五人いる男

飯田太朗

五人いる男

 人の精神は恐ろしい。

 いわゆる怪異と呼ばれるものは人間の心が生み出したものだろう。無生物に魂を感じるある種のアニミズム、いや、死後の世界を信じるイマジネーション、暗闇や感知できないものへの恐怖、自然現象への畏怖の念、あるいはそのどれもが作用した結果生まれた常ならざるものが怪異だとしたら。さほど苦労もなく納得できる理屈だろう。人は常に目の前のものに対して己の精神を投影し続けてきた。

「ウェンディゴ憑き」という病気がある。罹患するとまず気分の落ち込みや意欲の欠落といった鬱症状が出始め、そして「自分はウェンディゴに取り憑かれた」という妄想が始まる。やがて「自分はウェンディゴだ」と考えるようになり、最終的には人肉を欲し、食うようになる。もちろんウェンディゴなんて生き物はいない。北アメリカ、もしくはカナダのインディアンに伝わる精霊の一種である。それに取り憑かれたという妄想に取り憑かれる病気だ。これだけ聞くとじゃあ狐憑きはどうなんだと思われるかもしれないが、症状が不定型の狐憑きと違い、ウェンディゴ憑きは医学的にレポートできるほどに症状が固まっている。これも人間の妄想がなせる業だとしたら……? 

 さて、今回ご紹介する話はそんな「人の精神」が歪んだ結果の物語である。

 これは僕がサンエンドウソジンについて調べている際に出会ったある女性から聞いた話だ――


 *


 サンエンドウソジンについて調べていた僕は東京での授賞式も終わり無事遠野の調査班に合流できた。僕が現場を離れている間、伊達崎教授の連れてきた学生がある文献を発見したらしい。それはサンエンドウソジンの正体に関する記載で、教授は興奮気味にそれを教えてくれた。

〈サンエンドウソジンとは『三猿道祖神』と書き、その字の通り三匹の猿を象った道祖神である〉

「こう、ありました」

 教授は鼻息も荒く先を示した。そこにはこうもあった。

〈他の道祖神とは異なり『遊びの神様』としての側面も持っている。境界線の内にいる子供たちをあやしたり、あるいは外から来た旅人に暇つぶしを提供したりする、といった行為の他、人を弄んだり遊び半分に害するといった伝説もある〉

「道祖神自体には守護神や五穀豊穣の神としての側面の他にも子孫繁栄や恋愛成就、夫婦和合といった性の神様としての側面もあります。三猿道祖神が遊びの神様とされるのにも、もしかしたら男女の密会の中で繰り広げられる遊びや交わり合いといったことへの思念があるのかもしれません。こうした行為は外部の介入を嫌いますから、道祖神との相性がよかったとの考察も可能です。そして……」

「そして?」

 僕が首を傾げると伊達崎教授は微笑んだ。

「岩手県は実岳みたけ山のある村には『サルヒキサマ』と呼ばれる小さな神社が存在するそうです」

「小さな神社」

 すると伊達崎教授が下卑た笑いを見せた。

「今で言う出会い喫茶のようなものだったらしいです。本殿への進入が許されている神社で、ここで夫婦になった男女には子供がたくさんできるのだとかで、かつてはここで交わる男女も大勢いたのだとか」

 ふむ、なるほど。

「ただ、やはりこの神社には……」

 と、教授が意味ありげに言葉を切ったので僕は食いついた。

「この神社には?」

「やはり猿が関連しています。『サルヒキサマ』の名にも『サル』が入りますし、神社本殿の軒下にも猿の彫り物が、そして三猿道祖神らしき猿の石像が境内には多数あるそうです。『三』の文字が彫られた石もあるのだとか」

 ここで僕はふと考えた。

 この三猿道祖神の調査の途中で出会った、不思議な出来事のことを。

 ひとつめ……空岳山の山中にある古神社で猿と双六遊びをした。

 ふたつめ……井伊岳山に行ったという新人作家がそこで出会った猿を名乗る男性に教わったゲームで対決した。

 これらが三猿道祖神の一柱二柱だったとしたら。

 そしてこの「サルヒキサマ」に三柱目がいるとしたら。

 実岳山。これは何か関係がありそうだ。

「『サルヒキサマ』には行かれないのですか」

 僕が教授に訊ねると教授は残念そうに首を振った。

「出張の期限が明日までです。問題の『サルヒキサマ』へは車の往復で六時間、とてもじゃないが帰りの新幹線に間に合いません」

「なるほど」

 ならば……と僕は提案した。

「僕が行ってきましょうか」


 *


 サルヒキサマが建っている申猿しんえん村へは聞いていた通り車で二時間五十分。舗装されてない山道をゆっくり登った先にあった。とんでもなくアクセスが悪い土地で、この村で生まれた者は中学校から町で暮らすために親元を離れるらしい。小学校はかろうじてひとつあるらしく、そこは毎年百名足らずの子供たちが勉強しているらしい。

