クリスマスローズ。

首領・アリマジュタローネ

クリスマスローズ。


 今の家を売り払って一緒に住みたいと母が言ったので、夫と共に実家へと訪れた。


 何年も掃除されていなかったのか、自室の暖房を付けると喉がイガイガした。


 空気が乾燥している。

 仕方なく、窓を開く。


 タンスの中には小学生の頃に使っていたランドセルとおどうぐばこが入っていた。

 ホコリは被っていなくて、綺麗に残っている。


 懐かしい気持ちに浸りながらも、ゴミ袋の中に詰め込んでゆく。


 学習机の三番目の引き出しを開くと、中学の頃の卒業アルバムを発見した。

 ふと、掃除する手が止まる。



 ……ああ、この写真懐かしい。若いなー私。そうそう文化祭でKPOPを踊ったんだよね。クラスTシャツを作ったのに男子にデザインの文句を言われて、カナが拗ねていたっけ。修学旅行のとき、絶叫マシンに乗ったら、隣の喋ったことない男子に手を握られて、それが気持ち悪くて叫んだっけ。ああでもその男子は本当にビビっていたみたいで、そのこと全然覚えてなかったんだよなー。で、その男子と卒業直前まで付き合うことになるなんて、人生って本当にわかんないもんだよね。この時のトン汁美味しかったな。うわー、みんなで看板に色を塗ったときだ。すのこを運んだりしたのが大変で筋肉痛になったのを覚えてる。これは花にハマっていたとき。ボランティアでよくお花を植えたりしたなぁ。でも誰かが花壇にガムを捨てたりしてすごく悲しい気持ちになったの覚えてる。なんであんなことするんだろう。お水をやって、育てて、花が咲いたときはすごく嬉しかったな。地域のおじいちゃんやおばあちゃんたちと一緒に写真を撮ったよね。それで将来は花屋になろうって決めて……あれ?



 アルバムの一番後ろのページに何かが挟まっていた。

 見覚えのない便箋に押し花が貼られている。



「……クリスマスローズ?」



 私が一番好きな花だった。



 当時付き合っていた彼氏からプレゼントされたものだろうか。

 ……いや、彼はそんなことをするほどマメなタイプじゃなかった。

 バレンタインデーに他校の女子と手を繋いでいたのを私に発見されたとき「これは妹だから!」とか変な言い訳をしたようなクズだったし。

 二年付き合って誕生日すらも覚えていないようなヤツだった。

 でもそんな天然なところを可愛いと感じるくらいには好きだった。

 だから別れを告げた後はちゃんと泣いた。

 初めて本気になった恋だった。

 あんな結末で終わるなんて嫌だった。

 自暴自棄になったりもした。



 いつの間にか遠い思い出になってしまったけれど。



 便箋を開くも、中身は入っていなかった。

 差出人の名前すらもなかった。


 一体、誰にどういう理由でもらったんだろう。

 ダメだ、全く思い出せない。

 恋文だとしても中身を捨てるなんてことはしないハズ。




『……りっちゃん、クリスマスローズが綺麗だよ』




 あれ……? いや、一人いた。

 もう顔も名前も覚えていないけれど、失恋した私に寄り添ってくれた男の子がいた。



 確かクリスマスローズの花言葉はーー。




   【 私を忘れないで。 】



 

 急いで中学のアルバムをめくって、クラスの集合写真から顔を探していくが、思い当たる人物がいなかった。他のクラスにもいない。となると、他学校の生徒か同じ塾に通っていた人だろうか。


