第6話 緩み
絆された、緩んでしまった。その匂いに。
「なんか今日ぼんやりしてんね、いつも年下に思えないぐらいしっかりしてんのに。」
「いえっ、別に大丈夫です、それに年下じゃないです。…あ、やば」
ほら、やっぱりやらかした。浪人の話、大学に入ってからまだ誰にもしてなかったのに。
あまりにも頭の回転がわるくなっている。自分の本能的な好みにはあらがえない。気持ち悪い自覚はあるが、ずいぶん頭が回っていなかった。
「年下じゃない?あれ、ゆあ浪人だっけ」
当然の疑問に、少しばつが悪くうつむく。
「そうです、これでも先輩と同い年なんです。気まずいから黙ってたんですけど」
こういうところ、自分が計算高くて嫌になる。なんとなく、後輩のほうが、年下のほうがかわいがってもらえるような気がして。サークル内で黙ってきたのだ。先輩にだって、まだいうつもりなんてなかったのに。
「いや、別にいうタイミングもなかったでしょ。それに…」
一瞬の間の後に、蒼唯さんは少しだけいたずらっぽい顔をのぞかせた。
「何にしても年下、俺も浪人だし」
「そうなんですか!?全然知らなかった」
顔をパッと上げ、思わぬ仲間が見つかったことに嬉しさが抑えきれなかった。
「なんか、この話してたらはじめてゆあが年下に見えたわ。っていうか、今日の感じのほうがそう見える。いつもなんか周りみて気回してるイメージだったから。」
「そう、かもしれないです。なんとなく、一個上だしなってとこがあるので」
「今のほうが自然。そのままでいいと思うよ。ちょっと甘えるぐらいで。周りは浪人だとかなんとか、意外と気にしてないもんだしね。」
何なんだろうか、この人は。私がどこか、ほしいと思っていた言葉を、先回りして与えてくれる。それも、なんの気負いもなく自然に。
「かなわないですね、さすが先輩」
「やめてよ、そんな大したこと言ってないから。」
苦笑していう蒼唯さんに、また、目を奪われた。表情の変化が乏しいこの人の新しい面は、やっぱり攻撃力が強くて。ただでさえ大人びているこの人の、魅力を最大限に引き出してしまうのだ。
刹那、鳴り響いた、「ぐう」という音。
「…おなかすいてきたんでお願いしていいすか、ご飯」
真顔で、でもなぜか敬語でそういう蒼唯さんに、くすりと笑って立ち上がる。そもそも、そのために今日来たのだ、断る理由なんてない。
「任せてください、ここだけは得意分野ですから」
なんて、昨日焦って準備したくせによく言えたもんだ。でも、苦手ではないことは確かだし、練習だってしてきたんだ。嘘ではないだろう、と自分で自分に言い聞かせる。
そして、キッチンへ向かおうと彼の横を通り過ぎたときに、気が付いてしまった。蒼唯さんのみみが少しだけ赤くなっていることに。
「かわいい」
「え、なんて?」
思わずこぼれた声に耳聡く反応されてしまった。
「何でもないです!」
焦るな、まだばれるな、さすがに今は分が悪すぎる。たいして仲良くもなり切っていないいま好きだなんてばれてしまったら、完全に警戒されることになるだろう。下手をすれば今まで以上に話せなくなる。それが普通だ。でも
(本当にそうなるの…?)
私はまだ、蒼唯さんのことを多くは知らない。でも、ほんの少しだけ見えてきた。
この人は多分、自分への感情に対して、とても鈍感な人だ。なんというか、好きなもの以外への関心がとても薄い。彼の場合でいえば、推しとそれ関連のこと以外への興味が見受けられないのだ。
だから平然と、ただの後輩を自分のパーソナルスペースに入れられる。だからこそ、これに気が付かれてしまったあとがどうなるのか想像がつかないのだ。
そのまま何事もなかったかのようにかかわってくれるのならいいが、そうとは限らない。一歩踏み出すには、リスキーすぎて、臆病で、経験の浅い私にはどうしたらいいのか、どうするのが正解なのかさっぱりわからなかった。
…そんなこと考えている場合じゃない、とにかく今は少しでもおいしい料理を、そう思って手を動かしつづける。
昨日の今日だ。さすがに体が覚えている。巧様様だ。順調に、順当に調理は進んでいった。
「なんか手伝おうか」といってやってきた蒼唯さんは、あまりに危なっかしい手つきをしていたので思わず台所から追い出した。そもそも彼の家なのに、かわいそうだけど。
なんだか少ししょんぼりした様子の彼を見ると、悪いことをしてしまったような気分になってきたが、おいしく作るから少しだけ待っててほしい。
そんな子供に向けるような言葉を心の中で唱えていると、聞きなじみのある曲が扉越しにかすかに聞こえてきた。
「蒼唯さん、その曲」
思わず声をかけると、彼は扉から勢いよく顔をのぞかせた。
「えっ、これわかる?この前勧めた中にはなかったと思うけど」
「全曲一周は聞きました。今配信されてるやつなら半分ぐらいは歌えます」
「うっそ、まじか、布教成功した。そりゃそうだ、絶対見たらはまるにきまってるもん」
にやにやしながら、ご機嫌に歌いだした先輩は、なんだかやっぱり普段の落ち着いた彼とは別人みたいで、思わず笑ってしまった。
「何笑ってんの、オタクってこういう生き物だからね、はまり切ったらこうなるんだから」
「確かに、家での私もそんな感じかもしれないです」
「こちら側へようこそ、これはお祝いだなあ」
さらにご満悦そうに先輩は笑う。それをみて満足してしまう私には自分でもあきれるけど。でも、その次の言葉に、思わず私は一瞬固まることになった。
「そうだ、お祝いにお酒かってくる、せっかくだしライブ映像見ながら一緒に飲もう。一浪ってことは20になってるってことでしょ」
誘い自体はとても魅力的だった。別に、家では母とよく飲んだりしているし、自慢ではないけど、かなり飲めるほうだ。ただ、地元の友達と飲みすぎたときなどはよく酔っぱらう。
その酔い方が問題なのだ。すぐ人にくっつきたがる。それも無意識に。不安でしかないが、私の口は、悲しいかな次の言葉を紡いでいた。
「いいですね、めっちゃテンション上がる!」
「久しぶりに家で楽しいと思ったかも、買ってくるわ」
「えっそれは申し訳な」
「いいから、その代わり料理頼んだ」
私の言葉を遮り、足早に先輩は家から出ていった。
フェイクピアス-残らない傷跡- 佐野詩乃 @sn_ai
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