6.【オリオール】の手のひらで、物語は閉じられる

 ――

 ――――


「オーリ」


 闇の中で呼びかけると、小さな光の粒が降り注いだ。降り積もる雪よりもなお白い輝きは、下に落ちることなく周囲を漂う。まるで待っていたとでもいうかのように、私が伸ばした手の向こうで静かに舞い散っていく。


 これが『神なるもの』の力の一端だというのなら、この輝きの中にオーリは溶けているのだろう。かつて、私を拒絶し去っていた弟は、私の声を聞き届けてくれるだろうか。こんな形であっても再会したいと願うこと自体、私のエゴなのだとわかってはいたけれども。


「オーリ。やっと、お前を迎えに来ることができたよ。十年もの時間が過ぎてしまったが、ようやくお前の足跡に追いついたんだ。どうか、一度だけでいい。姿を見せてくれ。……私に……『僕』に……少しでも思いを残してくれているなら」


 呼ぶ声は虚空に溶け、暗闇には静寂だけが残された。返らない言葉に唇を噛みしめても、その程度の痛みでは感情を上書きできない。やはりオーリは、引き留めることさえしなかった私を見限っているのだろう。何も知らなかった『僕』の言葉が、幼かったオーリにどんな失望を与えたか……。想像すれぼするほど、私の罪深さを思い知ることになる。


「私はずっと、思い違いをしていたんだ。あの時……お前がなぜ、両親の形をしたモノを壊したのか。あれはすべて、本当に何も知らずにいた『僕』を守るためだったんだな」


 何もかもあとで知らされたことだが、あの異形たちは『僕』の知らぬうちに、人間を使って実験を繰り返していたらしい。家族と暮らしていたあの家の、使われていなかった離れ。そこにあった血や実験の痕跡を目にして、『僕』はやっと、オーリの身に何が降りかかっていたのかを理解した。


 十年前のあの日以前から、オーリは両親がすでに別のモノに成り変わられていることに気づいていた。そして、やつらはそんなオーリを実験の材料として……。本来ならば『僕』も実験材料とされていたはずだと、当時事件を調査していた記者から聞いた時、オーリは本当の意味で『僕』を守ってくれたのだとわかってしまった。


 心を蹂躙されるほどの苦痛から『僕』を遠ざけるために、オーリは両親であったモノを壊した。


 なのに『僕』は、そんなオーリを信じず――結局、たった独りで逝かせてしまった。


「私を許さなくてもいい。理解を望んだり、想いを押し付けたりしない。だから、頼む……教えてくれ。お前はどんな気持ちで最期を迎えたんだ? 少しでも、自分で納得できる道にたどり着けたのか……?」


 これはエゴ。取り戻せない時間を埋め合わせることなど、誰にもできはしない。その証拠として、オーリからの返答はない。ただ音もなく光が舞い散り、遠くへと離れて行くだけだ。


 ――ああ、本当に私は愚かで、どうしようもないほど許しがたい。


 光の群れが消えてしまう。輝きはまた一つ、ひとつと闇へと溶けて行く。とどめようと伸ばした手のひらの中には、かけらの一つも残らない。飛び去っていく光たちを追いかけても、私の元には何も戻らなかった。


「……オーリ、ごめんな。振り返ったとしても、お前は二度と、『僕』の方を見ないだろうけど」


 最後に、たった一粒の光だけが残された。周囲を照らす力もない、そばを漂うだけの頼りない輝き。強い光の中では白さに紛れ、闇の内にあっては存在に気づかれることもない。そんなささやかな光だけが、私の傍らに寄り添っている。


「……オーリ?」


 指先を伸ばせば、光はゆっくりと近づいてくる。そばにいることを確かめるように舞った輝きは、触れようとすると静かに遠ざかってしまう。しかしそれだけだ。逃げ去ることもなく、何も語ることなく、ただ、そばにいる。


「そうか、お前はとっくの昔に」

 ――私を探し出して、戻ってきていたんだな。


 ――

 ――――


 おれは、許されないことをしました。


 父と母を殺し、兄を深く傷つけ……たった独り責任を負うことすらせず、すべてを投げ出して逃げ出したのです。


 この記録が兄に届くことはないでしょう。だからこれは、おれのエゴ。誰にも届かない遺言として、【光冠】に刻んでおきます。



 父と母をあんな風にした元凶は、これから起動させる【光冠】でした。

『神なるもの』を降ろすことで力を得るこの装置によって、父母には実験的に神にあらざるモノが付与されていました。それらは人に強力な魔力を与える代わりに、自らのしもべとして二人を変異させてしまったのです。その事実を知ったのは、おれがミストリア王国軍の魔法実験に参加した時でした。


