二幕

南雲「いや、それは——」


興邦「何とも蠱惑的こわくてきじゃあないか。やはり君、死ぬのなど止して——」


南雲「それは、僕の師匠ですよ」


興邦「この人が?てっきり、もっと年配だと——これは、若い頃の写真かい?」


南雲「いいえ。亡くなる少し前に撮ったものです。齢六十は越えているはずなんですがね。最後の最後まで若々しかった」


興邦「そいつは凄い。まるで、人魚の肉を食べた八尾比丘尼やおびくにだ。まあ、その手の話は君の方が詳しいだろうが——もう少し早く知り合えていれば、私の研究の糸口になったかもしれないな」


南雲「しかし、死んだ。不老かどうかはいざ知らず、少なくとも不死ではありませんでした。その目は、もう永久に眠っている。その口が、僕の名前を呼んだんです。それが最後でした。その手が僕の手を握ったんです。僕の名前を呼びながら、両手で、僕の手を握りしめるんです。その力が——力が、段々と——」


 写真を受け取り、眺める南雲。


南雲「僕はこう見えて、人一倍、物事を考えるたちなんです。この決心をするには、それだけの理由があるんです」


興邦「……なるほど。確かに君に取っちゃ、生きてることは無意味らしい。そこへ行くと、僕なんかはまだ、問題はこれからなんだ。つまり、僕は、同僚の死の責任を取らないといけないが——唯一の問題は許嫁だ」


南雲「あなた、さっきはきっぱり振ったと——」


興邦「確かに振りました。こんな姿ですからね。しかし、自分の存在が、相手の幸福を妨げるという考え——これは自分がそう思つても、相手はそう思っていないかも知れない。(ポケツトから一通の手紙を取り出し)。彼女から届いた手紙の内の一通です——まあ、読んで御覧なさい」


南雲「ええと……(それを受け取る。開いて読もうとするが、よく見えない)」


興邦「(手紙を見ずに)『お手紙拝見いたしました。なぜそんなことを仰るんですか?』」


南雲「暗記してるんですか?」


興邦「僕はセンチメンタルなことは嫌いな男ですがね。その手紙は暗記しています。続けます。『あなたが留学している間、そして戦争が始まって研究所へ行って以降、わたくしは、あなたの御写真を一度も見ませんでした。それは、物を言わない影、心に触れられない姿が、どんなにつまらないものかということを知っていたからです。たとえ容姿が醜く変わりはてようと』——いいですか、これ、私の身に起きたことを知らずに書いてるんですよ——『あなたの姿が私にとって大切なものであるとすれば、それはただ、あなたの心がそこにあるという目印としてなのです』——どうです!?」


南雲「実に感心な方ですね、その方は。しかしどんなものですかね。そいつをそのまま受け取るのは」


興邦「え?」


南雲「聞いていても胸がつまる。それだけ、その手紙の一句一句には苦しい努力が隠されている。あなたとしては、やっぱりその方を自由にしてあげる義務がありますね」


興邦「いや、あの」


南雲「なるほど、ようやくわかりました——あなたは生きてちゃあいけない!」


興邦「ま、まあ、聞き給えよ。死ねるものなら、とっくに死んでいるさ。しかし、この体はなかなかに厄介でね。怪我を負っても、すぐに回復してしまうんだ」


南雲「するとあなたは、不死の肉体になってしまった、という訳ですか?」


興邦「はからずもね。自殺なら、既に様々な方法を試した。しかし、そのたびに失敗した。もはや、線路に飛び込むくらいしないと死ねないと思ったんだ」


南雲「では、どうして飛び込まないんです?」


興邦「それだって、確実に死ねるとは限らないだろう!?バラバラになった肉片が、少しずつ地を這って集まって、また融合してしまうかもしれない。いや、それならまだいい。それぞれの肉片から、異なる私が再生される可能性だって——」


南雲「やってみないとわからないでしょう?」


興邦「簡単に言ってくれるね、君。不死といっても痛覚はあるんだ。僕はね、死ぬのは構わない。しかし、無駄に苦しむのは御免だ。その点、君が羨ましいよ。死のうと思えば、いつでも死ねる」


