亡霊

泉花凜 IZUMI KARIN

亡霊


 テレパス、というほど大した能力ではないが、それに近い状態に自分を持っていける時がある。


 相手の思うこと、今何を望んでいるのかという願望を、手に取るように察する特技がある。私には。


 世の物語にあふれている「超能力」と定義するほどの大胆さはない。相手の言葉がダイレクトに届くのではないし、自分の思いを、言葉を介さずに相手に伝える手段もない。ではどうするのかと問われれば、私はこう答える。「目を見る」のだと。


 人と会話をする時は視線を合わすのが礼儀だと言われるが、かといってじっと見ていると失礼に当たる。何とも微妙なマナーの物差しだが、私にはこれがいちばん、自分の能力を説明するのに手っ取り早い。


 人間の目は何でも物語る。目を見て話しても相手の心などこれっぽっちもわからない、人は上手に嘘をつく生き物だからと世間では言われるが、私にその概念は通用しない。私には、わかる。人と接した時の、相手の性格や裏の本性、こちらに敵意があるか、ないか、悪意にまみれた人間か、そうでないかなど、さまざまなものがわかるのだ。


 大学で心理学を専門的に学んでいた。その後、私はこの特性を活かす職業に就いた。世のため人のためというわけではないが、そういったものに近い仕事である。




 ある日の帰り道、電車が通った後の踏切の向こう側に、全身びしょ濡れの男が立っていた。


 雨が激しく降る一日だった。終始、折り畳み傘が手放せず、風が時折強く吹きつける、なかなかにしんどい天気になっていた。


 男の顔がよく見えなかった。長めの黒い前髪は目元を覆うように顔に貼りついていたし、雨のせいで視界が悪かった。


 彼はなぜ今日のような天気に傘を持ってこなかったのだろうか。まるで影も形もない男だ。ひょっとしてこの世に未練を残して死んだ、幽霊だったりして。


 不謹慎な妄想をしていると、踏切が上がった。ちょうど十歩分の短い距離を歩き、男とすれ違った時、


【どうしてわかったんだ?】


 男の声が私の耳に、はっきりと響いた。


 ぞっとして、はっと男を振り返る。

 男の姿はなかった。


 なぜ? 今のは一体、何だったの?


 私は怖くなり、軽いパニックに陥った。まさか本当に、この世界に、霊なんて存在があるのか。私の考えていることが、相手にそのまま伝わるなんて。しかも彼は口を動かしてなかった。頭に念じた台詞を、ダイレクトに私の脳に伝えたのだ。


 ――もしかして、私の同類?


 同じような特技を持つ者が、私以外にもいるということか。

 気もそぞろになり、早く踏切を渡ってしまおうと急いで、強烈な違和感に気づいた。


 ヒールのかかとが、踏切のレールにはまっている。

 ひっと空気を吸った。呼吸が途端に慌ただしくなる。


 すぐにパンプスを脱ごうとした。高いやつだったが、仕方ない。

 しかし、甲の浅いはずのパンプスはまるで拷問器具のように私の足を締めつけていた。


 なぜ? 簡単に脱げるから家を出て行く時や帰って玄関に上がる時に手こずらなくて済むと重宝しているやつなのに。なぜ今に限って。


 私は半狂乱になって必死に足を動かした。パンプスはまるで意志を持った魔物のように足を離さない。


 周りに誰もいない世界。不自然なほどにこの時間帯になっても誰も通らなかった。やがてカン、カン、カン、と恐ろしい機械音が鳴る。私の命のリミットが近づいてゆく。


 踏切が閉まる直前、決死の思いで足を動かそうとした。


 その一瞬、突如としてパンプスの踵が脱げた。


 勢いのあまり尻餅をつき、這いずって何とか踏切の外に出た。


 直後、電車が来る。呆然と、目の前を一瞬の矢のように過ぎ去っていく車両。特急電車だったのか、車内の人の顔もよく判別できないスピードで走り去っていく。


 その中に、先ほどのずぶ濡れの男がいた。


 私とすれ違ったはずの、そこにいたはずの男が、今度はその電車に乗っていると、わかったのだった。


 ありえない光景に、私は愕然としていた。


 こいつは、何者?


 混乱している頭に、再び響き渡る男の声。


【次は駅のホームで会おうな】


 その声は、怒りの度合いも嘲笑もない、機械的な事務連絡にも似た調子で紡がれた。


 雨は降りしきり、もはや同じようにびしょ濡れになった私の体を途方もなく濡らしていった。



   了






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