「百名足らず? 想像していたのより随分多いな」

 僕が訊くと運転手……彼も申猿村の出身だった、は答えた。

「サルヒキサマのおかげて子供には困らないんでさぁ」

「そうか」

 東北の、山の中の寒村にたくさんの子供をもたらす神様。

 三猿道祖神、推定するにその三柱目。

 どんな神様なのだろう。


 *


 村に着くと運転手の口頭の説明でサルヒキサマへと向かった。小さな村で、三十分もあれば一周できそうだった。夏休みだろうか、子供がそこら中を走り回っている。日差しは強いが肌寒く、僕は上着を持ってこなかったことを後悔した。

 村の長は大きな屋敷を持っているらしかった。村の奥、山の方へと少し進むとそれが見えた。屋根までついた立派な門、その奥に蔵が二つ。さらにその先には神社のような神聖ささえ感じる日本家屋がどっかりと座っていた。この手の村を見ると、昔小説で読んだ座敷牢というものを思い出す。精神疾患者や痴呆、障害児なんかを閉じ込めておく牢だ。気のせいだろうか、どこかで呻き声がした気がした。門の戸に飾られた紋章を見る。大きな輪の中に「田」の字。どう読むのだろう。

 その屋敷からしばらく歩いていくと、やがてサルヒキサマに着いた。

 小さな山を切り開いて作られた神社で、誰かが手入れをしているのだろう。割と綺麗だった。

 小ぶりな本殿の前に賽銭箱はなく、注連縄も本坪鈴ほんつぼすずもなかった。かろうじて境内入り口に鳥居があったから神社だと分かったが、そうじゃなければただの小屋だと思っただろう。

 小屋……もとい本殿の前に立った。中は……と様子を見る。開け放たれた戸は僕を歓迎しているようにさえ見えた。僕はさらに近づいた。

「タク……」

 不意に、女性の声がした。

 振り返る。強い日差し、それとは不釣り合いな冷気の中、肌寒そうなノースリーブのワンピースに身を包んだ白い女が日傘と共に立っていた。僕は首を傾げた。

「あっ、ごめんなさい」

 女性は謝った。

「知人に似てまして。申し訳ありません……」

 方言が、ない。

 僕が彼女に対して抱いた最初の感想がそれだった。彼女、澄んだ日本語を話す。

「あの」

 僕は声をかけた。女性が顔を上げる。

「実は研究のためにこの村に来ている者でして」

 女性は首を傾げた。

「飯田太朗という者です。小説家」

 すると、女性は表情を綻ばせた。

「飯田先生! 『時計仕掛けのエレジー』、読みました!」

「お恥ずかしい。僕のデビュー作」

「他にも! えーっと、『猟奇少年の憂鬱』!」

「デビュー二作目」

「あと、『写真に霊が多すぎる』」

「文芸ムックあたらよに寄稿した作品ですね」

「他にも……」

「OK、OK、君が僕のことをよく知っているのは分かりました」

 あなたのことを知りたい。

 僕がそう告げると、しかし彼女は少し困った顔になって、それから続けた。

「『お人形遊びの女』……ですかね」

「お人形……?」

「ええ」彼女は破顔した。

「私にタイトルを、つけるとしたら」


 *


「サルヒキサマは確かに、若い女性の集いの場でした」

 田和たわ文乃あやの、タイトル『お人形遊びの女』は、サルヒキサマの本殿傍にある縁側に腰掛けると話し始めた。僕はその隣に座っていた。

「女性? 男女ではなく?」

 すると田和さんは頷いた。

「女性です」

 井戸端会議の井戸端、とでもいうべき場所なのか? 

 僕が疑問に思っていると田和さんは続けた。

「サルヒキサマは、女性が男を弄ぶ場所」

「女性が男を弄ぶ……」

「ええ、ここから見えるかしら……本殿の奥に、棚がございますでしょう」

 縁側の奥には開かれた障子があり、その奥には確かに棚があった。そこにはいくつかの……人形があった。人形というには少し不恰好な、粘土を人型にこねましたというようなものだったが。