南雲「え?」


興邦「むしろ、君が今日まで生き延びてこれたのが不思議なくらいだ。なんなら、僕が見届け役になってあげましょうか?」


南雲「いやいや、見届け役というなら、僕の方が——」


興邦「まあそう、遠慮せずに——」


 警笛。電車がやってきて、二人の目の前で止まる。


興邦「……止まりましたね」


南雲「止まりました」


興邦「駅は、まだ少し先なのに」


南雲「そういえば、こんな噂もありました。このどこにも行きつかない路線を走る列車に乗ると、そのままあの世へ連れていかれてしまうと。あるいは、『連れて行ってくれる』と言うべきかもしれませんがね」


興邦「随分と、いろいろな噂がある場所だ……何か、乗っていますね」


南雲「ええ。揺らめく影のようなものが、沢山」


興邦「……君は、どうするんです?」


南雲「あなたこそ、どうするんです?なんなら、一緒に乗りますか?」


興邦「それは構いませんがね。しかし、やはり君は考え直したらどうです?」


南雲「あなたこそ。なんなら、家まで着いていってあげましょうか?」


 沈黙。


興邦「(溜息)こうなると命なんていうものは、誰のもんだかわからなくなるね」


南雲「人のものでないことは確かですね」


興邦「(自嘲気味に笑って)確かですか、それが。(手紙を広げ)しかし僕はもはや、自分で生き方を選べない。僕は——僕は——」


南雲「なるほど——今度こそ、あなたのことがわかりました」


興邦「また軽々しく、そんな言葉を……まあ聞いてあげましょう。何がわかったというんです?」


南雲「その前に、幾つか説明しなければならない。まずは一つ目。確かに幽霊や妖怪と呼ばれる者達は存在します。しかし、それはあなたが思っているようなものではありません」


興邦「では、一体何です?」


南雲「言うなれば、噂話が広く信じられることで顕在化する、情報の集合体です。師匠は〝あやかし〟と呼んでいた——あなたが働いていた、百八機関ひゃくはちきかんでもね」


興邦「き、君——なぜ、その名前を!?」


南雲「僕の師匠も戦時中、そこでの研究に関わっていましてね。さて、二つ目ですが。先ほどあなたの睨んだ通り——僕はここに、死にに来たわけではない。あなたを探しに来たのです。とある人に頼まれてね」


興邦「い、一体、誰に?」


南雲「それは言えません。そういう約束なので」


興邦「そ、そうか——わかったぞ!研究所に居た、誰かだな!?僕を捕まえて、実験動物にしようっていうんだろう!?誰の差し金だ!?御堂みどう教授か!?」


南雲「志田さん——」


興邦「ま、まさか—— 百目鬼どうめきか!?嫌だ——あ、あの女だけは——」


南雲「志田さん、落ち着いてください」


興邦「近寄るなあっ!」


 興邦、南雲の首を絞める。呻く南雲。

 その時、ボウ、と炎の燃える音。


興邦「熱っ!?」


 興邦、手を離す。咳き込む南雲。

 興邦の背後に、着物を着た女の幽霊、千代ちよが現れる。響き渡る千代の笑い声。


千代「どうやら学士がくし様は、荒事あらごとには向いていないようですね」


興邦「(周囲を見渡し)だ、誰だ!?」


千代「人の首とは——こうやって絞めるのです」


 千代、背後から興邦の首を絞める。

 呻く興邦。ゴキッと、骨の折れる音。興邦、倒れる。


南雲「千代さん!」


千代「あら——すいません、つい」


南雲「ついじゃありませんよ!殺してしまったら、元も子も——」


 興邦、呻きながら立ち上がる。首を両手で掴み、元に戻す興邦。再びゴキッという音。


興邦「貴様——死んだらどうする!?」


千代「生きてました」


南雲「不死の体だというのは本当のようですね。良かった」


興邦「何が良かっただ!殺してやる……殺してやるぞ……!」


千代「怒らせてしまったようですね。炎で燃やし尽くしましょうか?」


南雲「ひょっとしたら効くかもしれませんが——効いたら効いたで、死なれちゃ困る」


千代「難儀ですねえ」


興邦「何をごちゃごちゃと——お前、『燃え盛る洋館の幽霊』だな?化け物には化け物をだ——見ろ、この呪われた体を!」


 興邦、右手の手袋を取る。しかし、興邦の掲げた右手は、まるっきり普通の手である。


興邦「どうだ、腕から生える、伸縮自在なこの触手——あまりのおぞましさに、声も出ないか!?」


南雲「なるほど。あなたには、自分の腕がそのように見えているのですね……ところで志田さん、話の続きですがね。先刻も言った通り、あやかしというのは噂話から生まれる。どこそこの屋敷に幽霊が出るだとか、どこそこの山に天狗が出るだとか、或いは——人体実験に失敗した科学者が、不死の肉体になってしまった、だとかね」


