頼みたいこと

 私達は今、桜が満開の大きな池のある公園に来ている。


 初めてのフィールドワークの講義から一週間、今日で講義自体は二回目で、初めてのフィールドワーク。一回目の講義は、簡単な説明とグループ分けだけであっさりと終わってしまい、二回目からが本格的な講義の開始となった。

 今回は植物採集をすることを目的に、大学近くのこの公園へとやって来た。


「今年の桜は随分と長持ちだな……」


 先生が満開の桜を見上げながら、そんな事をつぶやいた。


「さて、十一時半まで自由行動! 十一時半になったらまたここへ集合。気になった植物などを採集してくるように。キノコも持ってきていいけど、素手で触るなよ。後、採りすぎにも注意。桜の枝折ってくんなよ! ほらいってこーい」


 先生の掛け声で、私達は公園の散策を始める。


「あ、キノコみっけた!」


「これ食べれるのかなー?」


「え、流石にちょっとそれは……」


 小さな茶色の可愛らしいキノコを見つけて私はその場で座り込む。続いて雪花ちゃんも隣に座り、軍手を付けた手でそのキノコをつんつんと突く。


「きのこ、食べられるやつみつけたら食べるとか言ってたけど、大丈夫なのかな?」


 この小さいキノコは見た目は可愛らしいけれど、細く小さく見るからに美味しそうではない。


「さー? シイタケとかマイタケだったらてんぷらにして食べたいけどー」


 雪花ちゃんが涎をたらしそうな顔で、そんな事を言う。


「キノコって、ほとんど同じ見た目でも食べられるやつと食べられないやつがあって、詳しい人でも間違う事があるって聞いたことがあるから、ちゃんとわかるやつじゃないと食べないんじゃない?」


 それから私達は手分けして、見つけた植物の写真を撮り、小さな草花をいくつか採取して、渡されたビニール袋に入れていった。


「おや、奇遇だね?」


 蒼と雪花ちゃんと少し離れた所で植物を探していると、聞き覚えのある渋い声が後ろの方から聞こえてきた。振り返ると……見知らぬ女の子が立っていた。


「……あれ? 今、知ってる声が聞こえたような」


「きききき、気のせいじゃないですかっ?!」


 どうも不自然に慌てている女の子。満開の桜の下にいたせいなのか、立っていたその女の子の髪がピンク色に見える。良く見てみると、脇に何かを隠すように抱えていた。


「やあ、早花。ここへは何をしに来ているのかね?」


「わーーーっ!!! ちょっとちょっとちょっと!!!!」


 また再び声が聞こえたと思ったら、女の子が突然大きな声をあげて、後ろを向いてしまう。すると、脇に隠していた何かの真っ黒な長い尻尾が、ぺちぺちと女の子の背中を叩いていた。


「ナツメさん?」


「うむ」


 私がそう聞くと尻尾がピクっと反応して、相変わらずの声で返事が返って来た。


「……あれ? お知合いですか?」


「知り合いでもない者に、軽々けいけいに声をかけたりせんよ」


 恐る恐ると言った感じで女の子はこちらを振り返り、脇に抱えるように隠していたものを私に見せた。案の定と言うか、脇に抱えられていたのは言葉を話す黒猫さんだった。


「あー……びっくりしたー」


 女の子はそう言って、脇に抱えていたナツメさんを地面に下した。この人もまた、都月つつき先輩と同じように、ナツメさんが言葉を話せることを知っている人なのだろう。


「私はフィールドワークの講義でここに来てるの。ナツメさんは?」


「少しこの子に用があってね」


 ナツメさんはそう言うと、隣に立っている女の子を見上げる。


「わ、私は天城あまぎ ともえ。えーっと……そこの大学に通ってる……い、一回生だよ!」


 人見知りなのか、しどろもどろに話す天城さん。


「天城さんね。私は咲月 早花。じゃあ天城さんもフィールドワークに来てるんだ?」


「えっ?! う、ううん違うよ? これから大学へ向かうところなの」


「そうなんだ。勉強頑張ってね?」


「う、うん。ありがとう咲月さん……だっけ? それじゃあ行ってくるね」


 ギクシャクとしながら後ろを向き歩き出す天城さん。その様子を心配そうに見ていたナツメさんが、私の下へ近づいてちょいちょいと手招きする。……可愛い。


「どうしたの? ナツメさん」


「此処であったのも何かの縁だろう。少し、お前さんに頼みたいことがあってな……」


 なにやら少し言い辛そうにしているナツメさん。


「頼みたいこと?」


 私は膝を抱えて、ナツメさんに顔を近づける。


「うむ。おそらくこれから、途方に暮れている巴を大学内で見かけることになると思うのだよ。あの子は色々と勝手がわかっておらんからな。吾輩が手助けできることはしてあげたいのだが、吾輩も大学内では堂々とは行動がとれん。そこでだ早花、お前さんが、途方に暮れている巴を見かけた時に、少しでいいから助けてやってほしいのだよ」


