0.永遠の階(きざはし)をのぼる【ひと】

 ※ ※ ※


 どうやら、夜が明けたらしい。

 今更ながらに気づいたのは、命からがら地下から這い出した少し後のことだった。


「まったくもってひどい目に合った……。まさか、外に続く地下道が水で沈んでいるとは……」


 私は顔をしかめながら近くの岩に腰を下ろした。周りに視線を向ければ、少し離れたところに御者と別れた崖が見えた。どうやらそこまで大冒険だったわけでもないらしい。そう考えるとなんとなく納得がいかなくて、眉間にしわが寄ってくるのを感じる。


「結局、写真機も見つからなかったしな……。あれ、高かったんだぞ。私の給料の半年分! どこに行った!」

「いや、自分にそう言われましても」


 自暴自棄になって両手を振り上げる私に、困惑した視線が注がれている。おかしなことをしているのは言われなくてもわかっているんだ。だが、自腹で買った給料半年分の写真機が消えた事実に、私の心はねじが外れてしまったようだった。


「まったく、ふざけるのもいい加減にしてくれ。え? 命があっただけましだろうって? いやいや、実際問題、写真機がなければここに何をしに来たのか全く分からないだろう? うん? ここであったことは原稿に起こせばいいだろうって? 馬鹿野郎、あの編集長が裏付けもないネタを採用するわけないだろうが!」

「あの、さっきから誰としゃべって……」

「うるさい放っておいてくれ。自分でもおかしいのはとっくにわかってるんだ」

「はあ」


 黒い外套の下から、紫の瞳がきょとんと見つめてくる。いや、そんなに澄んだ目を向けないでもらいたい。頼むから。


「……グレインさん」

「うん? どうした」

「あなたの心残りは、少しでも軽くなりましたか」


 真面目な問いかけに私は、軽く頬をかいた。爆心地で目にしたもののことは、すべて覚えている。残されていたオーリの想いや願い。そして、託されたもののこと。全部、はっきりと思い出せるからこそ、私はすぐに答えを返せなかった。


「どうだろうな。もしかするとより重くなった気もする。だが、大丈夫だ。オーリにも最後、頼まれたしな」

「そうですか……」

「それで? お前はどうするんだ? 『墓守』……いや、【オリオール】と呼ぶべきか?」


 呼びかけられて、『墓守』――【オリオール】は、戸惑うように眉を下げた。

 この青年はもしかしなくとも、オーリが約束したという『神なるもの』かその断片だ。オーリが消えても、『神なるもの』を地上に縛り付ける力は残り続ける。ゆえにこの青年もまた、命ある限り高みに戻ることはできないのだ。


「どうする、と言われると……全く想像が尽きません。自分はずっとここで、彼らを弔い続けるのだと思っていましたから」

「だが、彼らは遠くへと行ったんだろう? お前が成すべきと定めたことは終わったんだ。もう自分の意志でどこへ行くのか決めていいんだぞ」

「自分の意志で、どこへ行くか」


 【オリオール】は迷うように視線をさまよわせ、じっと遠くを見つめた。澄んだ瞳にはこの世界がどう映っているのだろう。朝焼けを飛ぶ白い鳥を目で追った私は、何者にも汚されぬまなざしに気づき、苦い思いに囚われた。


 人によって高みから降ろされ、人間によって利用された『神なるもの』。彼は果たして、人間を憎まずに生き続けられるのか。その結末はどこにも記されていない。けれど、せめてその命の果てが幸せなものであってほしい。


「じゃあ、自分は……辺境領ヘーデに行ってみたいです。オーリの心には、いつもその場所の名があったから」


 【オリオール】は笑う。どれほどの暗闇あろうとも、光は消えない。生きとし生けるものよ幸いであれ。そう祝福するかのような微笑みに、私はにっこりと笑い返した。


「ヘーデは遠いぞ。お前、金は持ってるのか?」

「お、お金はあまりありませんが……こういうものを拾いました。もしかしていくらかで売れるでしょうか」

「どれどれ……。……って、ああああっ! 私の写真機!」

「え?」



 命に終わりはあれども、『神なるもの』が記す物語に限りはない。

 旅せよ人よ。めぐる季節の果てに、いつかまた、あなたと出会える。


 ――了

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オリオールの帰郷 雨色銀水 @gin-Syu

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