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なぜここにいるのか その3

 90年代から、私はコミケに行くようになった。友人に漫画家志望者がいたので、彼のブースを拠点として、本の販売を手伝ったり、気になる本を買いあさったりしていた。
 コミケに行ったことのある人ならすぐに理解できると思うが、コミケ会場で本を売ったり買ったりしている人の中には、既にデビューしている漫画家や小説家、そしてその志望者たちが混じっている。
 私はそうした人たちに遭遇した折に「助言」をするようになった。

 助言というと、プロに向かって素人考えを得意になって話すイタイ人の姿を想像するかもしれないが、私のはちょっと違う。

 何がどうと説明するのが難しいのだけれど、会場を歩いていて、目の前に通りかかった人を見ていると、その人の職業が何で、これから何をすれば成功するのかが頭に思い浮かぶ。それを教えてあげるのだ。
 話しかけるまで、その人が誰なのか、自分でもわからないことが多い。
 そして一度話しかけてみると、次々に頭の中にイメージが湧いてきて、その人が書くべき物語が具体的にわかってくる。

 そうして、私が提案した物語は、ほぼ必ずと言っていいほど売れるのである。

 あるときは、ハリウッドの企画担当者に遭遇した。
 外見はただの日本人男性だったが、何かを探すように、本を見て回っている姿を見て、違和感があった。
 直観に従って話しかけ「あなたは、アメリカの映画業界から来たのではないですか?」と尋ねてみると、びっくりしていた。推測が的中したのだ。

 話を聞き、映画の企画を数本提案してみた。
 これもまた、うまくいった。世界的なヒット作になったのだ。

 いやぁ、提案した漫画も小説もアニメも映画も、みんな上手くいった。俺って文才があったんだなぁ……そう思っていた。
 その時は。

 さて、ここまで読んだ方に聞こう。
 以上の話は全部実話だが、リアリティが欠けていると思わないだろうか。
 私は著作権を持っていないので、関係者や作品の名前を言うわけにはいかず具体的な名前は出せない。それを差し引いても、足元がふわふわした、どこか変な話ばかりだ。そう感じなかっただろうか?

 通常、小説家やライターが作品作りについて何かを提案するときは、相手の書いた文章なり、絵なりを見て、長所短所を分析し、論理的に判断を下すものではないだろうか?
 ライティングは言語化できる技術なのだから、そうなるはずだ。

 私の話はそうではない。そうならない。
 私は、人の顔を見ただけで、その人間の才能や危機を見破ることができた。
 小説家志望者が相手だった場合、原稿用紙に手を触れただけで、その志望者の傾向と対策を言い当てたことさえある。一文も読まずに、である。
 将来かかる病気、遭遇する事故、寿命、あるいは生まれてくる子供のことまで。
 こんなことがわかるのは、断じて文才とは呼べないだろう。

 自分の能力に違和感を覚えると同時に、私の元を訪れる人物も、だんだんとバリエーションが増えていった。
 あるときは映画の企画者。俳優。芸人。
 またあるときは、機関投資家。
 そして、政治家たち。

 私自身が混乱していた。なぜ次々に、有名人が私のところにやってくるのか?
 そして、なぜ私は、質問された内容に、毎回正しい回答ができるのか?
 その謎は、徐々に明らかになった。

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