「何か困ってることがあったら助けてあげてほしいって事?」


「そうだ。だが、お前さんも色々とすることがあるだろうて。お前さんはお前さんのしたい事を優先してくれてかまわん。手が空いて、気が向いた時でいい。話を聞いて、手を貸してやってほしいのだ」


「うん、いいよ?」


 また会う事があると言うのなら、天城さんと話してみるのもいいかもしれない。そう思い、私は頷いて見せた。


「でも、ナツメさんって意外と過保護? それとも、天城さんって凄いお嬢様とか?」


 ナツメさんの口ぶりから、天城さんを心配する気持ちがひしひしと伝わっていたのだ。


「……いや、そう言うわけではない。彼女の事はあまり詮索せんでやってくれ。そして、もし何かに気付いたとしても口外はせず、心に留めておくだけにしてくれると助かる」


 先ほどと同じくどこか言い辛そうにしているナツメさん。どうにも何か事情があるようだ。


「……ナツメさんがそういうのなら、わかった」


 ナツメさんがそうしてほしいと言うのなら、言う通りにしよう。


「早花、お前さんは優しい子だな。ありがとう。このお礼は、きちんとさせてもらうよ」


「期待しとくね!」


「早花?」

「咲月!」


「ひょええええっ?!」


 突然後ろから私を呼ぶ声が聞こえたので、私はびっくりして飛び上がってしまった。


「誰かと喋ってたみたいだけど……。おや、猫ちゃ?」


 振り返ると、不思議そうな顔をしている蒼と何故か中塚君が心配そうな顔で近づいてきていた。


「びっくりしたー! い、いつから見てたの?」


 心臓が口からまろび出るかと思った……。ナツメさんが喋っていたのは気づかれなかったよね?