 なんの気無しに小学校のアルバムを開くと「あ!」と声が出た。

 そうだ、小学校と中学校が同じだったんだ。

 でも、彼は中学を卒業できなかった。

 途中で辞めてしまったから。



「思い出した……。佐野川さのかわくんだ」



 佐野川さのかわ 大夢ひろむ

 義務教育期間を同じ学校で過ごした地元の同級生。


 彼は──だった。


 ※ ※ ※


 ある朝、登校したとき机の上に花瓶が置いてあった。

 私は意味がわからなくて泣いてしまった。

 担任の先生に報告したら、学級会がおこなわれて、佐野川くんが真っ先に疑われた。

 彼は優しい男の子で、日直じゃないのに先生のために黒板を消していたりもしたし、どうぶつがかりもしていた。

 「くさい」「くさい」って誰もやりたがらないうさぎのうーちゃんの世話をしていたのが、佐野川くんだった。だから誰よりも早く登校していた。


 佐野川くんはみんなの前で立たされた。



「佐野川くんがこれを置いたの?」


「うんっ!」


赤桐あかぎりさんに謝りなさい」


「えっ」


「謝りなさい」



 佐野川くんは自分がした行いの意味に気付いていないようで、目を丸くしていた。

 クラスのリーダーである本田くんが「早くあやまれよ!」と丸めたプリントを佐野川くんにぶつけた。


 佐野川くんは目を赤くして



「ごめんなさいっ……」



 と頭を下げた。



 ※ ※ ※


 あるとき、佐野川くんはクラス全員の前でパンツをずらされていた。

 それを男子全員に回されて「くさいくさい!」と笑われた。

 パンツは窓から外に投げられていた。



「とくべつ学級クラスにいけよ!」



 うーちゃんの世話をしていた佐野川くんに本田くんはうんちを食べさせていた。

 佐野川くんは抵抗していたけど、結局食べさせられた。 



「りっちゃんにあやまったのか?」


「はんせいのいしが見えないんだよ」


「靴なめてゆるしをこえよ」


「はだかになって、土下座しろ」



 私が「やめて」と止めても彼らは聞かなかった。

 佐野川くんは私の前で裸にされて、土下座させられた。頭から水をかけられていた。

 机の上には花瓶とお皿にグラウンドの砂を盛って山にして、そこにお箸を刺して「さのかわのお墓」が作られていた。


 私はもう彼と関わりたくなかった。


 ※ ※ ※


 佐野川くんと同じ中学に入って、最初は違うクラスだったので関わりはなかったけれど、二年生から同じクラスになった。

 その頃にはいじめはなくなっていたけど、彼はいつも一人だった。

 友達はいないようで、本ばかり読んでいた。

 思春期なこともあり、顔はニキビだらけで、髪もフケまみれで、正直女子からも避けられていた。



「佐野川ってなんなの?」


「えっ、なにが?」


「いや、なんかあいつキモいなと思って」



 ジェットコースターで手を繋いだことがキッカケで当時付き合っていた彼氏が佐野川くんの話をしたのは、ただ一度それだけであった。

 彼氏は別に佐野川くんと関わっていたわけでもなかったし、誰も佐野川くんの話をしていなかったので、そんなことを言う人と思えなくてショックだった。

 このくらいからすれ違いが多くなっていた気がする。


 あるとき、私がボランティアで地域清掃に参加したとき、偶然、佐野川くんと同じグループになった。



「ぼくのこと覚えてる?」


「……えっ、佐野川くんだよね? 久しぶり」


「うん、そうだよ。りっちゃんはまだお花が好き?」



 言われてる意味がわからなかった。

 下の名前で呼んでくるのもキモいし、本当に関わりたくなかった。

 でも彼はニコニコしていた。

 それが逆に気味が悪かった。



「す、好きだけど……なんで?」


「べつにー。これ綺麗だよ。クリスマスローズっていうんだ」


「そ、そうなんだ」


「りっちゃんはよくお花のお世話をしてたよね。ぼく見てたんだよ!」



 中学生にもなってあまりにも幼児のような喋り方をする彼が怖かった。

 まるで私のせいでぼくはいじめられた!と言わんばかりの態度に、私はとても怖くなった。

 ごめんなさい、と言いたくなった。


 でも違った。


 今になってようやく分かったけれど、私は小学生の頃、しょくぶつがかりだったのだ。


 彼はそれを見ていた。

 だからお花が好きな私のために、のだ。


 りっちゃんと呼ぶのも、クラスのみんながそう呼んでいたからで、私の苗字すらも覚えていなかったのだろう。

 彼は変人だが、悪人ではなかった。

 そのことを当時の私は認識できていなかった。


 それが彼なりのアプローチだったということも。


 ※ ※ ※


 

