下の地下室の秘密

黒銘菓(クロメイカ/kuromeika)

第1話

 ジドル・レイ伯爵は私の恩人だ。

 物心ついた時には一人何も持たずに歩いていた私に声をかけてくださった。

 そして自分の大きな屋敷に私を住まわせ、温かい食事とベッド、衣服に勉強まで与えてくださった。私はとても幸せだ。

 だから、私は伯爵の願いを叶えたいし、伯爵を失望させてはいけない。

 だから、私は伯爵からの言いつけをしっかり守る事にしよう。

 『この屋敷の地下室には行ってはいけませんよ。えぇ、それだけは決していけません。それだけは絶対に駄目です。』

 ここに来てから5年、地下室に降りる階段にさえ近付いた事は無い。




 この日は伯爵が遠出、そして屋敷には私一人となったのです。私は掃除をする事にしました。

 住んでいるのは私と伯爵の二人。メイドのアリアさんやシェフのフォーコさんは通いで今日は休みです。

 部屋を一室一室掃除をして、廊下に飾られた調度品の埃を落として、床を掃除している最中、丁度地下室の階段近くの廊下を掃除している時に奇妙な立ち眩みが起きたのです。

 急に体に力が入らなくなって、立っていられなくなって、気付いたら私はどこかから転がり落ちていました。

 身体中が痛くて、目が回って、立ち上がろうとして、そうして私は扉を開けてしまったのです。




 扉の先は小さな書斎。そして机の上にはワインの瓶と古びた日記が置いてありました。

 何かに吸い取られるようにそれに手を伸ばそうとして……

『見て、しまったのですね。』

 いつの間にか後ろにいた伯爵に肩を掴まれました。




 その時の伯爵はいつも通りの顔で、少し困ったような顔で、でも少しだけ嬉しそうで……何より怖かったのです。

 「伯爵、あれ程厳命されていたのに約束を破ってしまい、大変申し訳ありません!」

 事故とは言え、私のやった事は善意を仇で返す行為。許される行為ではない。

 『いいえ、部屋を覗かれたことは大したことではありません。

 寧ろ心配なのは貴女です。大きな音がしたから何事かと思いましたよ。

 どうしたんですか?』

 「その、足を滑らせてしまい……」

 『っ、いけません!直ぐに医者を呼ばなくては!』

 「あの……」

 許されざる行為をした。なのに怒られるどころか心配をされてお姫様抱っこまでされている。

 『あの地下室を見た程度で怒りはしませんよ。

 あそこは私の宝物が置かれているだけ。

 大事な貴女との思い出の日記と、いつか素敵な貴女と一緒に飲もうと思っているワインがある……ただ、それだけの場所ですよ。

 少し恥ずかしいので隠していた……ただそれだけの事です。』

 「申し訳ありません伯爵。」

 『いいえ、とんでもありません。貴女のお陰で私は今、希望に満ち溢れています。』

 屈託の無い笑顔。だが、向けた相手は安堵したのかあるいは眠り薬・・・が効いたのか眠ってしまっていた。





 一人、改めて地下室に入る。

 机の上のワインは今の彼女と一緒に生まれたものだ。

 そして、古びた日記は最高の彼女との幸せな時間を事細かに記したもの。もう数十年、その時間について書き記されていない。

 机の裏側に触れ、装置を起動させる。

 地下室全体が揺れ、そしてゆっくりと下へ降りていく。

 揺れが止まったのを確認して地下室の扉を開ける。そこに有るはずの屋敷の階段は無く、冷たい地下施設があるだけだった。

 いつも通り、地下施設の奥へと、愛する貴女の元へと向かう。

 息絶える寸前で止まっている貴女。

 数十年努力して考えて足掻いて待って、それでも貴女との再会は叶わなかった。

 ダメだと言っても決して言う事を聞いてくれない、そんな悪戯っぽい貴女は今まで現れずに皆ここを去っていった。

 あの部屋に足を踏み入れたのは初めてだ。

 今回こそ、素敵な貴女が出来るでしょう。

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