幽霊アパートに泊まろう
アパートに幽霊が出るんだ、と先輩はうんざりした顔で溜息を吐いた。
へー幽霊って今時でもやっぱ黒髪白ワンピなんスか。奢ってもらったうどんを啜りながら聞く。
「知るかよ。毎晩毎晩、人が寝てるところに伸し掛かってきやがって。おかげで寝不足だ」
それって金縛りってやつすか。無言でうなずく先輩の目の下には、くっきりと隈が浮かんでいた。
「夜中になると、部屋の隅から引きずるような音がしてきてな。湿ってて生臭い何かが伸し掛かってくるんだよ。そういうのが分かるくらい頭は冴えてるのに、身体は動かなくて本当にキモい」
そりゃ大変っすねえ。最後に残しておいた一口ぶんの揚げを口に放り込み、汁まできれいに飲み干す。
「なあ、ところでそのうどん、美味かったか?」
俺が食べ終えたちょうどのタイミングで、にっこりと先輩が笑う。えぐいレートの賭け徹マン飲み会に誘ってきた時と、そっくりおんなじ笑顔だった。
「今夜、うちに泊まれよ」
まじすか。
税込みたった二百五十円のきつねうどん一杯で、俺は幽霊が出るアパートの宿泊体験をするはめになったのだった。
じゃ、俺は友達のとこに泊まるから、と先輩は俺ひとりを置いてさっさと出ていってしまった。
腹が立ったので冷蔵庫のチューハイやらアイスやら、勝手にしこたま飲み食いしてやった。ざまーみろ。
適当にシャワーを浴びたら、あとはすることが無くなって、しぶしぶ煙草くさい布団に潜り込む。
半端に酒を入れたせいですぐに眠気はやってきて、ふわ、と口から大あくびが飛び出したのは覚えているが、そこを境に、記憶はぷっつりと途絶えた。
ずるっ。
濡れた何かが床を這う音で目が覚めた。
ずるっ。ずるっ。ずるっ。
気味の悪い音が更に聞こえて来て、一気に目覚める。
本当に出るじゃん、おばけ…。
背中がぞくぞくする。意識ははっきりしているのに、先輩が言っていたとおり、ちっとも体は動かない。なのに音はどんどん近付いてきて、爪先のあたりに重みを感じる。
怖い。
おばけは、小さい四つん這いのなにかのようだった。生臭い匂いが鼻について、思わず血まみれの赤ちゃんを想像してしまって、すぐに後悔した。
ずるっずるっずるっずるっ…。
そうしている間にも、何かはどんどん上に、俺の顔に向かって這ってきて、ついには天井しか見えなかった視界に、ぬうっと小さな影が頭を覗かせる。
「……うわっ」
『それ』と目があって、思わず声が出た。びくっと肩を揺らすと、声と動きに驚いたらしい『それ』は、まるで煙みたいにたちどころに消えてしまった。
たぶん、びっくりして逃げたのだろう。
興奮冷めやらぬまま起き上がって、急いで先輩へ電話する。
何回かのコールのあと、思いっきり酔っぱらっているらしい先輩が『もしもしぃ?』と陽気な声を出した。
……絶対信じてもらえないだろうが、見たものを、ありのままに、真実を伝えなくてははならない。
意を決して唇を開く。
「先輩。先輩んちに出る幽霊、ウミガメでした」
ゆるふわ怪談 森城芹 @oishiiyakifish
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