「妹のわけないじゃん!うそつき!!」


「ほ、本当なんだって……!信じてくれよぉ!」


「あんたなんて大嫌い!!言っておくけど、キモいのはお前のほうだから!!」


「えっ、なにが……??」



 彼と別れて私は泣いた。

 初めての恋で、初めての失恋だった。

 身体も捧げたし、心まで虜だったから、本当にショックだった。

 彼のことを否定したら、今まで自分が好きだった彼のことも否定しているようで、そんな己が許せなかった。ずっと仲良くしていたかった。

 でもそれは叶わぬ夢だった。



「……ぐすっ……」


「りっちゃん、どうしたの?」



 図書室で泣いていたら、男の子の声がした。

 顔をあげるとそこには佐野川くんがいた。

 イケメンに励まされたかったのにがっかりだった。



「……見てわからないの? 泣いてるの」


「わかんない」


「あんたって変なの。」


「よくいわれる」


「あっちいって」


「わかった」



 机に突っ伏したまま、乱暴にそう言うと音が遠くのほうに向かった。

 私が顔をあげると、図書室の隅の方でじっとしている佐野川くんが、心配そうにこっちを見ていた。

 私は「……なに?」と睨んだ。

 失恋直後の私は荒れていて、自暴自棄気味だった。



「泣いちゃいそう」


「……なんで佐野川くんが泣くの?」


「だって……りっちゃんが悲しそうな顔をしているからっ……ぼくも悲しくなる」


「こっちきなさい。そっちだと寒いでしょ」



 それからというもの、佐野川くんは犬のように懐いてきた。

 「学校では話しかけないで」と言うと、佐野川くんは言う通りにした。

 ボランティア活動のときにはよく私に花の話をしてくれた。

 将来の夢は「花屋さん」と小学生の頃に言っていたことを佐野川くんはよく覚えていた。



「あんた将来どうするの? このままだと留年しちゃうよ」


「りゅうねんって?」


「……もういいっ」



 河川敷で夕焼けを見ていた。

 佐野川くんは四葉のクローバーを集めているみたいだった。これで押し花を作り、本の栞にするらしい。



「私、東京の高校にいくの。こんな土地もういや」


「お花屋さんになるの?」


「……それはまだ考え中」


「りっちゃんならきっと良いお花屋さんになれるよ!」



 彼はニコニコと笑いながら「はなかんむりをつくったげる」と言っていた。

 恥ずかしかったので「いらない」と断った。

 でも一緒に帰った。


 ※ ※ ※


「佐野川くんと付き合ってるの?」


 友達のカナにそう言われたのをきっかけに、佐野川くんを無視するようにした。

 自分の記憶から彼を完全に消した。

 彼は私に避けられていることに気付いていないようで、何度も何度も何度も何度も近付いてきたけど、一度も返事はしなかった。


 放課後、一人で帰っていると佐野川くんがついてきた。

 まるでストーカーのようでキモかった。

 私自身も受験勉強で忙しいのに、こいつは呑気に生活しているのが許せなかった。



「……どうしてそんなに付きまとうの? あっちいってよ」


「わかった」



 言うと佐野川くんはあっちにいってくれる。

 でも、やっぱり遠くのほうで心配そうにこっちを眺めている。



「なんなの、私をそんなに苦しめたい?」


「えっ?」


「……私のせいじゃないじゃん。いじめられたのは自分のせいだよ。佐野川くんが変だからみんなから嫌われて、避けられているんだよ。私に近付いてこないでよっ。私はいじめられたくないの!私はふつうに生きたいの!私は佐野川くんと同じじゃない!」


「……どういうこと? よくわかんない」


「なんでわかんないの!! あんた頭おかしいんじゃない!?」


「……うん、おかしいみたい。お母さんにもよくそれで怒られるの」



 私は若かった。だから彼がASDーーアスペルガーという発達障害を抱えていることを知らずにいた。自分が興味があることに異常に執着するのも、会話や勉強についていけないのも、それが原因だった。



「あんたなんて大嫌い!! あんたのことなんて、どうだっていい!! 野垂れ死ねばいいのよ!! もう関わらないでよ、鬱陶しい!!もう私のいないどこかに消えて!!!!」



 自分でも最低だったと思う。

 自暴自棄だった。最悪の記憶だ。もう思い出したくない。だから全部忘れてしまっていた。


 佐野川くんは悲しそうな顔をして、カバンをコソコソと開いた。



「……りっちゃん、クリスマスローズが綺麗だよ」



 そう言って手紙の入った便箋を手渡してきた。

 私は気付いていなかったが、もうすぐ誕生日だったのだ。彼はそのために準備をしてくれていた。



「だから? ……クリスマスローズなんて大嫌い」



 私は彼の目の前でその手紙を読まずに破った。

 でも便箋だけはカバンの中に入れっぱなしにしていたのだった。



 そして彼は消えた。私の前から消えた。



 ──あれから15年が経過した。



 ※ ※ ※


 便箋をゴミ袋に入れて、窓の外を眺めた。


 数年ぶりに訪れた地元は全然綺麗と思えなかった。

 吐きそうになるくらいの冷気を浴びながら、窓を閉める。

 喉はまだイガイガした。


 東京で過ごすうちに、街の流れに乗って、佐野川くんのことを次第に思い出さなくなった。

 罪悪感というものを手放して、勉学と仕事に打ち込んだ。

 お花とは何も関係のないベンチャー企業に数年勤めて、今の夫と出会った。

 


「──俺と結婚してくれ」



 二年前、プロポーズを受けて、苗字が変わった。

 もう私はあの頃の“りっちゃん”ではなくなった。


 私たちの間にはなかなか子供はできなかった。

 家庭を持つということは責任を持つということで、中学生のときのような純粋な気持ちで成り立つほど甘い世界ではなかった。


 そして、父が死んだ。

 家を売り払うことにした。しばらく見ないうちに母はすっかり元気をなくしていた。

 寂しさからか「一緒に住みたい」と言ってきた。

 私たち夫婦の間には子供はいなかったので、二つ返事で了承した。



『結婚した〜!!(涙) やっとだよーーーー!!』



 先日、友達のカナからそんな連絡が来た。

 私はホッとした。なかなか彼氏がプロポーズしてくれないと愚痴っていた彼女も、ようやく既婚者の仲間入りらしい。

 