興邦「何?」


南雲「あなたと話をしてみて、ほっとしました。化学や黒魔術は専門外だが、どうやらこれは、僕の領分だ」


興邦「何が言いたい!?」


南雲「僕の依頼主は熱心な方でね。手を尽くして、あなたのことを調べたらしい。百八機関の関係者まで探し当てて」


興邦「それがどうした!」


 触手が伸びる音。見えない触手が、南雲に巻き付く。

 千代、手をかざす。ボウ、という音と共に、炎が一瞬、興邦の体を焼く。

 興邦、悲鳴をあげ転げまわる。


南雲「……はっきり言いましょう。あなたの同僚は確かに死んだ。しかし、黒魔術で体が爆ぜたのではありません。原因は、機械の故障による火事です」


興邦「……火事?」


南雲「はい。同僚はその際、何とか研究資料を持ち出そうとしていたあなたをかばい、崩れた天井に押しつぶされて死んだ。あなたは重傷を負ったものの、彼のおかげで何とか助かった」


興邦「う、嘘だ……」


南雲「あなたは自責の念に苛まれた。一方、一部の職員達の間では、こんな噂が流れた。『功を焦った志田興邦は、留学先の独逸で手に入れた黒魔術の書に手を出し、同僚を死なせた挙句、不死の化け物になってしまった』——そんな、カストリ雑誌の三文記事のような物語」


興邦「嘘だ……」


南雲「自分は生きていてはいけない。しかし、死にたくはない。死なないでいる理由が欲しい——そうしてあなたは、自ら〝物語〟に呑まれた」


興邦「嘘だ!」


 興邦、触手で襲い掛かる。

 しかしその時には、南雲は包帯をほどき終えている。

 腕には経文さながらにびっしりと書き込まれた文字。手にはあかで「怪」の一文字。掌には同じく紅で、目を模した文様が描かれている。

 腕を振り、触手を弾く南雲。


南雲「霧が濃くてよかった。触手の動きが目でわかる」


興邦「ぐ、ぐう……」


南雲「その体も、最初は本当に醜く変容していたのでしょう。いわば、あなた自身があやかしとなっていた訳だ。しかし、時間と共に噂は廃れる。今となっては、その姿がおぞましく見えるのはあなただけ。先ほど折れた首を治せたのも奇跡だ。いや——それこそが生への執着の証か」


興邦「馬鹿にするな!」


 興邦、触手を伸ばす。その触手を掴む南雲。


南雲「力が弱まっていますね——非力な僕でも、この通り(腕を引く)」


興邦「うおおっ!」


 興邦、よろめき、倒れる。触手を離し、興邦に近づく南雲。


南雲「もうやめましょう、志田さん」


興邦「く、くそう……騙されないぞ……(立ち上がり)口先だけで世の中を渡る怪談師風情ふぜいが……お前なんかに、俺の何が——」


南雲「門倉かどくら美代子みよこ


興邦「——え?」


南雲「僕の依頼人は、あなたの許嫁です」


興邦「は?」


 南雲、右の掌を、興邦の顔面に突き付ける。

 そのまま仮面を剥ぎような仕草をする南雲。

 べりべり、という音。興邦、憑き物が落ちたように、その場に膝をつく。


南雲「解体完了です」


 興邦、呆然としつつ自分の手を見る。そして、慌てて包帯を外す。傷一つない、普通の男の顔が露わになる。

 自らの顔に震える手をあて、異常がないことを確かめる興邦。


興邦「お……おお……僕の……僕の、顔……」


南雲「まあ、放っておいてもいずれは元に戻ったでしょうがね。そうとは知らず、うっかり自殺に成功してしまう可能性もある。少々、荒療治をさせて頂きました」


興邦「彼女が……美代子さんが、あなたに依頼を……?」


南雲「ええ。あなたの呪いを解いてくれ、とね」


興邦「彼女は、知っていたのですか?私の、変わり果てた姿のことを?」


南雲「あなたは戦後、故郷へ帰らず行方不明になった。彼女はあなたの身を案じ、人を雇って、ずっと行方を探させていたのです。それほど裕福というわけでもないのに——まったく、感心な人だ」


興邦「ええ……彼女は、そういう人です……」


南雲「ところがいざ出向いてみると、あなたは再び行方不明となっていた。おまけにこの辺りには、死に魅了された人間の迷い込む、おかしな駅の噂があるときたものだ。幸い僕は、幽霊やらあの世やらを飯のタネにする怪談師——まあ、条件を満たしていると言えなくもない」