 ミストリア王国軍に魔法士として潜り込んだおれが、復讐のために【光冠】を使おうとしていると、これを読んだ人は思うかもしれない。


 だけど、それは半分正解で半分間違いです。おれの最終目的は【光冠】の破壊ですが、ミストリアに復讐したいわけでありません。ただ、【光冠】に宿る『神なるもの』と約束したんです。あなたを兵器として利用させることはしない。正しい在り方に戻すと――。


 もう、おれにはあまり時間が残されていないようです。【光冠】に接続された以上、どちらにせよここから動くこともできないのですが。


 ヴァルザインの『雷霆』が投下されれば、このあたり一帯だけでなくミストリア全体が焦土と化すでしょう。【光冠】となったおれにできるのは、魔力によって威力を減衰させることだけです。それによって周囲は吹き飛ぶかもしれませんが、すべてを失うよりはいくらかましな結果になると思います。


 ……そろそろ、時間のようです。これよりおれの意識は『神なるもの』と一体となり、完全なる【光冠】となる。


 願わくば、おれの命が跡形もなく燃え尽きんことを。

 


 ……今まで奪ってきたものに対してそれで帳尻が合うとは思わないけれど、それくらいしか支払える対価がないんだ。


 だからどうか、【オリオール】。おれの記憶も心もすべて、どこかへ消し去ってくれ。二度と目覚めない暗闇の底に溶けさせて、永遠に明けない夜の内へと閉じ込めてほしい。何もかも本当に終わらせられるなら、おれはもう、誰にも振り返られなくていいから。


 少し、疲れたな……。そろそろ、眠ってもいいか……。


 きっと夢は見ないだろうけど、最期に思い出せる記憶が故郷のものであればいい。緑の梢に芽吹いた、白い花のつぼみ。優しく降る雨の下で手を振る父さんや母さんの姿――。


 ……ああ、そうか。おれはただ、戻りたかったのか。


 自分で壊した世界がこれほど大切だったなんて。今になって気付くなんて。兄さん、ごめん。


 全部おれのせいだ……ごめんな、さい……。




「いいんだよ、オーリ。もう、苦しまなくていい。全部、わかったから」

 光は震え、輝きを失おうとする。本当なら肩を抱いて「よく頑張ったな」と言ってやりたかった。だが、その程度のことも叶わない。


 どうして、生きているうちに探し出してやれなかったんだろう。後悔しても取り戻すことのできない苦しみに胸が引き裂かれそうだ。オーリは背負わなくてもいい過酷な運命の元で、必死に耐え続けていたというのに。


「見つけてやれなくて、すまなかった。あの時、せめてお前を信じてやれれば良かったのに」


 光を追っても、指先すらも触れられない。薄れていく。遠ざかっていく。永遠の向こう側へと、手の届かない穏やかな闇の奥へと。


「オーリ……! 行くな。いかないでくれ! 私はまだ、お前に何も返すことができていない! お前が私にしてくれたことの百分の一も、報いることができていないのに……」



 ……いいんだ、兄さん。

 ここに来てくれただけでおれは十分だ。だけど、おれのことは忘れていい。苦しみや悲しみは、おれが一緒に貰っていく。


「だめだ……お前はまた、そんな風に一人で背負い込むつもりなのか……!」


 違う、違うんだ。おれがここにいる限り、他の人たちもどこにも行けない。


 【光冠】に取り込まれた命を解放するためには、どちらにせよ、おれが消えなくてはならない。それが実験の完成体として【光冠】に接続されたおれが、しなきゃならないことなんだ。だから兄さん、最期にお願いをしてもいいかな。


「最期だなんて……そんな風に言うなよ」



 お願いだ。おれのかけらは消えてしまう。でも、降ろされた『神なるもの』はまだここに残り続けている。


 兄さん、頼む。【オリオール】のそばにいてやってくれ。せめてあいつが、自らの足でこの場から立ち去れるまで。



 光は薄れ、形も捉えられない。薄れゆく暗闇とともに、気配は消えていく。そばにあったはずの温度はもともと何もなかったかのように、冷たい手触りの闇と同じになる。きっと、オーリは二度と戻っては来ない。これが本当の意味での終わりで、替えのきかない最後の別れなのだ。



 時間だ。もう行かないと。

 何も残せなかった人生だけど、最期に兄さんが振り返ってくれて嬉しかったよ。

 また、どこかで。さようなら……兄さん。



「ああ、またどこかで会えるまで、お前の願いは『僕』が叶えてやる! 次会う時は覚悟しろ! 利子たっぷり取り立ててやる!」


 小さな輝きは驚いたように一度だけ強く輝き、優しい光で私を照らし出す。私はそこに向かって声を張り上げ、精いっぱいの笑顔で手を振った。


「オーリ、ありがとう……! お前が弟で本当に嬉しかったよ」


 ――……。

 こちらこそ。



 そして、私は独り温かな暗闇に取り残される。

 何者にも妨げられない眠りに似た静けさの中、私は何も言わず、両手で顔を覆った。


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