「そういや、りつ」


「もうりつじゃありません」


「あーそうでしたそうでした」



 地元に帰ったついでにカナと飲んだ。

 彼女はお酒が弱いのか、すぐに顔を赤くしていた。



「あのクズいたじゃん」


「えっ……誰のこと?」


「あんたと付き合ってたあのクズ」


「ああ……妹って嘘ついた」


「そうそうw あいつまた離婚したんだってー。クズだよねー。なんか借金あったらしい」


「さいってー」



 懐かしい話に花を咲かせた。

 どんどんお酒が進んでゆく。



「付き合ってたっていえば、もう一人仲良くしていた男の子いなかったっけ?」


「えっ……?」


「名前なんだったかなぁ。ちょっと変だった子」


「そんな人いたかなぁ……?」



 私はとぼけた。

 心の中に罪悪の華が咲いてゆく。



「いた気がしたけど……ま、いっか!」


「過去のことは忘れて今をたのしも〜。結婚おめでとう〜!」


「ありがとう〜(涙)」



 カナは旦那さんに迎えに来てもらっていた。

 身長が高くて、笑顔の素敵な良い人だった。


 ※ ※ ※


 何も変わらず、日常は過ぎてゆく。

 今年で私は30歳になった。

 もう随分と大人になってしまった。


 佐野川くんのことを思い出すのはやめた。

 きっと心が苦しくなるから。

 だから私はそっと記憶の底に眠らせる。

 二度と思い出すことはないように。




   【 私を忘れないで。 】




 だが、イバラはずっと刺さったままだ。

 この棘はいつになったら抜けることができるのだろうか。



 ×××


 クリスマスは終わり、年末年始も過ぎ去った。

 冬が終わり、春が始まりを告げる。

 だが、心は晴れなかった。


 15年も経ってしまった。

 目は悪くなり、体力は落ちていく最中、ようやく子供を授かった。

 産まれるのは来年になる。

 私たちは良い家族になれるだろうか。


 数年前、新型ウイルスがこの国を襲った。

 コロナはみんなの生活を変えた。

 数年で世界が変わったようだった。


 ロシアはウクライナに戦争を仕掛けて、今日もまた一人死者を出している。

 前大統領は狙撃され、宗教団体との繋がりがリークされ、政治家の裏金問題が騒がれた。

 芸能界も性加害問題がニュースの一面を飾った。

 正月早々に地震が発生した。



 現代は【新たな戦前】と呼ばれている。



 近頃は嫌なニュースばかりだ。

 本当に心が苦しい。学生の頃に戻りたいと思う気持ちがある反面、だけどやっぱり戻りたくない。


 純粋な気持ちを持っていたあの頃のバカな私は幸せものだ。

 年齢を重ねれば重ねるだけ、見えてくる世界が変わってゆき、どんどん現実に失望するようになる。


 私はこの子供をちゃんと育てられるのだろうか。

 子供にきちんとした未来を見せられるのだろうか。


 世の中に希望を持って、と優しく背中を押してあげられるのだろうか。




  『りっちゃんはまだお花が好き?』




 彼に謝罪をしたい。

 私は過去と向き合うことを決めた。






 色々なツテを使って、現在の彼のことを知るために、ネットを渡り歩いた。

 そしてようやく佐野川くんのアカウントを発見した。




 だが、もうあの頃の彼はそこにはいなかった。







『二毛作すぎる』


『文春信者必死過ぎて草生える』


『ま〜んさん(笑)に騙された松本人志可哀想すぎる』


『女さんってなんでこんなお花畑脳なん……?笑 ホテルにのこのこついていくとかアホすぎる笑笑』


『文春うぜぇwwwとっとと潰れろ!ま、ガキとマ◯コ向けのクソ番組しか放送しないテレビなんて終わってくれてもいいが』


『岸田のアホはいつ辞めんの? まず息子どうにかしろや、増税クソメガネ』


『自民の裏金パーティーしてた政治家どもをさっさと死刑にしろ。てか、いい加減、山上は釈放でいいだろ』


『>>この女さんキモすぎるな。とっとと死ね』


『【悲報】ワイ、ケーキ三等分にできない模様』




『あ〜女さんマジでキモいわ。自分のこと特別な存在か何かって勘違いしてるんだろうな笑』




 ーー私はそっとXを閉じた。



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