第三章 再会

 あれから二日、深夜一時のコンビニで、僕は廣井さんと再会した。

 その硝子細工こころは、割れたままだ。


「よ――いや、春瀬くん」

 もうあのあだ名で、呼んではくれない。

「き、奇遇だね…」

「廣井さん…」


 他人に対するような声色に、僕の心臓がぐっと締め付けられる――顔は見れないけど、きっと廣井さんは、僕を軽蔑するような表情をしているだろう。

 彼女の手元を見る。買い物かごには、彼女が「辛い過去を思い出すから、本気で現実逃避したいときにしか使わない」と言っていた缶ビールが、大量に積まれていた――それを使いたくなるまで、僕は彼女を傷つけてしまったのか。


「やっぱり、怖いの?」


 無言。身震いして、まともに答えられない。


「…ごめんね。怖がらせて」


 無言。勇気を出すんだ。僕。このままでいいのか?


「もう、行くね」


 ぎゅう、と、僕は彼女の左腕を掴んだ。

 勇気を振り絞った僕に出来たのは、彼女を引き留めることだけだった。


「どうしたの?」


 上手く力の入らない身体を何とか動かして、行かないで、と首を横に振る。


「…私んち、すぐそこなんだ」



 ※



「汚くてごめんね」


 彼女が言う割には、部屋は汚くなかった。更に言えば、ぬいぐるみなどが置いてあって可愛かった――意外だ、あの廣井さんが…。

 僕は平屋に住んでいるからか、彼女の1LDKの部屋は少し狭く思えた。必然的に彼女との距離が近くなって、僕の鼓動が早くなる。

 横長のソファーに座った。僕は左の端に、彼女はその反対に。


「…春瀬くんは、私が怖いんじゃなかったの?」

「こ、怖く、ないです…嘘です。怖い、です」

 僕は一生懸命に発音する。

「廣井さんを、傷つけ、るのが、怖いです」

 自分のクズさに、僕は思わず笑ってしまう。

「はは、何、言ってんだろ…それも結局、独りよがりな考え方で、現実逃避してるだけなのに、」


 ――本当は廣井さん大切な人を傷つけることで、自分が傷つくのが、怖いだけなのに。


「廣井さん、好きです。だから、もう僕には――」

「よーくんは私のこと、どれくらい好き?」

 え?

「…あなたの為には死ねませんが、心中できるくらいには」

 というか今、あだ名で…。

「よーくん、目、瞑って?」


 僕は言われた通り、目を閉じた。



 ※



 私はよーくんに恋をしている。

 相手は中学生だって? 仕方ないじゃん、人を傷つける私にとって、彼は唯一、心で触れ合える人なんだから。無人島で二人っきりの男女みたいなもんだよ。


 私は臆病者だった。嫌われたくなかった。傷つけたくなかった。

 だから、ちゃんと告白しないで、現実逃避を言い訳に恋仲になろうとした。


 だってもし、告白をして、相手から拒否されてしまったら? その告白が相手を傷つけたら? 昔の私もそうだった。またやってしまうかもしれない。この関係が壊れてしまうかもしれない。そう考えると、怖くて怖くてたまらなかった。


 そんなこと出来やしないのに、次に行こうとしながら、現状維持望んだ――その甘さが多分、彼を傷つけたのだろう。


 でも、よーくんは違った。怖かったはずなのに勇気を出して、好きだと、私に告白してくれた。その胸の内を明かしてくれた。


 ならば私も、それに応えなければならない。

 彼を傷つけたままには、しておけない。


「よーくん、目、瞑って?」



 ※



 唇と唇が触れ合う。舌が入る。心と心が嵌まりあう。

 キスが、心身ともに熱を帯びさせる。

 割れた硝子細工こころが二つ、嵌まりあって、どろどろに溶け合って、融合する。




 僕は廣井さんを傷つけた。いや、これからもきっと、傷つける。


 そうだね、君は私を傷つけた。でも私も君を傷つけた。傷つけあう。きっと、それが人間なんだ。


 そんなの嫌だよ。そんな現実。


 じゃあ、逃げよっか。


 逃げてもいいの?


 いいよ。


 触れ合ってもいいの?


 いいよ。


 嵌まりあっていても、いいの?


 いいよ。


 だからもう、私から逃げないで。さびしいから。


 …うん。


 約束ね。あとで、指切りね。


 うん。



 ※



「ぷはぁ」


 彼女との唇の間に、唾液の線が出来て、すぐに切れた。顔が熱い、心臓もバクバク鳴っている。息も若干、荒くなっている。


「…んで、どう?」

「え?」

 彼女はいつもの、にへら顔で言った。

「キスの味」


 初めてのキスはレモンの味とよく聞くが、そんなもんじゃないな。

 だって廣井さんとのキスは甘くて、優しくて、ほろ苦い…煙草の――




「現実逃避の味がした」

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