興邦「行方不明……僕はもう、どれくらいこの場所に?」


南雲「三日です。どうやらこの場所は、時間の流れが普通とは違うようだ」


興邦「三日間も……そうか……そうだった……身投げをしようとしていたら、霧が立ち込めて……」


南雲「しかし困った。僕としたことが、うっかり依頼人の名前をこぼしてしまうとは——ついつい口が滑りました。これじゃあ謝礼を受け取るわけにはいかないなあ」


興邦「彼女は、どうして自分のことを秘密に?」


南雲「あなたに例の手紙を送ってすぐ、彼女は空襲で、ひどい火傷を負いましてね」


興邦「火傷!?」


南雲「ええ。一命は取りとめましたが、顔にはケロイド状の痕が残った。『とてもあなたに合わせる顔がない』と言っていましたよ」


興邦「馬鹿な——何を、馬鹿なことを——私が——私が、そんなことを気にするわけ——嗚呼——(泣き崩れる)」


南雲「……見てください、霧が晴れ始めた。帰りましょう。このままでは浦島太郎だ」


興邦「しかし、彼は——同僚は、私のせいで——」


南雲「あなたは、僕なんかよりよっぽど物事を考えるたちのようだ。生きて償う方法を、その秀でた頭で考えるべきでしょう。それに、僕もこう見えて、センチメンタルなことは嫌いな男ですがね——先ほどの言葉は、彼女に直接言ってあげるべきだと思いますよ」


興邦「鶴泉さん……ありがとう……」


 興邦、深々と一礼し、その場を去っていく。


千代「口が滑った、ですか——ふふ」


南雲「何か?」


千代「いえ、何でも。しかし、今回もまた只働きですねえ」


南雲「そうでもありませんよ。どうやら、この周辺一帯がまるまるあやかしらしい。ふとした瞬間に迷い込む不可思議な駅——思わず誰かに語りたくなる、実に魅力的なモチイフだ。次々と噂が足され、派生していくのも納得です。今後も時代と共に形を変えつつ、長く親しまれる怪談となるかもしれない」


千代「そういえば、そこの駅には看板がありませんでしたね。何か、耳に馴染む駅名が欲しいところ。是非とも素敵な名前をつけてくださいな。私に、千代という名を与えてくれたように」


南雲「そうですね……」


 その時、風が吹く。


千代「また一段と寒くなってきましたね。行きましょう、鶴泉さん。風邪をひいてしまいますよ」


南雲「二月…… 如月きさらぎ……」


千代「え?」


南雲「節分の時期ということもあり、鬼という字は〝きさらぎ〟とも読む。そして鬼とは元来、死者の霊を意味する言葉。決めましたよ、千代さん。駅の名前は——」


女の声「南雲……」


 南雲、押し黙る。


千代「鶴泉さん?どうかしました?」


南雲「……すいません。志田さんのことをお願いしてもいいですか。霧が晴れたとはいえ、夜道は危険だ」


千代「それは、構いませんが……」


南雲「大丈夫、僕もすぐに行きますので」


千代「わかりました……お気をつけて」


 千代、去る。


女の声「南雲……南雲……」


南雲「師匠……」


女の声「行かないでおくれ、南雲……お前も早く、この電車に……」


南雲「師匠。霊魂というものが実在するのか、僕には本当のところはわかりません。しかし、たとえ本物のあなたがそう望もうと、僕はまだ、そちらへは行けない。兄様がなぜあんなことをしたのか、真実を知るまでは。そして、その罪を償わせるまでは。それにね——僕にも弟子ができたんです。おかしいでしょう、この僕にですよ?まあ、弟子というか、妹弟子というか、いろいろと複雑なんですがね。とにかく、彼女が僕の帰りを待っている」


 南雲、頭を下げる。


南雲「すいません、師匠。たとえ幻だろうと……久々に声が聞けてよかった」


 警笛。電車が走り出す。走り去る電車を目で追う南雲。


南雲「もしも、あの世というものがあるのなら——いずれ、また会いましょう」


 南雲、電車とは反対に歩き出す。  


 舞台の幕が、ゆっくりと下りていく——……









※この物語は、岸田國士の戯曲「命を弄ぶ男ふたり」にオマージュを捧げています     

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弄談~いのちであそびて~ 阿炎快空 @aja915

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