焼き場の順番を待っているうちに、わたしと母は揃って父から離れる隙があった。というより、喪主の母が死人のための手続きで忙しいのは当然として、わたしでさえも、急な忌引きのための仕事の連絡やらに追われてほとんど棺のそばを離れていた。薄情だろうか。しかし、結局、父の死を悼むために集まってくれた人は一人もおらず、わたしと母とて義務感で手続きを行なっているのだから、棺に縋りついて泣きわめく、というのもふさわしくない。


 気づいたのは母が先だった。


 父の固く組み合わされた両手に、いつのまにか、一本の花が握らされていた。桔梗だ。紫色をした星形の花びらがみずみずしく広がっている。それは父の手が旅の目的地であるかのように、しっくり馴染んで寄り添っていた。


「誰か来たのかしら」


 母が首を傾げる。桔梗に触れようとして、躊躇って手を引っ込めた。わたしの横に並び、棺全体を眺める。わたしも母にならって棺に納められた父を視線でたどった。桔梗と寄り添った父は、それでやっと彼自身に戻れたように、落ち着いて見えた。


 佑彰さんだ、と理屈も何もなく直感した。


 彼のほかにはいるまい。今や父は、弔うべき亡骸の静謐さを備えている。さっきまでの人形じみた空虚さはどこにもなかった。

 葬場の職員がやって来て、父を燃やす順番が回ってきたと告げる。わたしと母は棺から離れ、父が運ばれていくのを待つ。何もかも炎の中に消えるだろう。それで良い。

 父を納めた棺は炉の中に吸い込まれていき、やがて見えなくなった。

 

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父の愛人という男 香月文香 @kozukiayaka

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