「しゃがんで何か声が聞こえた気がしたから。えっとね、先生が植物の解説しながら散策するらしくて、聞きたい人はおいでって。私達も行こう?」


「う、うん! 中塚君も蒼と一緒に呼びに来てくれたの?」


「あ、ああ……」


「おーい! 先生がもう始めてるよー!」


 少し離れた位置から、雪花ちゃんが私達を大きな声で手招きして呼んでいる。


「それじゃ、行こ!」


 少し駆け足気味に雪花ちゃんのいるところへ向かう。ナツメさんは私が駆けだしたと同時に、さささっと何食わぬ顔で公園の奥の方へと駆けていった。


「あれ? 中塚君?」


 一緒について来ていると思った中塚君がどこにもいない。振り返ると、中塚君は微動だにせず、ナツメさんが去って行った方をじっと見ていた。


「おーい、中塚くーん! おいてくよー?」


「……おー、今行くー」


 中塚君はゆっくりとこちらを向いて走って来た。


「中塚君も猫さんと戯れたかったの?」


 なんとなくそんな気がしたので聞いてみる。


「は? 別にそんなんじゃねーよ」


 少しきつい口調で怒られてしまった。


「中塚! そんな言い方ないやろ! 早花なんか気に障る事聞いたか?」


 中塚君のさっきの言葉を、蒼は咎めるように言う。


「あ、いや。そういうことはないけど……。すまん、咲月」


「う、ううん。なんか気に障ったみたいやから、私こそごめんね」


「早花は謝らんでいいんよ。いまのはこいつが悪い。一億万パーセント悪い」


 蒼は私の頭をよしよしと撫でる。


「一億万パーセントて、長月、お前ガキかよ……」


「うっせー! お前も歳一緒のガキだろ!」


 蒼の子供っぽい発言に中塚君は呆れたような顔をしていると、むくれた蒼がまた中塚君をおちょくるような事を言い返す。


「あーもう! わかったからじゃれあわないで! 先生んとこ行こ?」


「じゃれてねーよ!」

「じゃれてない!」


 いつもの事なので、私は二人をほっといて雪花ちゃんの所へ急いだ。


「えーこれがイタドリ。最近人気の漫画の主人公と同じ名前ね。すかんぽって言ったりもするんやけど、見分けやすくて結構そこらへんに生えてる。ちなみに、食べれるぞー」


 先生が地面から生えている緑色の茎に赤い小さな斑点がある植物を、手折って採取する。


「あーやっと来たー。先生の解説めっちゃおもろいよ」


「呼んでくれてありがとう、雪花ちゃん」


 雪花ちゃんにお礼を言い、私も先生の散策に合流する。全員が集まっているわけではないようで、先生の周りに私達を含めた十人ほどが集まっていた。


「誰か食べてみる?」


「生で食べられるんですか?」


「食べれるぞ」


「はい!」


 一人の男子が手を挙げて、先生が皮を剥いたイタドリを手渡した。


「――すっぱっ!!!! これ食べて大丈夫なんすか?!」


「そうそう、イタドリってすっぱいんよ。食べて大丈夫。炒めたり、てんぷらにすると美味いぞ! 今日は料理せんけどな」


 その後も、先生の話す植物解説を楽しんだ。ノビルという野草を採取して、その場で齧ったりもした。……辛かった。

 集合時間になってバラバラに行動していた人達と合流して、私達は先生に連れられて近くの小さな会館へと足を運ぶ。


「あそこは天城公園って名前で、古くから桜の綺麗な名所として知られています。まだちょっと早かったけど、五月六月になると、食べれるキノコも生えたりするところがあったりして、自然を観察するには持って来いの場所です」


「先生。なんか桜咲いてる期間長くないですか?」


「んー、実はそうやねん。ようきづいたな。三月の終わりごろから満開やったから、もうとっくに葉桜になっててもおかしくないねん。こんな現象聞いたことないから、ちょっと色々と騒がれてたりするんよ」


 雪花ちゃんが手を挙げて質問をすると、先生は窓の外から見える未だ満開の桜を首をかしげて眺めだした。


「こういうのって、思いもよらないちょっとしたことが原因で起こる事があるから面白い」


 会館の中で昼食を済まし、その後は自然環境の座学をして、二回目のフィールドワークの講義は終了となった。


「それじゃあまた明日―!」

「ばいばーい!」


「蒼、雪花ちゃんまたねー!」


 予定よりずいぶんと早く終わったので、少し得した気分で帰路につく。ほとんどの人はそのまま会館から直帰していったけれど、私達は大学近くまで一緒に話しながら帰ってきた。大学が近くなり、蒼と雪花ちゃんは二人一緒に帰っていった。

 私も家へ帰ろうと思い、大学の校門に背を向けて歩き出した時だった。


「咲月!」


「あれ? 中塚君? 帰ってないの?」


 何処にいたのか、中塚君が校門から私を呼び止めた。


「ああ、ちょっと話したいことがあって」


「何かご用事?」


「時間あるか?」


「うん。大丈夫」


「……じゃあちょっと、ついて来てくれ」


「わかった」


 中塚君の後ろを歩く。中塚君は私に気を使っているのか、ちらちらと私を見ながら前を歩いている。中塚君に連れられてきたのは旧館の裏側、人気がないしんと静まり返った場所だった。


「ここなら……まあいいか……」


 そんな事を言って、中塚君は立ち止まって振り返った。流石に知っている男の子でも、こんな人気のない所について来てしまって、ちょっとだけ怖くなってしまった。


「咲月。お前……」


「う、うん……」


 何を言われるのか、ドキドキしながら中塚君の言葉を待つ。


「変なことに巻き込まれてないか? 大丈夫か?」


「へ?」


 中塚君の言葉がうまく理解しきれず、間の抜けた声を上げてしまった。


「最初さ、俺の空耳かと思ったんだよ。猫がしゃべるなんてさ。漫画やアニメじゃないんだし」


「――っ!!」


 私は思わず息を飲む。

 どうやら中塚君にナツメさんと話している所を見られてしまったようだ。


「その感じだと、やっぱり間違えじゃなかったんだな。お前、憑りつかれているのか? 俺が助けられることはあるか?」


 中塚君は心配して私にこっそり話をしてくれたようだけれど、私の頭は少しパニック状態だった。

 ナツメさんの正体を考えるも、不思議な力を持った喋る黒猫さんっと言う事しかわかってないし、そもそもナツメさんの事がバレてしまってよかったのだろうかとか、ナツメさんの事を知っている人は意外といるようだけれど、私から勝手に話していいものなのかとか。


「あー、えーっと……。ええええっとー……」


「口止めされてるのか?」


 中塚君がずんずんと私に近づいてきて、もう手が届きそうなくらいの位置にいる。

 流石にこのまま黙ったまま逃げるのも、心配をしてくれた中塚君にも申し訳ないし、仲良くなったナツメさんが誤解されたままなのも嫌なので、少し覚悟を決める。


「えっと、心配してくれてありがとう中塚君。でもね、別に困ったことがあったとかは別にないよ? その喋る黒猫さんとは、お友達になっただけだから」


「……本当か?」


「うん。迷子になった時に、道案内してくれたこともあるし。優しい猫さんだから、安心してね」


「……そう……か……」


 中塚君は、何故か少し残念そうにそう言う。


「少し気になって後をつけてきたが、そうか聞かれておったか」


「――っ!!!」

「ナツメさん……」


「すまんな早花。少々不用心だったようだ」


 すぐそばの茂みから黒い猫さんがトコトコと歩いて来て、私達のすぐ近くに座るのだった。

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猫である 水無月 真珠 @minaduki-sinju

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