ある教師の死
トダカ
ある教師の死
「斎藤先生のことなんだけどさ」
おもむろに飯島佐恵子が口を開いた。私は食べ終わった弁当箱を包みながら、耳を傾ける。佐恵子は眼鏡をキラリと輝かせ、続けた。
「あの人、本当に事故死だったと思う?」
何を言い出すんだこの子ったら。
斎藤雄一は、私たちのクラスの前の担任だった。受け持ちの教科は国語。背が高くて、若くて、人気があった。先週、転落死したけど。
「やめなよ。とっくに死んだ人のことをあれこれ噂してたら、変に思われるよ」
私はクラスを見渡し、誰かが話を聞いていないか注意する。何人かの女子が聞き耳を立てているけど、大丈夫、みんな仲間だ。男子はみんな、ゲームの話とか野球の話をしてる。佐恵子の話を誰も聞いていない。
「だってさ。あの人の落ちた場所って、なんか変じゃないの」
「変って?」
「非常階段の5階から転落したんでしょ? 5階には、視聴覚室とか音楽室があるけど、普段は人がほとんどいないじゃないの。しかも放課後の非常階段よ? なんで斎藤先生はあんな所にいたのか、不思議じゃない?」
「タバコでも吸ってたんじゃないの?」
私は気のない返事をする。
「確かに、ときどき非常階段でこっそりタバコ吸ってる先生はいるわよ。数学の山本とか。でも斎藤先生ってタバコ吸わなかったはずじゃないの。あたし、あの人の背広から一度もタバコの匂いを嗅いだことないよ。だいたいあの人の担当は国語だから、視聴覚室にも音楽室にも用事はないでしょ。わざわざ5階に行く理由がないのよ」
「佐恵子ったら」私は焦れて、聞き返す。「あの人の死に方が事故死じゃなかったら、じゃあ、何だと思うの?」
「あたしは殺人じゃないかって疑ってるの」
佐恵子は真ん丸な目をまっすぐ私に向けて、こう答えた。
「馬鹿なこと言わないで!」
思わず大声を出す。クラスの男子の数名が私を振り返る。私は自分の口を押えると、男子たちに大げさに会釈した。私の恥ずかしそうな顔を一瞥すると、彼らは興味を失って、自分たちの会話に戻っていく。
「殺人って、なんでそこまで飛躍しちゃうの?」
「斎藤先生はもうすぐ結婚するはずだったでしょ。相手はモデルをしてる女の人とかなんとか。だから自殺の線はないでしょ」
「まぁ、そうかもね」
「でも、あの先生って色々悪い噂があったじゃないの」
「そうだったかな? たとえば?」
「あの先生は去年、別の学校から転任してきたじゃない。転任元の学校に知り合いがいたから、あの人どんな人なのって聞いてみたのよ。そしたら、そこの女子生徒の一人と交際していることがバレた事件があったんだって。それが元で、もみ消すために転任したらしいって」
「へぇ」
そうなんだ。これは初耳だった。私は身を乗り出して、話に食いついてしまう。
「じゃあ、誰かに恨まれてたって言いたいの? でも、根拠はそれだけ?」
「いいえ。斎藤先生が死んだ日の5限目って、うちのクラスは視聴覚室使ってたでしょ」
「そうね」
生物の授業の一環で、ビデオを見た。だから、クラスのみんなで視聴覚室に移動していた。それはその通りだ。
「あのとき、あたしはトイレに行ったついでに、非常階段の外に出たの」
「なんで? あんな寒いところに行ったの?」
「秋ごろは、あそこから北側の風景がとっても綺麗なのよ。それでスマホで写真を撮りに行ったの。ほんの数分ね。それから、放課後に斎藤先生が転落して、警察の人が調べに来たでしょ」
「そうね。斎藤が救急車で運ばれた後に、鑑識っていうのかしら。そういうのが来てたね」
「あたし、翌日の早くに、あそこを確認しに行ったのよ。そしたら、変なことに気が付いたの」
私は、佐恵子の話の続きを黙って聞いた。
「非常階段って、古くて、手すりのペンキもはがれてるじゃないの。その上、掃除もロクにされてないから、はがれた落ちたペンキが階段の上に積もってる。でも、5Fの、事故が起きたところだけ、ペンキのはがれ方が綺麗すぎたのよ」
