話を試みた。

「すみませ~ん。ゴミの焼却お願いしま~す」

「は~い。どうぞ、そこ置いといて」

「ちょっと、たくさんあるんですよ。読んでもらえなかった学校新聞が」

「お、新聞部かい? 毎号楽しみにしてるよ。俺、よく読むんだ」

 学校新聞は月に2度発行している。各クラスと部室に1部ずつ配布し、職員室では教師の机に1部ずつ配布した。あとは新聞部の部室前や図書室に置いてあり、欲しい人が自由に持っていけるようにしてあった。

「本当ですか⁉ ありがとうございます。次号から用務員室にも配るようにしますね」

 行町はおしゃべり好きそうな用務員で助かったと思った。

「そうかい、ありがとう。今年は野球部どうだい? 甲子園、行けそうかい」

「行けるかもしれませんよ。エースピッチャーがいいですから。練習試合では甲子園常連校に勝ったこともあるんですよ」

「本当かい⁉ ピッチャーは確か……本田君だっけ? 大阪からうちにきてくれた子だよね」

「そうです、そうです。プロのスカウトが何人も視察に来てて、ドラフトで指名確実って言われてるんですよ」

「へぇ~、そりゃ凄いね、楽しみだ」

 野球の話で一通り盛り上がると、行町はそれとなく地蔵ギャル化事件の話を振った。

「そういうば、用務員さんが第一発見者なんですよね。お地蔵さんがギャルみたいになっちゃってたの?」

「そうそう。朝見てびっくりしたよ。でも、聞いたら悪気があってしたわけじゃないんでしょ? よかったよ、安心した。よく見りゃ、そんな悪いもんでもなかったしね」

「えっ? 悪いもんじゃない?」

「ああ、俺はね、そう思ったよ。お地蔵さんだってたまにはあんな格好してみたいだろう?」

 行町と鹿賀は用務員の思わぬ反応に驚いた。

「では、怒ってはいないんですね?」

「怒る? 何を?」

 この人の好さそうなおじさんは事件に関与していない、と2人は直感した。

 事件の取材は振出しに戻ることになる。

「やっぱり、呪いなのかなぁ」

「いやいや、先輩が弱気になってどうするんですか?」

「だって4人を恨んでる人なんてどこにもいないよ。偶然で3人も同じような事故に遭う? もうお地蔵さんが怒ってるのよ、きっと」

「う~ん、呪いですかね……。いやいや、何かありますよ、きっと。もう一度4人に話を聞くところから始めましょう」


 行町と鹿賀は再度4人への取材を試みた。といっても行町では新しい情報を引き出すのは難しい。ここは鹿賀だけで行うことにした。

 Cはまだ入院中のため、まずはA、B,Dの3人から。家庭科部の活動が終わるのを待ち、昇降口で偶然を装い声をかけた。

「あ、どうも、この前はありがとうございました。今、帰りですか?」

「あっ、新聞部のイケメン君じゃない。うん、今部活終わったとこ。そっちも?」

部長のAが愛想よく答えてくれた。

「はい、どうですか? その後、何か変わったことはありましたか?」

「変わったこと? ううん、これといって」

「そうですか。Dさんは今も自転車通学は控えてるんですか?」

「うん、親が迎えに来てくれるの。やっぱりちょっと怖いから。私、そういうの超~気にしちゃうのよ~」

 Dは自分の体を抱きしめるようにして大袈裟に震えてみせた。

「もう怖がりなんだから。呪いなんてないと思うけどね。私とAはもう自転車乗ってるのよ」

「え! そうなんですか⁉」

 Bの発言に鹿賀は一際大きな声を出して驚いた。

「そんな驚かなくても。この子は非科学的なこと大嫌いなのよ」

 Bに腕を絡ませAが笑いながら答える。

「家まで遠いのよ。自転車ないと不便でしょ」

「あはは……もう怖くはないんですね?」

 少し呆れて鹿賀は笑った。

「私たち、結構自転車乗って遠出してたのよ。事故の前も調理道具買いに隣町のショッピングモールまで自転車で行ったのよね。往復4時間もかけて!」

「だから、自転車が故障しても不思議じゃないのよ」

 相変わらず仲のいい連中だと、鹿賀は少し羨ましくそのやり取りを見ていた。

 Bの話を信じれば、彼女たちの自転車はかなりの走行距離なのだろう。もしかしたら偶然ということもあり得るのかもしれない、と鹿賀は思った。

「ねぇねぇ、あんたCのお見舞いに行ってあげてよ!」

「あ、そうそう、そうしてあげて!」

 3人は急に体温が上がったみたいに頬を染め、近所の世話好きなおばちゃんのように鹿賀の肩や腕をバシバシ叩いた。

「C、結構あんたのことかわいいねって言ってたのよ」

「はぁ、そうですか……」

「あの子、美人だし、もうじき退院だし、ね、いいでしょ?」

「よし、善は急げだ。Cにラインしとこう!」

「いや、ちょっと待ってください!」


 何がなんだかわけのわからないまま、鹿賀はCのお見舞いに行くことになってしまった。どの道もう一度話を聞く予定ではあったので構わないのだが、まさかこんな形でとは思ってもみなかった。

