第2話「残滓」

「いいわよ……ねえ、雅也さん、私と賭けをしない?」

「賭け?」

「ええ……“月詠橋つくよみばし” の端から端まで、手を繋いで歩くの。花火が終わる前に、無事に渡りきることができたら、私の勝ち。渡れなかったら、私の負け」

「君らしくもない、くだらないゲームだな。それで? いったい何を賭けるんだ?」

「私が勝ったら、千春と別れて私と一緒になって! 私が負けたら……潔く別れてあげる」

「随分と一方的なルールだな! 約束はできないぞ」

「いいのよ。貴方との関係に後腐れなく終止符を打ちたいのよ。最期くらい、私の好きにさせて!」


 穴場スポットとして知られている月詠橋の長さは約一五〇メートル。 橋上は人で埋め尽くされ、朝の通勤ラッシュの光景を想起させた。


 四苦八苦する警備員たち……

 親と逸れた子どもが泣き叫ぶ声……

 喧嘩する若者たち……


 夏月は、雅也の手を強く、強く握りしめた。 途中、泥酔した中年のサラリーマンが、汚らしい罵声を浴びせかけてきたが、夏月の耳には届いていなかった。


(あと五〇メートル……)

(あと一〇メートル……)


「痛っ!」


 突然、足元に走った激痛に、夏月は顔を歪めた。紅の花緒がすげられた下駄から真紅の血がツーっと流れた。


「おい! 夏月、大丈夫か?」

「大丈夫よ……こんな擦り傷、どうってことないわ!」


 夏月のうなじから、ねっとりとした脂汗が流れ、首筋を伝い、紫紺色の生地に紫陽花が描かれた浴衣の中へと入り込んだ。気味の悪い感触に、夏月は思わず身震いをした。


 その時、 一際大きな爆音が鳴り響いた。 暗闇の中を蠢く人々の視線が、一斉に雫川しずくがわの方へと向けられた。 この夏最期の大輪の花が、夜空を彩った。 やがて、色を喪った花火は、火の粉とすすだけをこの世に遺し、夜空へと吸い込まれて逝った。


                                    了

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残滓 喜島 塔 @sadaharu1031

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