第22話 罪深きフレンチトースト

 フレンチトースト。

 タマゴと牛乳を入れて、硬いパンにつけて焼く。古くからある技法だ。異世界でも普通にあった。こっちでも古いパンやダメになったパンという言い回しをする。違いがあるとするならケチらずバターを使って焼くことだ。

 じゅーっと焼ける音と匂いは幸せを運んでくれる。


 ただ、今の心境は幸せとは言い難い。


「……どうしよ」


 私は部屋のソファへ視線を向ける。

 夕方にシェフがやってきたのだ。ちょっと手が空いた隙だったので、休憩がてら部屋で話そうと案内したところで、弟子が呼びに来た。ちょっと面倒な来客があったのだ。太客だけど、気難しい、弟子が苦手なお客である。悪い人ではないんだけどね……というところだ。

 それの対応して戻ってきたら、シェフ、寝てた。ソファで爆睡。無防備すぎる。

 疲れてたんだろうなと思うと起こすのも悪い気がして、そのままにしてお店に戻った。1時間くらいで戻るつもりが、3時間経過。閉店作業は任せて、戻ってきてもまだ寝てた。最初座っていたのが横になっていたので、一度は目が覚めたのかもしれないが。


 人の家でそんな寝れるものだろうか? と思いつつ、こんな機会ないなと寝顔観賞までしてしまった。

 まじまじと見ると確かに若いなこの人という気付きがあった。貫禄があるのは雰囲気とかそういうやつである。

 そこまでしてもまだ寝てるのだからよほど疲れているんだろう。


 仕方ないので起きるまで待とうと思ったんだけど……。

 外はもう暗いのに起きる気配がない。声かけて揺すったら手をぎゅっと握られるし……。そこから数十分放してくれなかった。


 お腹もすいてきたので家にあるものをさがした結果、フレンチトーストである。

 おいしい匂いなら起きるかなとおもったのだが、やはり無理っぽい。なんか、薬でも盛ったかな、私。徳用品のお茶しか出してないんだけど。


「起きてください。ライオットさん」


「ん」


 返事はあるんだ。全く動かないけど。


「全く、油断してるったら」


 襲っちゃうぞ。

 ……まあ、そこまで踏ん切りはつかないので、起きないかなと顔を覗き込むくらいだ。ああ、なんか、クマあるじゃん。お疲れだわ。

 明日、ようやく婚約のお披露目の夜会だし。最初は国内の主要貴族を呼ぶ簡単な夜会のはずが、他国からの来賓も来るようなものに化けたらしい。

 それに合わせて日程も変更し、中身も変わって、手配する食事なども全部再検討となっていたそうだ。

 私はほとんど関係なかったので、そのあたりの詳細は知らない。

 シェフにとってはバタバタな2か月だっただろう。

 まだ本番が残っているが、準備のほうが大変だったに違いない。


「お疲れさまでした」


 眠っているから、頭を撫でても無問題。と思ったんだけど、なで、くらいで手首掴まれた。


「……あれ?」


 掴んだ当人が困惑した声を出している。これは寝ぼけたかなんかかな。

 思ったより至近距離。

 まじまじと見られた。


「疲れてんのかな」


「でしょうね」


 返事をしたら困惑から驚きに変わった。慌てたように身を起こし、え、え?と言いたげにあたりを見回していた。

 動揺にもほどがないだろうか。


「ソファで寝ちゃって起こしても起きないから、困りましたよ」


「そ、それは悪かった」


「お疲れでしょうけど、家のベッドのほうが快適だと思うので家でゆっくりお休みください」


「ああ、そうする」


 ものすごく慌てたように立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする。動揺にも(以下略)

 私はシェフをとめた。


「待ってください。用件、聞いてません」


「あ」


 完全に抜け落ちていたらしい。


「お腹すいたので、食事が先でいいですか?」


「ああ」


 シェフは落ち着かなげに食卓に座っている。よほどの失態と思っているらしく、何度も謝罪されてしまった。今まで一度もなかったことと言っていたので、その点は自分でも不思議らしい。


「それで、用件はなんだったんですか?」


 食事もほどほどに進んだころに切り出した。


「旅に出なければならなくなった」


「旅行、ですか?」


 意外な用件だった。立場的に旅行なんて行きそうにないからである。王族の誰かが外交とかで長旅なら付いていくのもあり得そうだけど、そういう噂も聞いていない。

 意外と弟子たちがそういう貴族の噂なんかを仕入れてきたりしてくるから、色々事情通になりつつあるんだけど。


「甥の付き添いでな。先月あたりから打診があったんだ。断ってはいたが、どうしてもと言われて断り切れずいくことになった」


 シェフは渋い顔してる。眉間のしわ、マシマシ。

 嫌々行くというのがはっきりわかる。それでも断れないということも。実家との付き合いというのがやっぱりあるのだろうか。本家のほうが強制力を持って何か言ってくる系だと親戚付き合い大変そうだなとぼんやり考えて、小さく頭を振った。

 気が早い。ものすごく、早い。

 そもそも、それ以前の状況であるのに。


「ええといつから?」


 気を取り直して予定を確認する。さすがに旅行というのはすぐに行くものではない。


「明後日」


「急すぎません!?」


「俺も出立日を聞いたのは一昨日だ。必要なものは相手が揃えてくれる予定だが、確認もしなければならないし……」


 かなり憂鬱そうだ。

 面倒だから嫌というのではなく、明確に嫌な理由とかありそうである。


「明日はほとんど副料理長に任せて、出立の準備をしなければならなくなった。君との約束も守れそうにない」


「あ、そうでしたね」


「行くつもりはあったんだが、申し訳ない」


「仕方ないですよ。また今度来てください」


 というよりほかにない。

 本人が気が進まない用事で出かけるのがわかっているから。


「あ、なんか、お菓子持って行きます? 用意しておきますよ」


「時間外に仕事させて悪いけど日持ちしそうなものをいくつか買って帰るよ」


「ありがとうございます。

 ちょっとサービスしときます」


 ちゃんと買っていくつもりがあるのが、シェフのいいところだ。

 夜も遅いということで、食事も終わって早々にシェフは帰ることになった。もちろん、店で色々お買い上げしてもらった。

 購入品の倍くらい入れておいたけど、大丈夫だろうか。まあ、甥っ子さんが甘いものを好きであることを願おう。


「旅の安全を祈ってます」


 そういって見送る。なんだかこう、切なくなってくるな。

 こういうとき用にお守りでも購入しておけばよかった。さすがにどこか旅に出るとか想定してなかったんだ。いつでも城にいると思っていたから。

 そこにいる安心感あった。


 しばらく、いないのだ。

 それもいつまで、とは言わなかった。さすがに数か月とかないよね!? 異世界の旅行、すっごい移動時間かかるけど、もうちょっと短いよね!?

 確認しておけばよかった。痛恨のミスである。

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召喚されて三年、聖女に気に入られ無茶振りの結果、店と弟子を持つことになりました。 あかね @akane_haku

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