「お見舞い、初めてなんだよな……」

 鹿賀は菓子折りを持って能登医療センターに向かった。

「失礼します」

 緊張しながら病室に入るとCの母親が「どうぞ、どうぞ」となんだか嬉しそうに迎え入れてくれた。

「ほ、本当に来た!」

 ベッドの上でCは目を丸くして驚いている。

 菓子折りを母親に渡すと「わざわざ、いいのに」と大袈裟に驚き「じゃあ、ちょっと下の売店で飲み物でも買ってくるわね」と言って、そそくさと病室から出て行ってしまった。

「すみません、退院を待ってから取材すべきなんですが」

 鹿賀は飽くまで新聞部の取材であることを強調した。

「わ、私もラインで急に知らされて、び、びっくりしちゃって」

「ですよねぇ……かなり無理矢理でした」

「あっ、やっぱり……そうだよね」

 2人は互いを慰めるように笑い合った。

「もうじき退院なんですか?」

「うん、松葉杖つきながらだけど学校にも来週から行けそうで」

「よかった」

 それから妙な沈黙が続いた。鹿賀は、こんなときに呪いの話なんてしていいものかと悩んだ。

「えっと、取材だよね? お地蔵さんの呪いだっけ?」

 沈黙を嫌ってCから話を振ってくれた。

「はい、そうなんです。信じてます? 呪い?」

「う~ん、どうかな? 呪いって話が出たときも誰かが冗談で言い始めたことだったし……」

「Dさんは、気にしてるみたいで」

「Dが? う~ん、彼女は今幸せの真っ只中にいると思うよ」

「幸せの真っ只中?」

「気になる? 気になっちゃう? 絶対、内緒にしといてくれる?」

「内緒に? もちろん、取材源の秘匿は絶対ですから」

「実はD、彼氏ができたのよ」

「はぁ、それがなぜ内緒なんです?」

「でね、相手がなんとAの元彼なのよ」

「ええっ! そりゃまた大変な」

「そうなのよ! それでね、その相手がさ、なんと野球部の本田君なのよ」

「ええええっ!」

 野球部の本田と言えば学校一の人気者と言っても過言ではない。エースにして今年のドラフト候補、他校からもファンレターやバレンタインのチョコが届く男だ。

「私から聞いたって言っちゃダメよ!」

「エ、エ、Aさんは承知のことなんですか?」

「知るわけないじゃない。私も偶々2人がデートしてるとこに出くわしたから知ったのよ。そのときDからお願いされたの、これまでと変わらない関係でいたいからって。だから本田君もDもつき合ってることは誰にも言ってないのよ」

 なんだか呪いの話がどこかに飛んで行ってしまいそうだった。あんなに仲良く見えたのに……。鹿賀は女の恐ろしさを初めて見た気がした。


 鹿賀は取材内容を行町に伝えると彼女はニヤリと笑って「それ、たぶん家庭科部はみ~んな知ってると思うよ」としたり顔で言った。

「Cは全部しゃべっちゃってるだろうね。そのこと」

「え~、そういうもんですか?」

「そういうもんよ。AとDの関係を見て楽しんでるね、きっと。それにあの本田の彼女でしょ? ただでさえ学校中の羨望と嫉妬を一手に引き受けなきゃいけない立場よ。断言してもいいCはあっちこっちで話してるわよ」 

 鹿賀の勝手なCに対するイメージが音を立てて崩れていくようだった。美人ということもあって少し色眼鏡で彼女を見ていたか、と鹿賀は思った。冷静に考えてみれば新聞部の人間にあれだけ色々と話すのだ、おしゃべりに決まっていた。