「この村では女が男で遊ぶのです」

「というと?」

「あの人形、柔らかい土でできております。あれにペトッと、男の肌をくっつけますと……」

 田和さんはつ、と目を伏せた。

「人形にしたことが、男に移ります」

「どういうことです?」

「人形にしたいたずらが、人形に肌をつけた男に返っていきます」

「つまり」

 僕は息を呑んだ。

「強力な藁人形……?」

「そう捉えることもできます。そしてあの人形は女にしか作ることができません。女は男の肌にあれをつけるのです」

 朧げながら、言いたいことが見えてきた。

「人形を叩けば人形に肌をつけた男が叩かれます。人形を剥けば男が裸に、人形を勃たせれば男が勃ちます」

 僕は固唾を飲んだ。

「サルヒキサマがこの村の女に与えてくださった力なのだそうです。この村の女は年頃になると村の男を捕まえて、あの人形を作ります。そして想い人との子を成すのです」

「『お人形遊び』とは、そういう……」

「ええ」

 田和さんは小さく頷いた。

「ですが十五年前に恐ろしいことが起きたそうで……」

 僕は黙ってその先を待った。しかし彼女は話題を変えた。

「私、東京で看護師をしています。精神障害の方が働く貸しオフィスの看護担当兼カウンセラーとして、ユーザーの……精神疾患の方のお話を聞くことがあるんですが」

「はぁ」

「ある日、ある方が……タクさんとしましょうか。タクさんが相談に来たのです。タクさんは統合失調症の方で、妄想症が強い方だったのですが」

「はぁ」

 話が見えてこない。だが、この「タク」。なるほど、さっきの。

 田和さんは続ける。

「前から不思議だったんです。タクさん、日によって随分人が違う。冗談を言って笑わせてくることもあれば、ただジーッとメモを見つめていたり、かと思えば自身の症状について冷静に述べたり、またある時は烈火の如く怒ったり、とにかく、大変」

 この話を聞いた段階で僕には少し察しがついていた。統合失調症、そして妄想、コロコロ変わる人柄。

「解離性同一性障害では?」

 いわゆる多重人格だ。一人の人間の中に複数の人格が存在する。『24人のビリー・ミリガン』は古いか? 『五番目のサリー』は? 

 しかし田和さんは薄っすら唇を引くと目を伏せた。否定とも肯定ともとれる。

「私もそうだと思いました。私はカウンセリングの中で、彼の中にいる一人一人と会うことにしました」

 一人目。田和さんは指を立てた。

「レイジさん。いつも怒ってて、憎んでて、とにかく攻撃的。怪力が出ます。口も悪い。けど怖がりで、小さな音にも反応します。名前は『rage(激怒)』から来ているそうです」

 二人目。田和さんが指を二本立てる。

「オサムさん。理性的で、とても賢い。臨床心理士同席のもと知能検査を行ったところ、知能指数135と出ました。天才です。心理学の研究が好きで、『自分が切り離された人格だ』ということにも気づいていらっしゃいます」

 三人目。

「記録係さん。この人だけ名前がありません。タクさんが人格が切り替わってもギリギリの同一性を保っていられる……つまり、通常人格の切り替わり時に発生する記憶喪失を経験せずに済むのは、彼がずっとメモを取って他の人格に共有しているからだそうです。レイジさんの名前の由来は彼に聞きました」

 四人目。

「ジョージさん。笑上戸。ジョークが好きで、お酒も好きで、女の人も好き。給料日前のお金がない時にAmazonで爆買いするのが趣味だそうで、タクさんは彼のせいでよく金欠になっているそうです……そのこともジョージさんは笑ってましたが」

 そしてタクさん自身の、計五人。

 彼の中には五人の男がいることになる。

「で、その話とサルヒキサマがどう関係するんです?」

 僕が訊くと、田和さんは表情を暗くした。

「まず、タクさんの出身地について。記録係さんが教えてくれました。この村です」

 ほう、ここで繋げてきたか。

「次に、これはこの村の暗い話なのですが」

 田和さんは静かに続けた。

「先ほどお話ししました人形を使った男遊び。十五年前のある時、なかなか想い人を告げない女の子がいました。ただ、その子、実はこっそりこの人形を持ち帰っていて、それで……」

「それで?」

「弟に、使っていたのです」

「弟に」

 それは、つまり。

 近親姦、ということだろうか。

 それもかなり歪んだ形……一方的で暴力的な。

「その家ではお姉さんがとにかく強かったそうです。姉弟関係が歪だった。お姉さんは誰にも見られない屋敷の中で毎日、毎日毎日毎日毎日、弟にいたずらをしたそうです。そしてそう、ある日……」

 僕は黙って話を聞いていた。

「お姉さんは、村の男四人に、あの人形の土をつけました。そうして集めた四人分の土を、弟の人形に混ぜて作り直しました。そうしたら……」

 沈黙。

「……お分かりでしょう?」

 五人いる男。

 その歪な人間がもし、遊びで作られたのだとしたら。

「そのお姉さんは多分、コレクションをしていたんだわ。弟の中に様々な人の人格を入れて……いつでも、眺められるように」

「そのタクという人は今……」

 すると田和さんは笑った。

「病状が悪化したのか、貸しオフィスからは去りました。でもあの病気、もしこの村の人形に起因するものだとしたら……治りませんわ。だってサルヒキサマのお力なんですもの」

 田和さんは、最後に、すっと縁側から立ち上がると告げた。

「村の女性にはお気をつけください。土、つけられるかもしれませんからね」

 そこで僕は、気づく。

 田和。

 屋敷の紋章。

 そして

 ふと、首筋に触れる。

 かさりと、何かが……。


『五人いる男』了

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五人いる男 飯田太朗 @taroIda

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