終章

「二十三時か…」


 布団の上、ぬるま湯のような熱帯夜に耐えながら僕は呟いた。

 網戸の先では暑さに耐えかねたせみがシャワシャワと悲鳴を上げている。それに紛れて、僕は父さんが起きないようにそーっと玄関へ向かった。

 静かに玄関を開け、夜の空を見上げる。


 今日も暑いな。


 僕は空を見上げながら歩みを進めた。瞬間――バッ! と僕は右足を上げる。案の定、そこには裏返った蝉が居た。足を広げているので、生きている。

 これもう、ほぼ当たり屋みたいなもんじゃないのか? 蝉。


 僕は改めて空を見上げる。


「…行くか」――雨夜あめよさんに会いに。



 ※



 家近くの公園のベンチには、いつも通りの雨夜さんが居た。ベンチの背面にだらしな~く、もたれかかっている。というか、寝ている。


「起きてください、雨夜さん」

「んぁ?」


 僕の呼びかけに気がついたのか、雨夜さんは眠りから覚めて、僕の方を向いた。ミディアムの黒髪がさらさらと揺れて、彼女はくまの出来たその顔を覗かせる。


「や、よーくん」


 引きこもり大学生のお姉さん、廣井ひろい雨夜あめよと僕、不登校中学生の春瀬はるせ陽一よういち


 社会不適合な僕らの、喋るだけの日課は相も変わらず続いている。


「…んね、あの……私たちさ、付き合ってるんだよね?」

「まだですよ」


 ぶん、と雨夜さんはすごい勢いで僕の方を向いた。


「え、付き合ってないの?! ベロチューしたのに?!」

「僕にもプライドってもんがあるんですよ。付き合うなら、ちゃんと告白してからです」

「あ、そゆことね」


 僕は彼女の手を握る、それに、彼女も握り返してくれた。雨夜さんは緊張しているのか、ぷるぷると手を震わせている。その震えが、とても愛おしい。

 深呼吸をする。何回も、何回も。そして、肺いっぱいに空気を吸い込み、その胸の内を、僕は言い放った。


「雨夜さん、僕と一緒に、現実から逃げてくれますか?」


「…何それ」

 お気に召さなかったのだろうか。

「現実からの駆け落ち、ってやつです」

「違う。そうじゃない」

「じゃあ、なんなんですか」


 彼女はぎゅ、と僕の手を握りしめる。絶対に離してやらないとでもいうように。




「最っ高の口説き文句じゃん」




【了】

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僕らの駆け落ちはリアルから。 廿樂綴 @pamumon

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