「やっぱり面白くなってきた! こりゃ呪いじゃない可能性が出てきたよ!」

「え? なんでです?」

「あんたバカね。よく考えなさい。あとは自転車事故がどうやって……。待って、確かAの事故の前……。編集長! 誰か自転車に詳しい人、知らない?」

「自転車? 自転車部の部長はクラスメイトだが」

「取材させて!」


 鹿賀は行町に連れられ自転車部の部室を訪ねた。

「新聞部の行町と言います。すみません、急な取材の申し込みで」

「いいさ、その代わり次の学校新聞で自転車部の記事を大きく扱ってくれよ」

「はい、任せてください」

 明らかな安請け合いだが、行町は気にせず話を続けた。

「それで自転車のブレーキなんですが、利かなくなる一番の原因ってなんですかね?」

「一般的にはパッドのすり減りかな」

 自転車部部長は、一般的な自転車を用意し説明してくれた。

「ブレーキはハブ、リム、ディスクの3種類が主なもの。最近の一般的な自転車の前輪はリムが主流で後輪はハブが主流。リムはパッドがすり減るとブレーキが利かなくなる」

 この説明で鹿賀はピンときた。

「やっぱり、走行距離が延びるとパッドがすり減りブレーキが利かなくなるわけだから、行町先輩、これ偶然の可能性もありますよ!」

「まぁ、待ちなさい。こっちのハブブレーキが利かなくなるとしたら、何が考えられます?」

「経年劣化以外だと誤ったメンテナンスかな、ハブは軸にゴムが巻きつくことでブレーキをかけている。素人のメンテナンスミスでよくあるんだ、ほら、ここに赤字で書いてあるだろ、注油禁止って」

 その文字を読んで、行町と鹿賀は顔を見合わせ「まさか!」と叫んだ。

「で、最後ディスクなんだけど……って、おい!」

「ありがとうございます!」

「次号の記事楽しみにしてください!」

 行町と鹿賀はそう叫びながら、呼びかける自転車部部長を尻目に走り去っていった。


 それはCの事故から丁度ひと月が経った日だった。

 5時限目の自転車置き場。

 1人の少女がDの自転車の前にいた。

 この日、Dは久しぶりに自転車で通学していた。新聞部の2人、行町と鹿賀に自転車で通学してほしいと頼まれて。

 少女がポケットから何かを取り出し、座り込む。そして、ハブブレーキのあたりに手を伸ばした。

「待って!」

 突然、少女の背後から大声が飛んだ。

 驚いた少女は手に持っていたものを落としてしまった。

 それは、ごま油の瓶だった。

「やっぱり、あなただったのね」

 行町が素早くごま油の瓶を拾い上げた。

「やるとしたら、自転車置き場に一番人のいない時間、授業中だろうなって思ってたわ」

 少女はゆくりと立ち上がり、行町の方を振り向いた。

「今日は一時間目から交代で新聞部が見張ってたのよ。申し訳ないけど、スマホで決定的瞬間を撮影させてもらったから」

 行町はスマホの動画を再生させ少女に見せた。

「そう、取られてしまったら仕方ないわね」

 観念したようにそう言った少女は、Aだった。


 Aの事故は偶然のものだった。リュックから零れ落ちたごま油が、たまたまハブブレーキに付着し、ブレーキが利かなくなった。Aはハブブレーキが油で利かなくなることを知り、一連の犯行を思いついた。まずBの自転車で実際に同じような事故が起こせるかを確かめた。次にCの自転車でどのくらいの油の量でさらに酷い事故にできるかを調べた。

 そして、一番の標的Dの自転車で犯行は完結するはずだった。

誤算は、地蔵の呪いなどと騒がれDが自転車通学を控えてしまったことと、その騒ぎを新聞部が記事にしようとしたことだろう。

「みんなが陰で私をバカにしてるのが許せなかったわ。何より、私から本田君を奪ったDが一番許せなかった」

 Aは、問い詰める行町にそれだけを語った。


「トイレに行くと言って授業を抜け出してたようね。本田から野球に集中したいと別れ話が出て、それなら仕方ないと思ったみたいだけど、実はDとつき合うためだったとわかってね……」

 鹿賀は、行町からAの犯行の一部始終を聞き言葉を失った。

「本田も最低な男ですね」

「そう? 男と女なんてそんなもんじゃない? Dとの交際を秘密にしてたのはせめてもの優しさだと思うよ」


 夏、本田の活躍もあり野球部は県予選決勝まで勝ち上がる。

 延長までもつれた好ゲームとなったが、残念ながら能登大学付属高校は甲子園を逃す結果となった。

 サヨナラヒットを許した本田はマウンドで崩れ落ち、いつまでも立ち上がることができずにいた。

 その日は奇しくも補導されたAの退学処分が決まった日でもあった。

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