「それは、斎藤先生が落ちるときに、体でこすったんじゃないの?」
そう質問すると、佐恵子は眼鏡を直しながら、こう答えた。
「それにしては範囲が広すぎるの。まるで、誰かが階段の手すりを拭いたみたいに」
「じゃあ、斎藤先生が拭いてたんじゃないの? 神経質そうな人だったし、ペンキをはがしてたんじゃ」
「こんな寒い季節に、しかも放課後に、そんなことする?」
そう言われると、何も言い返せない。佐恵子の話はなお続く。
「警察の発表だと、斎藤先生は外の空気を吸いに非常階段に出て、そこから転落死したってことになってるけど、あたしは釈然としないな。あの先生には、あの時間帯にあの場所にいる理由がないの。警察は再捜査するべきじゃないかと思うのよ」
私はやれやれと首を振り、佐恵子に釘を刺した。
「それ、私に言うだけならいいけど、絶対に他人に言っちゃダメよ! 斎藤先生って人気があったんだから、探偵ごっこのオモチャにしたら、下手したらハブられちゃうよ。わかった?」
名推理を説教で返されたのが不服なのか、佐恵子は口を膨らませる。
私がもう一度念押しして「わかった?」と言うと、そこでやっと、不承不承という顔で、彼女は首を縦に振った。
放課後、私はSNSで連絡を取ると、クラスの友達と落ち合った。場所は、学食の自販機置き場だ。
「どうだった?」
顔を見るなり、こう聞いてきたのは、マリだ。私は答える。
「大丈夫よ。あの子は何もわかってない」
あの子とは、もちろん佐恵子のことだ。
「何か証拠とかありそう?」
小声でこういうのはユッコだ。怯える小動物みたいな顔で、私はそれを見ると不安になる。この子は何も証拠がなくても、勝手に秘密をバラしそうに思えた。
「気になることはあるけど、きっと大丈夫よ。佐恵子って、あの日、非常階段から風景を撮ってたらしいんだけど、そんなもの証拠にならないわ。他は違和感があるって程度のこと。私たちと斎藤を結ぶ証拠なんてない」
マリとユッコは胸をなでおろした。
佐恵子が斎藤の話を始めたときは、どうなることかと思ったけど、何も恐れることはなかった。
斎藤はユッコと関係を持っていた。ユッコは可愛い子だけど、世間知らずだ。婚約者がいる男にあっさり騙されてしまった。
斎藤は結婚を機に関係を清算するとかふざけたことを言い出したから、ユッコから相談を受けた私とマリは、あいつと非常階段の5階で待ち合わせて、3人がかりで突き落としたのだ。
3人がかりとはいっても、大人の男を落とすのは大変だった。手すりのあちらこちらに自分たちの体が触れて、私たちは痕跡を消すために、大慌てで手すりを拭いた。ペンキが剥がれ過ぎたのは、それが原因だ。
「でも、あいつが、警察に密告したらどうしようか? それとも、どこかの週刊誌にでも話を持ち込んだら」
マリが真剣な顔で言う。私は笑い飛ばす。
「大丈夫だって。素人探偵の話なんて、誰も聞かないよ。それに、あたしたちは無敵よ。男を一人で始末できたんだし。もう一人くらい、どうってことないわ」
ちょっと大げさなくらいに明るい声でそう言うと、二人の顔も明るくなった。
「そうね。その通りよね」
「無敵か。そうかもね!」
「誰が無敵なの? 面白そうな話じゃないの」
聞き覚えのある声がした。私たち3人の声じゃない。
突かれたように、声の方向を振り向く。いつからそこにいたのか、佐恵子が音もなく、物陰から姿を見せた。
眼鏡の位置を直しながら彼女は何かを取り出す。スマホだ。
私たち3人は、最悪の展開を予想して硬直する。
「動画で撮影しておいたの。安心して。警察に行くつもりなんてないから」
佐恵子は、満面の笑みを浮かべた。そして、こう続ける。
「ねえ、あたしも仲間に加えてよ。殺したい奴がいるけど、独りじゃ無理なの。助けが必要よ」
その笑顔は、私がこれまでの人生で見た中で、一番邪悪なものだった。
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