第6章 禊ノ時
「お忙しいところ、申し訳ございません。宜しくお願いします」
桧山は四方達に深々と頭を下げた。
陽花里達が加わる事と、彼の妻からも鴨川に依頼があった事は桧山に伝えており、本人から了承を得ている。
桧山の隣で、彼と共に深々と頭を下げる長髪の女性の姿があった。
彼の妻だ。目鼻立ちの整った温和な面立ちには、苦悩と心労の翳りが深い影を落としている。
彼女に抱きかかえられるようにして、ワンピース姿のポニーテールの少女が佇んでいる。
依頼人の長女だった。目に生気は無く、顔にも感情の色が全く宿っていない。
その姉に寄り添うようにして、デニムのミニスカートを履いた少女が不安げに四方達を見つめている。
画像に姉と緒に写っていた、彼女の妹だった。少し栗色かかった髪が、夕陽の残照を受け、艶やかに輝いている。
「姉がおかしくなってから、この子、人が変わったように頑張る様になったんです。今まで勉強や御手伝いもしなかった子が・・・お姉ちゃんは私が守るって」
桧山の妻が仄かに笑みを浮かべた。
「そうなんだ・・・じゃあ、しっかりお姉さんの手を握ってあげててください」
四方が次女に優しく微笑み掛けた。
「では、そろそろ始めますから、皆さんは我々の後ろに下がっていて下さい」
四方は、静かに息を吐くと、対岸の神社を見つめた。
彼らは今、神社側とは反対の河岸に立っている。四方を中心に、両隣りに鴨川と陽花里が立ち、桧山の隣に宇古陀が、次女の隣につぐみが立つ布陣だ。
奴が現れると同時に、神社側と対岸で結界を張り、逃げ道を塞いだ上で滅する作戦なのだ。
神社の拝殿から、太鼓の音が響き渡る。
奴が現れる時合が訪れた合図――いよいよだ。
不意に、川の中程で異変が生じた。それは霊的に敏感なものでなくても感じられる程の、妙な違和感だった。
空気が淀んでいるのだ。
川面をそよぐ風の流れに反して、それは蟠踞し続けている。
四方が左右の二人に目配せをする。
同時に、二人は柏手を一つ打った。
抜けるような心地よい響きの波動が空間を震わせる。
結界を張ったのだ。
その波動に触れ、湖面に蠢く怪異が可視化されていく。
川面を、無数の「顔」が流れて行く。眼は黒く、肌は血の気の失せ、ぽっかりと開いた口は何かをぶつぶつ呟いている。
桧山の撮った画像に写っていた「欲望」だった。
その「欲望」を掬い上げては貪り食う巨大な黒い影が、川の中程に浮かんでいた。
二階建ての家位の体躯は真っ黒な毛で覆われ、筋肉が異常な盛り上がりを見せている。節くれだった指の先には、剃刀の様な鋭い爪が生え、逃げようとする「欲望」を容赦なく捉え、大きく裂けた口へ次から次へと放り込んでいた。
眼には炎のような眼光を湛え、拉げた鼻の下の唇からは、猪の牙の様な鋭い歯が顔を覗かせている。
鬼だった。おとぎ話に登場する様な寅縞の腰巻は履いておらず、また、金棒も担いではいないものの、顔はまさしく鬼そのものだった。
鬼は四方達の存在に気付くと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
奴は大きく口を開くと、口から黒い霧を吐き出す。
刹那、霧は無数の黒塊と化し、四方達に襲いかかる。
四方は印を結ぶと呪詛を紡いだ。
同時に、四方の手から白い紙吹雪が舞う。
鬼は憤怒の形相で四方に襲いかかる。
鴨川が跳ぶ。
鋭い叫びと共に、鴨川の渾身の正拳が空を裂く。
拳から打ち放たれた凄まじい波動が鬼の腹を捉える。
鬼は苦悶に呻きながら巨大な体躯をくの字に折り曲げ、後方に退いた。
怒号を吐きながら、鬼は鴨川を凝視する。
が、鬼は動けない。
怯んだ鬼の四肢を、陽花里が紡いだ呪詛が雁字搦めに拘束していた。
四方の身体が大きく中空を舞う。
呪詛の言霊を紡ぎながら、手を大きく縦横に振り払う。
鬼の身体が四散し、黒い霧となって消えた。
「すげえ、一瞬で片が付いちまった」
宇古陀が唸った――その時。
次女に異変が起こった。
彼女は苦悶の表情を浮かべると、口を大きく開き、嘔吐した。
吐瀉物が人の形状に変わると、背後から四方に襲いかかる。
刹那、横から飛び出した閃光がそれを阻止した。
褐色の毛の覆われた巨大な獣――鵺に妖変したつぐみが、鋭い牙の生えた顎でそれを咥えていた。
つぐみは大きく首を振るとそれを地面に叩きつけ、今度は前足で押さえつける。
薄緑色の肌にぎょろりとした魚の様な眼。口は耳元迄裂け、鮫の歯の様な牙が顔を覗かせている。額には短い角が二本――小柄だが、鬼である事に間違いなかった。
小鬼は、手足をばたつかせながら恨めし気に四方を睨みつけた。
「諦めなさい。黄泉の国へお帰り」
四方は呪詛を唱えると、小鬼に目掛け、大きく手を薙いだ。
小鬼は悔し気に顔を歪めながら、散り散りになって消え失せた。
姉妹が力無く崩れ落ちるのを、鴨川が抱き留める。
「大丈夫、気を失っているだけです。すぐに目が覚めますよ」
慌てて駆け寄る両親に、鴨川が落ち着いた声で話し掛けた。
「桧山さん、終わりましたよ。もう大丈夫です」
四方が静かに桧山に語り掛けた。
「さっきのは、いったい・・・」
桧山が愕然とした面持ちで四方を見つめた。
「強いて言えば、人の心に潜む欲望が凝縮し、鬼と化した魔物です。本体の荒魂は妹さんの中に巣食い、体はこの川で人の欲望を貪り食って、お姉さんの身体を依り代にして荒魂に送り込んでいたんです。中々狡猾な奴ですよ。これならお姉さんをいくら除霊しても、自分の身に危険が及ぶことはない」
四方は、淡々と語った。
「次女の方に憑りつていたのですか・・・何故」
桧山は釈然としない表情で、安らかに眠る娘達を見た。
「川の水を飲んだのは、妹さんの方なんです」
四方は、静かに言葉を綴った。
「えっ? 」
桧山が驚きの声を上げる。
「妹さんは優秀なお姉ちゃんみたいになりたかったんです。お姉ちゃんの方は、自分に掛けられた期待の重さに苦しんでいた。この神社に来た時、二人はその願いを神様に告げたんです。そこに、魔物がつけ込んだ」
「そうなんですか・・・」
桧山夫婦は、涙を浮かべ、二人の娘を見つめた。
「二人が目を覚ましたら、よくお話を聞いて上げて下さい。子供は親の鏡じゃないんです。独立した、一人の人間なんですから」
四方は眼を細めると、優しく二人に語り掛けた。
(完)
四方備忘録~魂喰ノカミ しろめしめじ @shiromeshimeji
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